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日曜の朝からうるうる。私のケアラーのガッツと愛に感謝。そして本「ケアする惑星」「ガッツと愛」のとうもろこしシリーズ②

 Michaela, at home in Germany • Thank you very much for a likeによるPixabayからの画像


 北海道の親友からとうもろこしを毎年送ってもらっています。
 それが、いつもの農家さんにオーダーした夜にゲリラ豪雨で収穫できなくなって、他の方法を探していると知らせが来ました。

 そうはいってもやはり、手配に難航しているとの知らせを貰い、今年はもういいよ、と返信しました。というのは、彼女にはもうかなり長い期間、友人という関係を超えて、家族以上のケアをしてもらっているのに私はぜんぜんお返しできず。私の大好物ゆえに、食べさせてやりたい、という気持ちにはもう、有難いを通り越して、申し訳ないという気持ちも多々ありまして。

 それなのに、貴重な週末の朝早く、私のために農家さん探してくれて、手配してくれたとのこと。「日時指定はある?」と電話連絡くれました。

 なのにびっくりした私は「いや、いいっていったのに」とつい出てしまい、深く反省しております。その心の奥には「私にはそんなことしてもらえる価値はないのに」という気持ちがあるからなんです。多分。

 「ガッツと愛」なんて、おおげさ、って思われるかもしれませんが、こういうことって、見返りも求めずなかなか他人にできることではないと私は思っています。私はしない、できないです。一回の出来事ではなく、継続してできること、見返りを求めないこと、ただ、淡々とこなしていくのですよね。

 彼女はもちろん、私にだけこういうケアやサポートをしているわけではなく、彼女の家族、親族、他私の知らない人たちに昔からこうなのです。高校生の頃からその片鱗はありましたね。ケアラーとは思ってなかったですが。

 どうしたら、彼女たち(我が一族にもケアラーがいるので)に報いることができるだろうか。毎日なにか贈り物をすれば、私が(ケアされている側)が、人様に注目されるような大成功を収めて、それが彼女らのお蔭だといえば、自分のケアラーの資質や行い、人へ寄り添えることの尊さを実感してもらえるだろうか。言葉では何度ももちろん伝えているけれども、それはみんながやっていることだと思っているようです。
 そういう気持ち、行動ってもっと報わてもいいんじゃないですかね。個人がやりたくてやっているように見えても。実はそうじゃないことを、理解していない人が多すぎます。私も受けっぱなしでもいい、と思ってました。
「好きでやっているのだから」。
 
 他者を思いやれない未成熟な考えだったです。
 
 自分に助けが必要と「自覚」して、初めてケアされる、依存しなくてはいけない状態を知るのです。

 これは一生をかけて、私が学んでいく課題だと思っているのです。

 なぜそう感じるのか?
 (なぜかこの辺から脳内に Agust D のHaegeum が流れ始め。なんか気合入ったのですね)

 この国の政府が、国民に寄り添わなくなってきた危機感が年々強くなってきて、このコロナ禍。職業的なケアラーたちにも、負荷がかりすぎている現状が可視化されてきたこと。

 それは、小川公子著「ケアする惑星」にあるとおり、ケアラーはまわりからの評価が低すぎるということ。私のいうケアラーは、そういう「質」の人たちのこと。いつも人のお世話をすることを率先していたり、頼まれごとを引き受けたち、なにか困りごとがあると、それを助けるのは自分の役目だと無意識に行動に出てしまう人たち。家族もです。

以前にも紹介した以下の文。

日本では悲しいことに、育児 、看護、介護などのケアの 営為 に対する評価は著しく低い。 知的領域でも公的領域でもケアの価値がないがしろにされているというこの切実な問題が語られない限り、家父長的な言説に抗うことはできないのではないか。

「ケアする惑星」著:小川公代

↑ このインタビュー記事の紹介がわかりやすいです。

↑ リンク先、目次詳細、試し読みもあるよ

 この本は、18世紀医学史・英文学研究者の小川公代さんが、アンネ・フランクやヴァージニア・ウルフ、フロイト、オスカー・ワイルド、ジェイン・オースティンなどの文学やTVドラマ、日本のアニメなど、彼らの視点や物語の登場人物を通して、ケアラーとは? ケアすることとは? その意義とは? を描いています。彼らの作品を新たな視点、理解で受け止めることができるのと、かなり踏み込んだ彼らのトラウマや嗜好なども書かれており、想像を超えた世界でとても興味深かったです。他にも「約束のネバーランド」についての項目やちょこっと「鬼滅の刃」にも言及していて、思い切りうなづけるところもあります。

 「呪術廻戦」の虎杖悠仁 くんなんか、まさにケアラー。なぜ少年ジャンプ系の人気作品の主人公たちは自己犠牲の上で人を助ける設定なのか、常々疑問に思ってました。ケアラーって、WinWin にはならない? 

 でも小川さんは、ケアラーが自己犠牲であってはいけない、と書かれています。

 そのためには多くの人の理解と、社会の変革が必要ということです。

追加:9月7日 結局、とうもろこしを親友が手配してくれて、無事とどきました。どんなとうもろこしが届いたか、どんな食べ方をしたかを書いた「ガッツと愛」のとうもろこしシリーズ③ と、とうもろこしへの思い出を書いた「ガッツと愛」のとうもろこしシリーズ① あり。




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