本を読むこと


本を読むことは
人の話を聞くことだと思っている。


もともと物語は「語り」で伝えられていた。
でも口での語りは変わるし、忘れられる。
文字に記すことで安定し、安定した物語は場所や時間を超えることができるようになった。

それが本――。


自分は昔から友だちが多い方ではない。

図書館にはよく通っていた。
でも難しい本は読まず
分かりやすい本を選んでいた。

――いや、どうやら、おもしろい本しか、読んでいなかったようだ。

ちなみに114冊中のトップに君臨した『なわとび』に関しては、カードの記録を確認したところ7類だったから、物語ではなさそうだ。
ただ単にその頃なわとびをすることにハマっていただけのような気がする。

そんな感じで、自分の興味のある本しか読んでいなかった。
国語の文学史のテストに出てくる作家や作品には詳しくない。


本を読むのが苦手という人も、
SNSの人の投稿を読む。
ネットの記事は読む。
手紙も読む。
きっとおもしろい本なら読む。

長ったらしいつまらない話を聞くのは誰だって好きじゃないと思う。
本の好き嫌いは、活字への抵抗感というより、内容に対する興味の度合いの違いなのでは。

私はいろいろ読んでいたけど、
一つジャンルをあげるとすると
ファンタジーが好きだった。

ハリーポッターはあまり今では読みたいと思える文章じゃない。
どうしても大人になるとそこに並ぶ文字ばかりが気になってしまう。

でも子どもの頃は面倒な描写は全部読み飛ばしていた。
よく分からない話は聞き流していくスタイル。
おもしろさだけに魅了されていた。

そして中学くらいまでハードカバーの海外ファンタジーものを読んでいたのだが、やがて、友だちも少ない私に違う世界の話の楽しさを届けてくれた翻訳の仕事に興味を持ち始め、翻訳家になりたいと思うようになった。

そこから英語をすごく勉強し始めた。
勉強で躓くことを知らなかった私が、ゆとり教育の弊害を感じた最初の瞬間でもあった。

大変な受験勉強を経て無事第一志望に受かり、高校に入ると図書館に行かなくなった。
勉強や部活、遊びに忙しく、目の前の人の話をたくさん聞くようになり、
本を読む余裕、つまり、
そこにいない人の話を聞く余裕がなくなった。

英語の話を聞くのはしんどかった。
言っていることも聞き取れないし
書かれていることもよくわからず
けっこう半泣きになった。

人の話が理解できないのはこんなにも辛いことなのだな。
今なお、英語コンプレックスはしぶとく残っている。


現在は、博士課程にいて研究者を志しているが、今でも難しい話は苦手。
難しい本は読みたくない。

でも難しくとも人の話をできるだけ、ちゃんと聞ける大人になりたいとも思う。
去年分からなかった話が、
今年は分かるかもしれない。

外国語でも小難しい話でも
そこに関わる知識を学びながら
熱心に耳を傾けていくうちに
いつかきっと理解できる。

もっといろんな人の話を聞く努力。

そして、
たくさん話を聞いているうちに
今度は自分がいい話をすることができるようになるかもしれない。
昔より面白い話題が提供できるかもしれない。
自分の書く文章に興味を持ってもらい、目を通してもらえるかもしれない。

相手のために話をする。
自分の好きに話すだけで、相手に楽しんでもらえるわけじゃない。

自分の好きなように作っただけの創作は、人には受け入れてもらえないかもしれない。

誰かのためにつくる。
人のための創造こそ、発展への近道かもしれない。

まだ私は自分の思いを言語化するのもうまくできていなくて、人のために話をするのは得意じゃない。

少しずつ話を聞くのも話をするのも上手になるために、
もっと本を読んでいきたい。


AY

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