やまぶ記 第十七夜 〜ものぐさな善意〜

こんばんは。

今週はX(嫌な名前ですね…)で、「エルサにガーフレンドを」という言葉を知りました。

ひとりの少女の投稿から始まり、そういったハッシュタグが一時期話題になったそうです。

思うに「ディズニープリンセスがレズビアンであったならどんなに多くの人の勇気づけられるだろう」という真っ直ぐで素直なアイデアから生じているのでしょう。
個人的な願いのレベルではlenyaも良いことだと思いますが、これが社会問題となると賛同できません。

今回はそういったきな臭い内容を少しだけ書いてみたいと思います。
※ちなみに今回の日記は、同性愛やその周辺の事柄について異を唱えるものではありませんので、同性愛嫌悪の方はどっかに居なくなってもらえればと思います。

さて、なぜこういった意見に賛同できないかという話に戻りますが、それは、自分で身銭を切っておらず、他者の負担や責任に対してあまりに無関心なのではないかと考えるからです。

エルサはディズニー社が所有する商品であり作品です。
あらゆる判断のひとつひとつに経営や社会的信頼が関係しないことは無いと言っていいでしょう。
他人の財産に他人が口を出すべきではない(それも無責任に)、と言えばわかりやすいでしょうか。

どの媒体で見かけたか忘れましたが以前、味噌ラーメンで有名な某有名YouTubeの方に対し「影響力のある彼が保護動物を飼ってくれれば良いのに」という意見を見かけたことがあります。(当時その味噌ラーメンはありませんでしたが)

今でも「余計なお世話だ」と思います。

仮のことではありますが、社会的責任も影響力もへったくれもないlenyaがこういったことを言われる分には「まあそうなんだけどね、へへへ、君がそうしたら?」と軽く返せば良いだけです。

しかし、責任をもって何かを世に出している人たちにとってはどうでしょう?時として不当な圧力になってしまうのではないでしょうか。

日記のくせに随分大袈裟なことを言いますが、他者に対して意見することの責任というものをもう少しひとりひとりが大切にしなければならないのではないかと思います。

とは言え、最初に言いましたが個人的に思うだけであれば何の問題もありませんし、ちょっと個人的に口から出たことまでいちいち「責任を持て!」と詰められたらそれはそれで窮屈になってしまいます。

この線引きは難しいかもしれませんね。
月並みな話ですが、SNSなどの発達によって産まれた新たな社会の問題のように思います。
過去のどの人々も体験しなかった問題に対して知恵をつくさなければならないのかもしれません。
(とは言っても批評や噂話のような問題は言葉の誕生とほぼ同じ時期からありそうですから、根本は同じかも…この新たな距離感こそが問題なのだと思います。)

言いたいことは言ったのでこれで終わりにします。
それではまた来週。

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