自己紹介 陸上競技1

はじめまして。友人がしているのを見かけ、面白そうだと思いnoteを始めてみました。上手くはない文章だと思いますが、良ければ読んでください。お互いの暇つぶしになれば嬉しいです。

まずは軽い自己紹介から書きたいと思います。 私は小学校から陸上をはじめて、中学、高校と競技を続けました。約9年間陸上をしていたことになります。競技自体は高校で辞め、今は地元の大学に通い、理学療法士を目指しています。今日はそんな自分の陸上人生について書きたいと思います。今回は前編です。

私は小学校低学年になるまで水泳をしていたおかげか、短距離走は人並みだったものの、長距離は少しだけ得意で、1年生と2年生の時にはマラソン大会では1位でした。これは自慢です。マラソン大会で1番をとるとお母さんがとても喜んでいて、ゲームを買ってもらったのを今でも覚えています。そんなこともあったおかげか、気づくと走ることが自分の得意なことになり好きになっていました。友達の家に遊びに行けば体を動かすことや鬼ごっこやが好きで、気づいたらよく隣の町内まで逃げていたこともよくありました。周りの子には大迷惑ですね。今もこういう好奇心は変わっていない気がします。笑 高学年になると野球を始めたみんなやサッカー部の子などが速くなっていき、マラソン大会で入賞する事もできなくなっていました。超悔しかったです。それでも走る事が好きで、4年生になると陸上クラブのようなものに入り(年に3回くらいだけ集まって大会前の2週間練習するだけ)、大会などにも出ました。結果は残せませんでしたが、みんなと練習したり、一生懸命なにかをできることに充実感がありました。

中学校に入ってからは友達とバドミントン部に入ろうと思っていました。走るのももうはやくはなかったので。ほぼほぼ決めていて最後に1度だけ陸上部を見に行きました。長距離をしていたのはたった3人の先輩方だけでした。『人が足りないからはいって!バドミントン部も最初のうちはずっと走りこみやん』このなにげない先輩の言葉で私は最後の最後で陸上部に入ることに決めました。ちなみに現在は引くほどバドミントンが下手なので、きっとセンスは0に近かったと思います。どうせ走るなら陸上部でも同じか。くらいの気持ちでしたが、入部してみると想像以上の地獄の日々でした。毎日5キロ程走って、100mを何本か走って、筋トレをして。あっという間に貧血になりあっという間に怪我をしました。中学1年生の150cm、30kgほどの自分には辛すぎました。けれど先輩方と同期の仲間合わせて5人しかいませんでしたが、毎日一緒にいるのが楽しくてやめたいとは思いませんでした。あと圧倒的に遅すぎる自分が悔しかったのもあります。冬になると怪我も貧血も治り、練習でもくらいつけるようになっていました。必死に先輩の背中について行きました。

2年生になって転機が訪れました。練習を頑張ったおかげで2年生になって1発目の試合でかなり記録が伸び、他の中学校の選手とも競えるようになっていました。うっしゃー。調子に乗って練習しまくっているうちにどんどん速くなりました。先輩が褒めてくれ、家族も喜んでくれ、また私は走るのが大好きになっていました。練習は先輩には1秒でも1mでも勝ちたいし、後輩には1秒も1mも負けたくない。授業中は部活で走るのが楽しみすぎて、今日はどういう風に走ろうとか、そんなんでした。ちょっとヤバいですね。結果が伴って、私は本当に陸上が好きになりました。9月にあった駅伝では優勝候補だっだと思います。たった3人の先輩方と助っ人できてくれたサッカー部の先輩はとても速く、自分も後輩も少し成長していました。勝って全国大会に行けると思っていましたが、1位と20秒差で敗退してしまいました。1人3秒程縮めればというところです。先輩方との目標を達成できなかったことは本当に悔しかったです。

この頃かすっかり陸上にはまっていた私には夢ができました。箱根駅伝に出場するということです。正月にテレビで見る大学生はめちゃくちゃはやくてカッコよくて、感動しました。特に5区の山登りにはロマンがあり、つよくあごがれをもっていました。憧れて朝練習ではにし○ま公園に行き坂道を何度も駆け上がりました。今考えると辛すぎてゾッとしますね。笑

3年生になってからは駅伝で負けた悔しさもあり、たくさんの練習を重ねて、記録も伸びました。しかしこのころに勝てない選手がいることにも気づき始めました。隣中の彼です。気づくと彼には1度も勝ったことがなく、地区大ではいつも2位、県大会にいっても常に前に彼がいる状態でした。担任の先生にもシルバーコレクターと言われるほどでやるせない気持ちでした。3年生の駅伝では3年生学年がほとんどいなかったこともあり、あっけなく負けてしまいました。終わってしまう寂しさもありましたが、次に向けて頑張りたい気持ちの方が大きく、この時は悔しさはあまりありませんでした。ありがたいことに地元の強豪校から声をかけていただき、高校でも陸上を続けることになりました。高校では中学時代の先輩方、(助っ人のサッカー部の先輩も)や隣中の彼と同じチームメイトになることが決まっていたため、さらなる高みを目指して頑張っていこうと決心しました。チームメイトを越すこと、ライバル校に勝って全国高校駅伝を走ること、その後関東の強豪校へ行き箱根駅伝に出ることがこの時点では目標になっていました。

今日は疲れたのでここまでにします。次は陸上競技2、高校時代から書きたいと思います。読んでくれてありがとうございました。思い出みたいな感じですね。終わります。