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[34本目]人生で一番迷走している

2020年というなんだかいい感じの並びの年なのに、アレのせいでとてもとても混乱している。会社についてこれまで先延ばしにしてきたことの結論を、少なくとも数ヶ月以内に出さなきゃいけない。しかも、個人としてもめちゃめちゃ問題が山積みで、かなりテンパった状態になっている。これだけ考えなきゃいけないことと決断しなきゃいけないことが山積みになると、完全に身動きが取れなくなってしまった。

外的要因で不安定な状況になったことは、大学時代の阪神・淡路大震災の時と、2011年3月11日の東日本大震災の2回だと記憶している。

阪神・淡路大震災の時は大学3回生で、ちょうど後期の試験期間中で明け方まで一夜漬けをして寝た直後だった。京都でも震度5の揺れで、自分が住んでいた風呂なしのボロアパートがぶっつぶれるんじゃないかと感じるほどだった。テレビに映し出される神戸は、信じられないくらい酷い惨状だった。サークルの知人が住んでいるエリアが大規模なガス漏れで避難勧告が出ていたり、全然連絡を取ることができない知人がたくさんいた。

震災から3・4週間くらい経った頃かな、思い立って阪急でいけるところまで行ってみた。その駅から見えた景色は、テレビで散々見ていたぐにゃんぐにゃんの線路がそのままの状態になっていて、その状況を見て呆然としてしまった事を覚えている。近くのスーパーは相変わらず商品が少なくて、この先どうなってしまうのだろう。人生で初めて、天災によって日常いや人生が破壊される現実に呆然となった。

阪神・淡路大震災が1995年の出来事で、もうこのレベルの震災には見舞われないだろうと思っていた。しかし、2011年にさらに恐ろしい震災により日常や人生が奪われるシーンに直面する。

あの日、俺は技科大、豊橋技術科学大学にいた。言語処理学会の本大会後のワークショップで招待講演の最中だったと思う。あれ、地震だなぁと思ったけど震度3くらいだったから講演も続いてて、でも周囲の参加者が徐々にざわつき始めてネットでチェックしたら、東北で震度7で大津波警報が出ているとか。自宅の東京も震度5弱で、安否はネットですぐに確認できたけど結構酷い惨状になっているとか。講演は終わって、ワークショップは続けるとかアナウンスしてるけど、さすがに話を聞いている気分にはならなくて豊川の実家に帰りテレビを付けると、見たこともないような津波が東北の町を襲っていた。阪神・淡路大震災の光景がフラッシュバックしてきたけど、直感であれを遙かに上回る規模だと感じた。

豊川には車で来ていたけど、東名も中央道も通行止めになっていて、もちろん新幹線も動いていない。とりあえずその日は帰るのを諦めて、翌日帰ろうと思ってテレビを見ながら寝落ち。目が覚めて高速の状況を確認するけど、まだ東名の通行止めは続いている。意を決して中央道経由で帰ることを決め、東京も相当混乱していたので色々な物資を買って中央道を東へ。豊川の駐屯地から自衛隊の車も向かってたし、西日本各地からインフラ関係の車もたくさん。その中でもものすごく印象に残っているのは、東北ナンバーの車が凄いスピードで自分の車を抜き去っていったこと。

東京に帰ってきて、人的な被害は無かったのは不幸中の幸いだったけど、原発という目に見えない脅威がせまりつつあり、、、なんというか、確実に日常や人生に深刻な影響を及ぼしていた。あの時は会社にサーバがたくさんあったけど、計画停電の可能性があったので1週間で全てをさくらの専用サーバに移転していたんだよな。めっちゃ必死だった、必死だったからある意味救われていた部分があったのかもしれない。でも、この時もこれ以上の災害はないだろう、そう考えていました。

で、2020年です。超えてますね、完全に。

人に会えない、自由に動けない、それまでに当たり前のようにやっていたことができない、、、。しかも、それが日本国内だけじゃなくて全世界で同時に起きている。国はとんちんかんな事をやっていて埒があかないけど、まあ、国も分からないんだよねどうするのが正解なのか。そうだよ、そりゃ一個人の自分が身動き取れなくなっちゃうのは当然だよなぁ。

うーん、ここまで書いたけどやっぱり何も解決してないし、今後さらにひどい迷走状態が続くのだろうな。でも、なんか過去の危機を振り返ってみると、まあ、「なんとかなるんじゃね?」みたいな楽観的な気持ちにもなれた。

とりあえず、寝るか。明日また考えよう。おやすみなさい。

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