母と一緒に My 2020 Update

11月に入ってHUCの二周年企画の一環でAdvent Calenderの企画が立ち上がった。このパワフルなコミュニティのみんなはとにかく行動が早い。面白そうって思ったらそれをシェアして一緒にやってみたいと思った人がそこに参加している。てっぺんにいる人を崇めるようなピラミッド型では無くてみんなが対等、誰の顔色を伺う必要もない気負わないで、自分の好きっていう気持ちに正直な人達が集まってる。そうありたいと思っても実際にその在り方で存続することはとても難しい、実はかなり稀有なコミュニティだ。それぞれがありのままの自分でいられるから、とても居心地が良い心理的安心安全な場所。

案の定、自発的なみんながどんどんこの企画にサインアップしていった。もう残り少ないスポットを見ながら、やってみようと思った時は行動しようとコロナ禍で切実に感じた私はせっかくだからクリスマウイヴの24日を選んだ。その時はどんなアップデートを書こうか、みんなはどんなアップデートを書くんだろうかと、夫とのゴルフの打ちっぱなしの練習の後の助手席でちょっとウキウキしていた。まさかその日の夜に頭をハンマーで殴られるような連絡があるとも知らずに。

今日も朝5時半に起きてきた母の気配と朝の冷たい空気を感じて私も目を覚ます。母はまず血圧を測り、ハーブティーを入れて朝刊の連載小説を読む。そんな朝の日課を今回の実家滞在で私は初めて知った。私はミルクティーをいれて母の肩を軽く揉みながら「昨日はよく眠れた、夢を見た?」と聞く。それから6時25分からテレビを見ながらラジオ体操が始まる、二人で真面目に身体を動かす。「今日はなんだか思うように手が上がらない」と、母は寂しそうに笑った。

母の癌は進行が早くあっという間に転移も始まり、今、最後のステージにいる。今まで大きな手術もした事なく健康に気をつけて1日30品目を心がけファイトケミカルスープを毎日飲み、5000歩を毎朝父と近所のお寺まで散歩して仲間と体操が日課、少し前は夫婦でハイキングが趣味だった。そんな元気で健康な母に突然病魔が襲った。

母は2回の出産にも長期で手伝いに来てくれたし、引っ越しにも毎回来てくれた。私達の日本滞在の時には私や孫達の大好物を毎日作ってくれて特に和食の贅沢朝ごはんと父との晩酌は私の帰国の楽しみでもあった。子育ても終盤になり、一緒に母が行ったことがないパリや国内旅行をコロナが終息したら一緒に行きたいなと思っていた。栄養士の母のご飯は本当に美味しくて自分でルーからカレーも作ったり、メレンゲが綺麗に焦げたレモンパイがおやつだったり、幼い私にはそんな料理上手な母が自慢だった。糠漬けのこつを教えてもらったり、煮物を一緒に作ったり、私の得意料理を食べてもらったり、これから一緒に過ごす時間が増え親孝行がやっと出来ると思っていたのに…

小さい頃のこと、いろんなことを事を考えるだけで涙が止まらない。その連絡を聞いた夜は、できるだけ思い出さないようにと違う事を無理やり考えながら眠れない夜を過ごした。そして次の朝、そんな沢山の楽しい思い出を封じ込める事をしなくていい、泣くのを我慢しなくていい、いっぱい思い出していっぱい泣こうと、この悲しみを受けいれようと窓の外の少し明るくなった空を見ながら一人で思う存分涙を流した。親は自分よりも先に逝ってしまう、当たり前の事を突きつけられた。そして、一緒にいられる時間は自分が想像していたよりも遥かに短い。

大きな悲しみがやってくると人は一人になる。クリスマスソングがあちこちから聴こえてくる、人が朗らかに笑っている現実を外から見ている自分がいる。その世界に自分が前いたことさえも不思議に感じる。

胸がギュウっとなるような苦しくなる気持ちを癒すには悲しむしか無いことが分かった。悲しみが苦しみを癒してくれる。初めは一人でそれを噛み締めた。その暗いどんよりとした時間が過ぎた後でその気持ちを家族に話した。夫や息子たちは静かに話を聞いてくれて泣きじゃくる私をハグしてくれたり背中をさすってくれた。

久しぶりに会った母はいつものように私を「おかえり、長旅疲れたね〜来てくれてありがとう」と満面の笑みで迎えてくれた。何度となく聞いた「おかえりなさい」、この温かい声かけをこれから何度聞けるのかと思うと涙が自然に出てきてそれを見られないように「手をしっかり洗ってくるね」言って足早に洗面所に向かって顔も洗った。いつものように私の大好物の煮物を用意してくれていて味わって食べたかったけど、涙で味が分からなかった。

そんなふうに昔を思い出したり、この一瞬は今しかないとメソメソした日々を送っていた私だったが、母と一緒の時間があっという間に過ぎて治療の為に日々動くことで、今は自分の中のレジリエンスを感じている。この春NYで毎日700人も亡くなった時に私もコロナになった。救急車者のサイレンを聴きながら次は私の番かも知れないとぼーっとした頭で考えた時にも、感じたレジリエンス。あの時の死が頭をよぎった時よりも、今の方が断然リアルだ、すぐ目の前にある。

深く沈んだ心が、徐々に浮上している。苦しみや悲しみを受け入れて向き合って乗り越える力、そんな力が備わってるように私を育ててくれたのは紛れもなく私の両親。溢れんばかりの愛情で私を育ててくれたことで、私は弱い自分も受け入れしっかり落ち込んだ。あるがままに気持ちを認めた。そうするとだんだん少しずつ復活できる、人間って凄い。

この短い時間でいろんなことに気付けた。想いが一緒だからこその父や妹達とも口論。でも、泣きながら話してお互いの想いがよく分かった、父の母への愛と覚悟、妹達が頼りがいがある事、そして心強い息子たちはいつも私を励まして笑わせてくれる。長男はご飯を作った時には母に写真を送ってメッセージをしたり、次男は英語のプライベートレッスンで発音の練習に厳しい先生となったり優しい人に育ってくれた。あとは一番苦しかった時に会いたかったのは夫だった、夫がいつも私を支えてくれてることを実感した。そして自分に正直に生きてる逞しくさりげなく優しいHUCの仲間達の活動からは笑いや共感をもらっている。人生は葛藤だから、みんなもいろいろあるから、全員で伴走しあってるコミュニティにいることで勇気が出る。

母が私の手を繋いで歩いてくれたように、今度は私が母の手をひいて母の最終章を今歩いている。このシワシワで小さくなった温かい手を可能な限り長く握っていたい。どんな子供でも母の繋いでくれる手があったからこそ、離れても自分で歩いていける。その温かい手は永遠にあって母の愛は無限。こんな時なのに家族の事を心配して、そして死を見つめるということはどう生きるかを見つめる事だと言う一番尊い事を身をもって教えてくれる強い母。母は偉大だ。お母さん、本当にありがとう。

2020年、コロナ禍と母の病気で命の尊さとそれを喪失する現実へ向きあう気持ちをアップデートできたと思っている。今夜は母がクリスマスにいつも作ってくれた鳥のもも焼きを作ろう、ちゃんと持つところにはアルミはくもまいて。

今日はクリスマスマスソングが聞こえる世界に私もいる。

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