ミシュランへの道 やきとりや人生2

Oさんは、私が20代後半に新宿の花園神社の隣にあったビジネスホテル「ミ〇ベル」とうビジネスホテルで出会った人物だった。フロム・エー?という求人雑誌で夜勤フロント募集18000円という良い条件の募集につられていって無事アルバイトで夜勤に入ることになった。


今から約30年くらいになる。昼間のフロント勤務の人は、稲◯さんと言う人で、夜勤担当がOさんだった。


この稲◯さんという人物は、ちょっと癖のある人物だった。今でいうマニアでオタクだった。しかし、仕事に関してはしっかりやるし、間違いもなく、フロント業の仕事ぶりは完ぺきな人だった。夜のシフトに明けに稲富さんに引き継ぐのが主な仕事だった。稲富さんが朝来てくれるのは、当たり前だが安心感があった。


フロント業務は12時終わりなので、12時になったらフロントで寝てもよかった。しかしたまに12時に帰らない人もいて、そういう時は電気を暗くして待っていた。このホテルは、新宿にある三越とかデパートに入っている業者が多かった。いつもほぼ満室状態だった。一度夜遊びにフロントを空けていたら、お客さんが戻って来たという苦い経験もある。


また、場所柄が新宿なので、女性のマッサージを呼ぶお客さんもいて、女性が入室すると帰りにチップをよくもらっていた。そんな楽しいビジネスホテルだった。稲◯さんは、基本に平和主義者で見た目がごく普通の人?で、いやがらせや命令口調はなかった。


ただ切れると壁を蹴るというおかしな癖があった。ふだんニコニコしているが、切れると怖そうな人だった。本質的にはやさしい、いつもニコニコしている安全な人?だった。ただキレやすい。


このホテルは小◯家の持ち物で家族経営だった。戦後丼ものを出して成功した初代小◯のお爺さんがフロント奥に住んでいた。メインのフロントは稲◯さんだが、Oさんもミラベルの夜のスタッフであり、小◯家から絶大の信頼を得ていた。人の人選も面接もOさんがやっていた。夜の仕事のやり方を教えてもらったのは〇〇さんだった。実際フロントに入ると、夜番の〇〇さんには会うことがない。


180㎝100キロの巨体だったが、いつでもどんな時でもスーツを着ていた。普段着もスーツだった。人前ではキチッとしていることが彼のポリシーだった。まさにホテルマンを地で行く人だった。ミラベルに来る前のOさんは、赤◯プリンスホテルのフロントマンやボーイを体験してきたプロのホテルマンだった。


若い頃は、スリムで見栄えのいい青年で、皆から信頼を得ていた。今ではそのかけらもなく、100キロ越えの巨体になってしまったが・・・それもこれも、グルメと日本酒のせいで、現在の体形になってしまった。ダイエットとかまったく気にしない。食うだけ食うという大食漢だった。Oさんの趣味は美食と日本酒と観光旅行で、各地のおいしい食を食べることが趣味だった。本物のグルメなのだ。


フロント業務の接客は、さすがに完ぺきで、絶対間違えることはなかった。まさにフロントマンの鏡だった。年下であろうと決して命令口調にならない、どんな時でも敬語を使うジェントルマンなフロントだった。


私が体験した職場では、必ず上下関係があった。年下と見ると、新人とみるとすぐに命令口調になったり、いばったりする。そういう卑しい性格の人ばかり出会ってきたので、だからアルバイト先ではいつも警戒していた。


上から目線の人とは合わないし、睨み返すので長続きしないのだ。稲◯さんと〇〇さんに関してはそれがなかった。小◯家の人もそういう感じがなかった。ただフロントの後ろにある部屋に、小◯家の初代がいるだけで、特に文句は言われなかったが、よく「あんたは警備のほうが向いている」と愚痴られたものだ。しかしのんびりした環境下では、長続きできた。


つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?