アクセサリ
以下、すべて私の経験にに基づく偏見です。
「学歴の高い」男は恋愛において傲慢が多い。基本女の子は自分を支える立場だと勘違いをしており、支える立場にないような自分よりできる女はパートナーに選ばない。かと言って、学歴の低すぎる女は「話が通じない」「支え合えない」などと言って本当は話をする気がないだけなのにこちらも論外である。顔の悪い女はもっと論外。自分のパートナーとして相応しいかどうか、つまり周りに誇れるかどうかが大切で、女はアクセサリでありペット。
でも女だって同じである。旧3K、新3Kだなんて入れ替わったかのように言われるが、6Kに変わっただけである。高収入高学歴高身長は当然になったのだ。だから大学には入りましたよレベルの女と早慶誇ってますレベルの男は相思相愛、大変お似合いのカップルだろう。
残念ながら私の周りにはそれなりの傲慢な残念男ばかりだ。学歴だけでは人間測れないと信じているが、彼らは学歴でしか人間を測らないから私を同じ部類だと思っており、そんな浅はかな男たちと同類だなんて耐え難い屈辱である。
そういう意味で学歴は必要である。浅はかな層に見下されずに済む。出身高校や出身大学よりそこで何を学び何を得たかが大切なのに、名前を手に入れた時点で人生勝ち組だと思っている浅はか層は、心の奥底では自分より上がいることに気づいていて、その劣等感を鎮めるために下の層を見下している。
人を見下すのが愚かだ、という話ではない。私も学歴の高い男たちを持ち上げて囃し立てて玉の輿を狙っているようなお嬢を見下している。もちろん浅はかな男たちも見下しているし、他にも他人の悪口しか娯楽のないような品のない醜い人々も、恋人をアクセサリとして扱う傲慢な人々も見下している。他人を尊敬するのと同じ心持ちで他人を見下すことがあると思うから、それが愚かだとは思わない。愚かなことは、できないを見下すことであり、見下すことそのものではない。勉強ができないから勉強をしている人と、勉強ができないと嘆きながら勉強を一切しない人とは全く違う人種である。
愚かな人間は多い。最近、SNSの普及により愚かな人間はより目立つ。人の気持ちを「わかろうとしない」人々によって誰かの何かが失われる。真実を「知ろうとしない」人々によって小さな誤解から大きな事実が曲げられていく。外側しか「見ようとしない」人々によって学歴や仕事や見た目ばかりが重用される。
付き合っている男や女のステータスの自慢話を聞かされるたびに内心げんなりする。恋愛相談に乗ってほしいと言われ、この人条件はよかったんだけどなんかね、と、ただ告白してきただけの男の条件を自慢されそっと距離をおいたこともある。彼女が生理の時の彼氏の対応をユーチューブに投稿するあれももはや流行りのアクセサリと化し、相手の喜ぶことより羨ましがられることばかり優先して尽くす。ネットで調べた「彼女の喜ぶこと」をやれば間違いないと思っている、その心持ちがいやらしい。マッチングアプリでステータスのみを比べる現代の恋愛はもはや、ファッションなのである。
要は私は悲しいのだ。見た目も学歴も何ももっていなかったとして私を好きになってくれる人としか恋愛をしたくない。私のまるままの感性だけを見てもらいたい。しかしそれは不可能である。私が自分のまるままの感性だと思っているものは、私の人生が構築してきたものであり、つまり私が勉強して得た知識や語彙、私の選択による経験が関係している。でも少なくとも私は、私を「わかろうとしない」男とは恋愛をしない。私にたいして努力を惜しまない男でないと嫌だ。そして、先に述べた「学歴の高い」男の半分は、金を出す以外に好きなひとを喜ばせようなどとしない。努力をすることを「見下している」、悲しい人々なのである。
人の恋愛にとやかく言うもんじゃない。ただおもしろいことに恋人をアクセサリ扱いする姿勢は伝染するようで、周りに急増中なのだ。人は怖い。
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