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「沖田総司」と「アンチヒーロー」と「物語」

 沖田総司。それは、誰もが知る新撰組の一番隊組長である薄幸の剣士の名だ。何故薄幸なのかというと、彼は結核を患っていてそれにより若くして亡くなったからである。そして、この説から沖田総司という人物は様々なコンテンツにおいて病弱な美青年として描かれることが多い。私はこの剣士のそこに惹かれたのだ。こういったキャラクターは重度のオタクで病弱設定が特に好きな私にとってドストライクなのである。そして、特に私が好きなのは『薄桜鬼』というアニメにもなった新撰組の乙女ゲームに登場する沖田だ。他にも、『新撰組異聞PEACE MAKER』という漫画では結核を患っている色白な美青年としてストーリーの中で描かれている。しかし、新撰組ファンや歴史好きの人ならご存知だと思うが実際の彼の肖像はあまり美形とは言えない顔である。なら何故、美形でなおかつ薄幸なキャラクターとして描かれることが多いのだろうか?

 また、彼の所属する新撰組は史実に基づいて様々な作品で「ヒーロー」として扱われたりする。特撮などのヒーローものも好きな私はこういったところにも注目した。「ヒーロー」の持つ要素とは一体なんなのだろうか?個人的には、ヒーローの持つ要素とは何かを成し遂げた、活躍した、など世間にとって肯定的である英雄的な要素ではないだろうかと考えられる。

 しかし、新撰組は英雄として扱われる一方で当時は人斬り集団として嫌われていたという説もあり、反英雄的な側面もあると考えられる。そう思うとヒーローの中でも特にアンチヒーローが好きな私はたまらなくなった。私が魅力のある悪役的なヒーローに惹かれるのは、人殺しがいいことだとは断じて思わないが自分自身も誰かに好かれようとしたり、自分を押し殺してまで周囲に無理して合わせたり自分の嫌いなことをやるのが苦しくてとても嫌であるが故に、周囲に何を言われようとどう思われようと嫌われようと彼や彼女らの自分の信念をしっかりと持って行動している姿に悪の美学なるものを感じるからかもしれない。

 では、アンチヒーローの持つ要素とはなんだろうか。それは何かを成し遂げようとしているというヒーロー的な要素を抱えつつ、世間から見ると決して善人とは言えない行動をしており、人からはあまり讃えられないというヒーローとは正反対の悪役の要素も兼ね備えているところではないだろうか。そして、「イケメンは正義」とでもいうのか美形設定やそこに病弱である、悲劇的な人生を送ったなど同情を誘うような一部のオタクにはたまらない萌え要素のある設定が加えられるとキャラクターとしての魅力も増し、物語にも深みが出る。さらにそのヒーロー的要素、またはアンチヒーロー的要素が強調されるといった相乗効果が得られるのではないだろうか。よって、沖田がどこか儚さのあるキャラとして描かれることが多いのは物語に深みを出すのはもちろん、一つのキャラクターとしての魅力を前面に押し出すためかもしれない。とにかく設定が凝った濃いキャラクターが大好きな私はそう思う。


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