『あさきゆめみし』に込められた「ボク」のたった一つのわがまま

『あさきゆめみし』の「君」は誰なのか。

はっきり言うと、そらるさんだ。(と自分は考える)
より正確に言うなら、『あさきゆめみし』の「君」のモデルは、そらるさんだ。
以下に上記の記事の補足としてその根拠を列挙していくが、でもここから先はかなり主観に満ちた文章であることをあらかじめご承知おき願いたい。

1. 長い間、時間を共有している人物

「元日過ぎてから 指折る年の瀬も
余さず季節を君と紡いで」

これは言わずもがな。
初めてのコラボの歌ってみたから、五年半以上。
そらいろまふらーの同人時代、After the Rain本格始動と何年も活動をともにしてきている。


2. ボクから見て大人にはなっていない君

「心はずっとあの日でも
大人になったよ 君の分まで」

まふまふさんがそらるさんに書き下ろした『天罰』(2015)には、「汚い大人になるなら ずっと子供のままで」という歌詞がある。
また最近の曲だと、『夕立ち』(2018)で「大人になってしまったの 子供のままでいられないの」と歌っている。

まふまふさんは、そらるさんに対して、大人のように汚れずに、好きなことを愛せる子供のままでいてほしいと思っているんじゃないかという気がする。
まふまふさん自身も、子供のころの気持ちを大事にしたい思いはある。(詳しくは『水彩銀河のクロニクル』のお話へ)

そらいろまふらーの同人アルバムに収録された『セカイシックに少年少女』(2015)に始まり、『絶対よい子のエトセトラ』(2017)など、After the Rainの二人は、”子供のままでいたい”同志だった。

ところが、『あさきゆめみし』で「ボク」は大人になったという。
おそらくボクは、子供のわがままを通さずに、一人で大きな決断をしたのだろう。


3.置き去りにしたことを悔いている

あさきゆめみし 君を想う
君を失くして 君を強請る
朝日昇るは明くる年
君を置き去りにして

ボクは君を置いていくことにした。
君のことを連れていけなかったから。

CUTでこんなことを言っている。

「”あさきゆめみし”って、自分だけが年を越していくっていう曲なんですよ。自分だけは前に進んでいくっていう。立ち止まってしまった人を置いていってしまうことを本当に悔やみながら、悔やみながら、自分だけは前に進んでいかなければいけないっていう曲で。心のどこかで前を向いていたのかな」(p.37)

2017年、その年に武道館公演を控えていたAfter the Rainは、いつか東京ドームに立ちたいという話をしていた。
そこから時を経て、2020年3月、まふまふさんはソロで東京ドーム公演をすることが決まった。

その間になにがあったのか。
当時は2017年8月にはAfter the Rain武道館公演も成功し、11月にはそらるさんソロでの横浜アリーナ公演も成功し、まさに軌道に乗っていた時期だったといえよう。
そのまま順調に進めば、After the Rainとしての東京ドーム公演も可能だったんじゃないか、自分はそんな淡い夢すら抱いてしまう。

ところが、現実はそう甘くはない。
ファンが増えると、なかには未熟な人もいて、問題が起きやすくなり、その頃の界隈は”治安が悪く”なっていた。
そして、そんな中でそらるさんは、2018年2月に活動を休止した。
こちら側が知らない問題も含めて、いろんなことが重なったことに起因する。

そらるさんはほどなくして復帰したが、その出来事はその後の活動に大きな影響を与えたことは間違いないだろう。

具体的にAfter the Rainとして、どういう方針に変えたとか、どういうスタンスなのかといったことについては踏み込まないが、結果としてその後まふまふさんの方はソロ活動の実績を伸ばし、一人で東京ドーム公演の夢を叶えることとなった。


本当は一緒に立ちたかったんですよね????



……なんてね。彼の本心はわかりかねる。

ただ、『CUT』のインタビュー記事を読めば、ここにいたるまでもちろんAfter the Rainで少しずつ大きな会場の公演を積み重ねてきたからという思いもあるし、その一方で、勢いに乗って立ち止まることなく順調にステップアップしていくことが、ニコニコ動画出身の歌い手界隈にとっても必要なことだという意識があったこともうかがえる。

つまり、現実的なことを考えたときに、まふまふさんは今の形で選択することが最善だったのだと思う。着実に実績を積み上げていくことは、誰にでもできることではないが、自分はそういうチャンスを与えられていたから、それを確実に生かす必要があった。

だから悔やみながらでも、彼はこの先も邁進していくはずだ。

4.ボクを叱ってくれる人

心ひとつが立ち止まり
未だ越せずにいるボクを
君が叱ってくれる日まで
君を探しに行きたい

浅く眠れる枕元に
君を探しに行きたい

大人になった、君を置いて前に進んだ…ということ歌いつつ、本当は後ろ髪を引かれているのだ。未だに悔やんでいるのだ。

進まないといけないことは頭ではわかっている、そんな大人としてのボクよりも、やっぱり君を置き去りにしたくなかった気持ちをぬぐえない。
自分で選んだ道であるにも関わらず、踏ん切りがつかない。

自ら置いていった人に叱ってもらおうなんて、最大の甘えだと思う。
なかなかそんなことを望める存在というのはいない。

東京ドーム公演に向けたアルバムである『神楽色アーティファクト』の最後の曲で、相方であるそらるさんに、足踏みをしてしまうボクの背中を押してほしいという本音を隠した。


あまりにも、そらるさん一筋みたいな解釈に寄ってしまったが、それは自分がそらるさん推しなせいである。どちらかというと、自分の期待である。
こう思っていてくれるなら、After the Rainを応援してきながら、東京ドームに連れていってはもらえなかった身としても、心が救われるから。

一応、冷静な視点で補足するならば、「君」≒そらるさんである。例えば、活躍ぶりを見て懐疑的に思ってしまう人たちだったり、ついていけなくなったと感じて自分の元を去ってしまったリスナーだったり、そういった自身を取り巻く環境に対する思いも込めた、象徴的な存在が「君」なのだと思う(だからあくまでそらるさんはモデルと最初に書いた)

心優しいまふまふさんとしては、本当は全部を取りこぼすことなく、大切な人に寄り添って、共に前に進んでいきたかったが、厳しい音楽業界で、そんな生ぬるいことを言っていてはいつまでも大きなことは成し遂げられない。それに今これを選択しないと未来もよくならない。

アルバムの一曲目の『忍びのすゝめ』であらゆることを犠牲にして音楽に取り組む覚悟を決めたまふまふさんが、アルバムの一番最後にこぼした素直な気持ち、唯一のわがままが『あさきゆめみし』なのだ。


◇◇◇◇◇


少し、好き勝手言いすぎてしまったか…?

本人から異論が出されたらこの記事は消しまーす。


AY

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