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#34 「迷惑をかけてはいけない」という呪縛

「他人に迷惑をかけちゃいけない。」
確かにそうかもしれない。
でも、強く意識しすぎると、
生きにくいよねって話を書きます。



高齢になった義母

先日、夫の実家へ行ったときの話。
義母が「年取ったけど、迷惑だけはかけちゃいけないと思って」と言う。
年を重ねて、できないことが増え、
そのことが不安な様子でした。

義母は、「迷惑かけちゃいけない」という価値観が強く、
子どもたちにも、そうやって躾をしていました。

けれど、この考え方が自分にも向けられると、
とても自分自身を苦しめることになります。
年をとって自分のできることが減ってきたとき、
「迷惑かけちゃいけない」が発動すると
誰にも頼れなくなってしまうのです。


迷惑をかけない子育て

私自身、子育てをしていると、
「他人に迷惑かけちゃいけない」
という気持ちが常にありました。
公共の場で子どもたちが騒ぐと、
「母親なんだから静かにさせなさいよ」と言われているような
周りからの視線が気になりました。

迷惑をかけない生き方

「迷惑かけちゃいけない」と子どもにしつけてきた人は、
その言葉でそのまま自分を縛ってしまいます。
自分が歳を重ねるにつれて出来ない事が増えていく。
以前は当たり前にできたことが一人ではできなくなり、
人の手を借りる。
そのことに後ろめたさを強く感じておられる様子をよく見かけます。

お寺業界にいると、
葬儀の縮小化やお墓の変化を日々感じます。
ここでも「子どもや孫に迷惑をかけたくない」
が合言葉のようになっています。
それがとても立派であるかのように。
「迷惑をかけない」生き方は、果たして美しいのでしょうか。

寛容な社会

人間は、生まれたとき、何ひとつできない赤ちゃんです。
ごはんを食べることもできません。
排泄だって、
寝ることだって。
誰かがお世話しないと死んでしまいます。

大きくなるにつれて
一人でできることが増え、
誰かを助けることもできるようになる。
けれど、歳をとれば、また少しづつできないことも増えていきます。

人間誰だって他人に迷惑をかけることがあります。
「一生ずっと誰の手も借りずに一人で全部生きてきました」
なんて人はいません。
「迷惑かけるな!」と怒鳴る人だって、
必ず人生のどこかで誰かに迷惑をかけているはずです。

自分が他人に迷惑をかけるときもあるし、
他人から迷惑をかけられるときもある。
お互いさまです。

「迷惑かけるな!自己責任だろ!」と罵り合うより、
「いつも助けてくれてありがとね」「お互いさまよ」と
言い合える社会の方が私は好きです。

諸法無我

最後に仏教の真理の1つ、諸法無我を紹介します。

【あらゆる事は、それ単独で成り立っているのではなく、
全体の関係性の中で成り立っている。
すべての存在はお互いに依存しあっている。】

自己中心的な考えから、
広い視野で世界を見るように促してくれる言葉ですね。

金八先生風に言えば、
「人という字はね、人と人が支えあってできてるんです」的な
イメージです(多分)。


いかがだったでしょうか。
「迷惑かけちゃいけない」に縛られると苦しくなっちゃうよ
というお話でした。
どなたかの心が少しでも軽くなったら嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。



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