マネー大学

マネーボール(マイケル・ルイス著)を読む。野球選手の能力を数値化して見逃されている特性を持った選手(出塁率が高い・四球が多いけど足が遅くて見た目の悪い野手など)をデータ分析で探し出して安い費用でお金持ちのチームを負かすという話である。データ分析を実際に野球で実践したビリー・ビーンGMの人生のドラマを描いたとても面白い本だ。

そこで思ったのだけど、日本の大学を野球の球団のように運用して教授は野球選手のように頻繁にトレードしたらどうなるだろうか。まず第一に、選手(教授)にお金を出してくれるスポンサーが必要なので、どの大学も企業の出資を受ける。名前も変えて読売東京大学とか、西武一橋大学とか慶応DeNAとか東北楽天大学とかになるわけだ。で、どの大学もタイムズ・ハイアーエデュケーションとか上海交通大学とかのランキングを毎年競い合う。どのランキングも発表されるタイミングは異なるから、新しいのが発表されるごとに大学の順位は入れ替わっていく。で、年度末に今年の平均値をとって優勝大学を確定させ、全国的に大きくお祝いするのである。優勝した大学では学長と教授がシャンパンとか日本酒をかけ合ってもいい。盛り上がった学生が川に飛び込んだりするのもニュースになっていいかもしれない。

教授のトレードは、各大学の経営者が教授の大学ランキングに対する貢献度のみを考えて引き抜きを行う。大学ランキングは研究力や生徒の満足度・卒業後の給料など多様な要因で決まっているから、ノーベル賞を取りそうな人だけを大量の資金で雇ってきても効率が悪い。むしろ、ビリー・ビーン氏が野球でやったように教授の実績を多面的に数値化して、チームに欠けている要素を補うようなトレードが望ましいだろう。

給料のもととなる教授の能力とはなんだろうか。攻撃面(研究)では野手の場合、打率、出塁率、長打率、盗塁数、四球数などが大事になるのだろうが、研究者の場合、一年間に新たに描いた一人当たり論文数(出場試合数)、投稿して採用された一人当たり論文数(打率)、インパクトの高い一人当たり論文数(長打率)、外部研究費獲得額(出塁率)などが指標として考えられる。受賞歴や既存論文の引用数は過去の研究に与えられるものなので野球で対応する概念はないようだが多少は考慮してもいいかもしれない。あとは、論文数は共著者の数で割って「一人当たり」の値で考えることが大事である。共著者が50人いる論文の価値は、単著論文の1/50ということ。
防御面(教育)では投球回、防御率、与四死球というところだろうが、ランキングを最大化するために人気のある科目を担当できる教授に他の人よりも沢山授業を持ってもらうことが考えられるので登板試合数(授業のコマ数)と防御率(授業評価)などが教授の価値の要因となるだろう。ただ、一般的に授業がうまい人は研究がうまい人に比べてはるかに人数が多いため、需要・供給の関係を考えると授業がうまい人を雇うのに多額の給与を出す必要はない。自分のいる大学でも研究担当の教員と教育担当の教員では給料が倍近く違う。こうなると、限られたリソースを有効に使うためには攻撃面に重点を置く必要がでてくるだろう。

一人の教授が攻撃面・防御面両方に秀でている必要はなく、チーム全体として研究・教育両方ができればよいので、一芸に秀でた人間を取るのか、オールマイティなプレーヤーを取るのかは各大学に任されていると考えてよい。打撃だけではなく走塁・守備も優れているイチローのように、研究も授業もできるというスター教授というのは少しはいるけれど、こういう人は高額の給与がなければ雇えないはずなので、一芸教授を割安で雇えればそちらのほうが良いという判断もありうる。このように適材適所の考え方が進めば、選手に球場のチケット売り場で販売員をさせるような(つまり、教授にセンター試験の監督をやらせるような)無茶な采配をする監督(学長)がいる大学は淘汰されてなくなっていくだろう。

「マネーボール」では従来のスカウトの主観に頼った採用を批判し、過去の実績に基づいた採用にシフトすることによる優位性を強調している。スカウトの主観とは、選手の体型とか、顔つきとか、足の速さなどの試合に勝つための要素とはまるで無関係の要因に左右される。このため、背が低かったり、太っていたり、ボールを投げるフォームが変などなど、見た目が「不思議」だとたとえ試合で結果を出していても全然評価されない。例えばチャド・ブラッドフォードは中継ぎ投手として最高の成績だったのにアンダースローで140KM以下しか投げられないという理由でアスレチックス以外からは相手にされなかった。アスレチックスだけがこういう変な選手を大量に安く採用して勝利を量産したのである。

日本で教授がどうやって採用されているのか自分は知らないのだけど、北米での採用スタイルはかなり主観的である。過去にその研究者がどのような論文を書いたかとか、今どういうプロジェクトをやっているのかというのは思ったほどは重視されない。代わりに大事なのはプレゼンテーションのうまさである。採用する側としては沢山いる候補者の論文をいちいち全部は読んでいられないので、候補者にプレゼンをさせてみて、聴衆からの質問を華麗にさばける人を高く評価する傾向が非常に強い。つまり、厳密な数値分析とか理論の証明などよりも面白くて新しそうなストーリーをすらすらと話せる人が好まれるのである。

もちろん、過去に書いた論文実績を評価しようという真面目な人も少しはいる。しかし、意外なことに過去の実績というのは文句をつけたければいくらでもつけられるのである。いわく、「この論文は共著者数が多いから本人の貢献は少ない」「共著者が大物だから本人はただのアシスタントだったのだろう」「このトピックは古いからこれからこのテーマではパブリッシュできないだろう」というもっともらしいところから、「自分はこういう論文はつまらないと思う」というただの感想のようなもの、「本学では将来ノーベル賞を取れるような大きなアイデアを持った人を探しているので、過去に書いた論文の本数を単にカウントするようなことはしない」という大げさなものまで色々ある。

じゃあ過去の論文(あるいは引用数)以外で何で決めるかというと、採用側の主観によることになる。プレゼンで決まるということは、研究内容ではなくその人の英語が達者かどうか、見た目が知的かどうか、笑顔が素敵かどうか、なども無意識のうちに影響してくる。だいたい、ランチとかディナーでの会話も評価対象なのだから、「この人論文書けそう」という人よりは「この人頭がよさそうだし話していて楽しいな」という人を採用することになるのは必然であろう。頭が良さそうな話し方で、フレンドリーでおまけに論文もかけるという人材は極めて限られているので、同じような人を複数の大学が奪い合う一方、一つもオファーがもらえずにいつのまにか名前を聞かなくなった人が無数に出てくる。

したがって、ビリー・ビーンがアスレチックスでやったように、日本の大学が客観的なデータに基づく採用システムを構築すれば北米の大学が採用にかけているよりはるかに安い費用で研究力を上げることが可能ではないかと考えらえれる。ここで教授の今後数年間のアウトプットを予測できるデータを集める必要が出てくるが、これは本人の書いた未発表論文(ワーキングペーパーと呼ばれるもの)及び最近刊行した論文を利用すればよいだろう。人工知能を利用したツールで論文の将来性を判断し、データから導かれる今後数年間で予測される論文のアウトプットとの対比で給料が割安でも来てくれそうな人に面接なしでオファーを出す。大事なのは過去の論文ではなく今後数年間の予想論文数なので若手に対するオファーのほうがシニアの採用よりも条件は良くなる。スター選手がビリー・ビーンGMの10倍以上の給料をもらっているように、研究ができて他チームからの引き抜きの対象になる若手教員の給料が学長より高くなるのも当然だろう。

こうすれば、対面の印象に頼る北米の大学よりお金のない日本の大学が効率よく研究のアウトプットを出せるようになるんじゃないかと思うんだけど、どうでしょう。

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