見出し画像

【山本健一】 2019.11.10 ツール・ド・おきなわ 140 O40 19位

(トップ写真は盟友より拝借)

およそ2926文字 長文注意。

割と昨年出場の記憶が割と鮮明なまま、あれれもう一年経ったのか。
今大会二か月前あたりからこの日までのカウントダウンをチーム報ではじまってからあっという間だった。

このレースは誰からも期待されていないので気が楽な反面、ひと泡吹かせてやろうとも思っているが、ここ8年くらいは空回りが続いている。それもそのはず羽地ダムコースになってからまともに完走できていない。
今回シーズンは業態が変化して翻弄されたが、最後のつもりで練習に打ち込んだ。悲惨な被害をもたらした台風被害もあり気分が消沈した時期もあったが、トレーニングは下限で継続できたと思う。よって機材もカラダの状態も充分。むしろ直前までワークアウトをしすぎたか、現地入りしてからレストデイがもう1日ほしいな、という感じの疲労感。とはいえ過去を振り返っても良い状態でしょう。

さて大会前日はコース試走を行い、危険箇所や後半の上りの距離時間を体に叩き込む。普久川ダムの1回目、2回目の後の学校坂の5分間をどうこなすか。

17分の上り。真綿で首を締められるような長い登りでの攻撃に耐え、いかにダメージを蓄積せずにしのぐか。今はまだ自らが主導権を握って上れない。よって終盤まで目立たないように我慢の走りに。そして羽地は気合と根性で上るつもりで。

画像2

マスターズといえども強者の名前がちらほら見える。
案の定、開始5kmから始まる最初の普久川ダムでは上り中盤でスルスルと抜け出した山本(裕明選手、敦選手)コンビともう1人が抜け出す(このダブル山本が120kmほどをそのまま逃げ切った。素晴らしい)。筆者はというとKOM付近で先頭からじわじわドロップしながらパワーを抑えつつ惰性でほぼ最後尾で、青色吐息で上りきる。

前に見える追走集団でしっかり上り切れたのは25人ほどと記憶している。こちらも下りを利用し、補給所までには追いつく。奥の平坦のころには50人ほどまで膨れ上がっていた。ここで逃げとの差は40秒ほど、ここで捕まえて振り出しに戻せばよかったのだろうが、集団の意思は「強力な2名の足を削りたいので、もう少し泳がそう」で統一されていたと思う。個人的にも強いクライマーが戻され、2回目の普久川で集団崩壊を招くと致命的なダメージが及びかねない。それよりも大きな集団で学校坂以降に捕らえるようなプランを描いていた。なにしろ一度目の普久川でちぎれかけているし。
奥の先の平坦はローテーションに加わりながらペースが落ちすぎないように。一定ペースで再び普久川ダムへ。緊張していたのを覚えている。

上り始めた2度目の普久川は異様に足が軽い。さっきが嘘のように呼吸も乱れることなく先頭付近でKOMを通過。タイムは1度目とほぼ同じだったらしい。1度目のオールアウト近い高ストレスの後、レストできたことで血管拡張したのか、むしろパフォーマンスが亢進した。練習でもしばしばインターバル後半にかけて疲労しているはずなのに狂ったようにギアがかかって爽快感さえ覚えることがあった(当社比)。

下りに入り、チームメイトの福田さんを先頭にハイペースで下りをこなす。やや番手を落とし、10番手ほど。下り切って集団はスピードが緩む。次のポイントである学校坂で遅れるわけにはいかない。こちらはそのまま惰性を生かしてメイン集団から抜け出し、50mほど先行気味で上りへ。死力を尽くして...というよりは維持できるペースで上り、集団が追いついてくるのを待つ。たぶん2分ほどで捕らえられた。3位の山崎店長がいいスピードで追走してきた気がする。頂きまであと3分弱。キツイがとにかく耐える。もっとも苦しい時間で永遠の長さに感じる。いろいろ思い出してここでちぎれてはならんと攣った部分で踏まず、ペダルを引き上げるつもりでやり過ごす。

ここでもオールアウトしたがなんとか乗り切って緩斜面でスピードが緩んだ集団に追いつく。すでに20人ほどまで減った。だがそろそろ追走しないと…。

しかし先頭も必死で逃げているはず。この逃げの辛さは想像を上回るものだろう。最大で3分40秒の差が開く。
周囲選手の走りにも疲労感が見えはじめているのがわかるが、それなりのスピードで坦々と走れるので不安感はない(追いつけるのか?と聞かれると微妙だったけど)。上りを引く数人メンバー、下りは福田さん、のような固定メンバーでペースメイクされる。

慶差次を過ぎてから数回上りではなんの負荷も感じないほど軽かったが、7分ほどの二段階の上りで急激に失速してしまった。補給も間に合っているはずだが......。同時のタイミングで福田さんも切れかかるがなんとか食らいついている。こちらは集団の少し後ろに後退。下りきるまでに200mくらい遅れたが、平地でペースが上がらないときになんとか追いつく。その後の平坦以降は軽微な丘と羽地ダムのみ。海岸線はサラ足で上ると気持ちよく踏めるところだが、レース終盤としてはまさに壁かよって感じの辛さ。羽地まで回復を祈り片側通行部分でローテに入るが、先頭を引くのもきつい。これはあかんな。。。と決めつけてしまう。羽地では集団も緊張感がある。ラップボタンを押す音が一斉に響く。ゆっくりめに入るが、じわじわとペースが上がる。上り始めて3分ほどで、ジリジリと遅れる。トンネルを抜けてアップダウンで死力を尽くす(したつもり)が、他の選手の方が我慢強かった。次第に見えなくなりなす術なく苦痛に悶えながら、出涸らしの脚で走れるペースで上る。わずかな距離で3名ほどにパスされてしまうが、下りは全力で踏む。国道58号に入り平坦区間で2名に追いつき、ゴールのスプリントでは先着させてもらった。羽地の上りの苦痛に対する覚悟が足りなかったか。福田さんが前に残ったので安堵したかもしれない。いずれにしても遅れたのが事実。

結果19位で3位集団とは1分半くらいの差。トップから3分遅れ。とはいえ大河のような8年間の悪しき流れを変える治水への第一歩か。鬼門としていたレースにノントラブルで走り切れたことが唯一の好材料と捉えている。コースのキツさを忘れたかのように、なぜかまた挑戦をしてもよいかな…などと考え始めているのはビョーキかもしれない。
日々使えるわずかな時間をやりくりし、負ければ報われない辛いトレーニングの日々もまんざらではなかったんだろうか(目的意識によりますけどね)。いわゆるライフワークということなんだろうな。
来年も多分走ります。レースで一緒に走るみなさん、またよろしくお願いします。

画像1

相棒のバイクもいい仕事してくれた。レース中盤以降、先頭集団には自車を含めて3台いたのがうれしい。
弊チームのペダリングマスターに言われたことを密かに実践したりのが功を奏したのか懸念の腰痛とかなかった。ポジション設定も良かったのかも。
KNOT45SLホイールは超軽量ではないのだがよく上れる。例えるならカーボンカウル+アルミリム時代のコスミックカーボンのような雰囲気→よく回ってくれて、ロスなく上りで前に引っ張られるイメージで好み。
でも、この冬はチューブラーリムも試すつもりなので今からワクワク。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?