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「Hマートで泣きながら」のミシェルに伝えたい、「ミステリと言う勿れ」久能くんの言葉。

Michal DziekonskiによるPixabayからの画像 

「ケアする惑星」を読了して、紹介したいと思いつつ、後回しになってしまっている。ケアをする、してもらう、ということへの認識が大きく変わってしまったので早く書きたいのだが。

 と思いつつ次に読んだのは「Hマートで泣きながら」(著:ミシェル・ザウナー)。著者である「ジャパニーズ・ブレックファースト」(「リトル・ビッグ・リーグ」のミシェル・ザウナーによるソロ・プロジェクト)彼女を知ったのは、21年のグラミー賞でBTSとの写真。知り合いなのかと思ったら、記念写真を撮影しただけとのことだったが、最近、BTSのジョングクくんの家にこの本があったのが読むきっかけ。
 
 私は本の紹介を誤読していて、彼女が韓国人としてアメリカで成功した即席をたどる内容だと思っていた。確かに父・アメリカ(白人)/母・韓国人のミックス・ルーツを持っていたけど、まさか母親の介護の話が中心だとはまったく思っていなくて、また「ケアラー」の話なの? で、読み始めた。


喪失感のセラピーに効果があったのは、キムチ作り。

 

著者:ミシェル・ザウナー訳者:雨海 弘美

味の記憶は、愛の記憶
父はアメリカ人、母は韓国人。
十代の日々に一度は決裂しかけた母を闘病の末に亡くし、
韓国文化との唯一の架け橋を失ってしまった著者、
ミシェル・ザウナー(ジャパニーズ・ブレックファスト)がだどる、
喪失と再生のメモワール。
ニューヨークタイムズ、タイム、エンターテイメントウィークリーなど、10以上のメジャー媒体で2021年のベストブックに。オバマ元大統領も推薦!
「Hマート」は、アジアの食材を専門に扱うアメリカのスーパーマーケット。人々が「故郷のかけら」や「自分のかけら」を探しにくるところ。——韓国人の母とアメリカ人の父のあいだに生まれたミシェルは、アイデンティティに揺れる十代のときに音楽活動にのめりこみ、猛反対する母親とは険悪な関係に。それから十年、やっとわだかまりがとけかかったころ、母親の病気が発覚。辛い闘病生活の末に母は亡くなってしまう。喪失感から立ち直れず、途方にくれていた彼女を癒してくれたのは、セラピーでも旅行でもなく——韓国料理だった。
【著者略歴】ミシェル・ザウナー Michelle Zauner
韓国ソウル生まれ。米国オレゴン州ユージーンで育つ。父はアメリカ人で母は韓国人。16歳でギターを手にし、作曲を始める。Japanese Breakfastの名で発表したアルバム「Psychopomp」(2016)で注目され、「Soft Sounds from Another Planet」(2017)を経て「Jubilee」(2021)を発表。2022年第64回グラミー賞2部門にノミネートされた。
「Crying in H mart』(本書)は2021年に刊行され、1年以上ニューヨークタイムズ・ベストセラーに入り、10以上のメジャーな媒体でベストブックに選出されている。
 

 美しくて繊細でわかりやすい文章。翻訳の雨海さんもセンスが良い。
 時々、食べ物に性的な表現をするのは、嫌だけど。

  韓国TVドラマ並みの壮絶な激しい母娘関係がこれでもかと描かれていて、過干渉の母親に私は読んでいてうんざりする。どう考えても、娘をコントロールしようとする、いわゆる毒親なんだけど、紙一重で愛情がとてつもなく深いお母さんなんだ、ということが死後少しづつ見えてくる。韓国の家族における、血縁の関係の濃さ、距離感、執着に近い愛情がスタンダードであることをミシェル自身も気づいていない。

 反抗期にさんざん逆らったことでミシェルは、介護を完璧にすることで完璧な娘になり、母親への恩返しをしようとする。でも、韓国の言葉や文化を深くは理解していないミシェルは、母親の友人に介護に主導権を譲るしかない。そのジレンマ。美しく、精力的だった母親が衰弱していく姿を見守るしかない、その心情は計り知れない。
 そして母親の死。
 そこからのグリーフと再生をさぐるミシェルの人生が始まる。
 

 ミシェルは、終わりの方で「介護に失敗した」と書いていて、うん、そうじゃないよね。そんなことはない! と思っていたら、
 ちょうど、TVer でTVドラマ「ミステリと言う勿れ」(原作:田村由美)が期間限定再配信23/08/13現在)。
(とても好きでコミック原作も読んだし、ドラマも何度も見ているが、セリフまでは覚えていないw)

久能整くんのセリフをミシェルに聞かせたい!


Tver   https://tver.jp/

その5話「 奇妙な入院生活!22年前の未解決事件が動き出す」で、入院中の主人公:久能 整(ととのう)くんの隣の患者:牛田さんが「刑事として負け、長い闘病生活の末病気にも負ける」への回答。

  あの僕ずっと疑問に思ってました。どうして闘病と言うんだろう 戦うと言うから 勝ち負けがつく。
 例えば有名人が亡くなった時に報道ではこう言います。
「病には勝てず」「病気に負けて」「闘病の末 力尽きて」
 
 どうしてなくなった人を鞭打つ言葉を無神経に使うんだろう。
 負けたから死ぬんですか ? 
 勝とうとしたら勝てたのに、努力が足りず 負けたから死ぬんですか?
 そんなことない。
 僕ならそう言われたくない。
 勝ち負けがあるとしたら お医者さんとか医療ですよ。
 その時点で医療が負けるんですよ 。
 患者本人が あなたが負けるんじゃない。

ミステリと言う勿れ
5話「 奇妙な入院生活!22年前の未解決事件が動き出す」
フジテレビ
2022年放送

  これだ! ミシェルに伝えたい。
患者も負けた訳じゃないし、
当然介護したケアラーに失敗なんてあるはずもない。

すでに彼女はリカバリーしていると思うけれど、家族の介護で傷んだすべての人にこのセリフを伝えたい。

日本語字幕あり。


DONGWON LEEによるPixabayからの画像 
向かって左上が「Hマートに泣きながら」によく出てくる
”チョンガク”(小ぶりの大根のキムチ)


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