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雑記③

タイトル通り雑然としています。

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深夜のテレビをつけたとき、高速道路のライブ配信が流れていると少しうれしい。ぼんやり眺めているのが心地よかったりする。今日はまだ台風10号の影響で関東は雨が降っているようで(私が住んでいる京都は全く台風の影響がなかったのだが)画面端に警戒情報のテロップが出ているから、かろうじて現実に引き留められている感じがする。

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先日、母と話しているとき、12年で何ができるかという話になった(母の定年が12年後、という話の流れだった)。定年まで長い、と嘆く母に、12年なんて経ってみれば一瞬じゃない、と言いかけてやめた。小学校4年から大学4年までの年月だと考えると、なんでも叶えられてしまうような気がする。今抱えている悩みも、きっとどうでもよく思えるほどの年月だろう。12年あれば、状況は変わるし、今抱えている悩みも、なくなりはしないかもしれないが、確実に小さくなっているはずだ。そう思えば、なんだか救われるような気持ちがした。そんな話をした。

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発掘のアルバイトははじめてから2か月が経ったが、未だに上達しない。失敗しては、「大したことないけど、気をつけてね」と慰められるような毎日を過ごしている。つい先日は、壁のひび割れに両刃がひっかかって大穴を開けてしまい、壁をがたがたにしてしまった。台風の影響で雨が降って土がぬちゃぬちゃになっているときは上手く土を削れなくて、ふと顔を上げて全体を見ると私の掘った部分だけが汚らしく見えて落ち込んだ。経験の差なのか、才能のなさなのか、集中力の低さなのか、どうも私が掘った後だけが汚い。怒られることはないけれど、勝手に比較して落ち込んでしまう。

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会話の流れで、学芸員試験を受けた話をした(してしまった)せいで、どうも勝手に落ち込んでしまうことが増えた。ただの一アルバイトから、学芸員を目指す人、というレッテルを自ら貼ってしまったことで、ハードルが高くなってしまったような気がして。先生が私に遺物を見せて感想を求めるとき、私が掘った遺構を見て渋い顔をするとき、背中に変な汗をかいて、変に心臓がバクバクする。そんなとき、あと12年、とおまじないのように念じる。12年後に遺物を見て専門家として考察ができたら。綺麗に、ベテランのおじちゃんみたいに遺構面をつるつるにできたら。12年後にできればそれでいいじゃない、と自分の中で勝手に目標を定めて、今の自分を受け入れることに集中する。

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自分にはまだできないが、やってみたいことに挑戦して成長するか、自身の出来ることで誰かの役に立てることをするか。という二択を迫られたとしたら、挑戦して、成長をして、誰かの役に立ちたい、と思う。こういう、ネチネチ考えるくせに欲深い性格だから鬱病になるんだろうな。頑張らないことを頑張ると決めたばかりなのに、気がついたら頑張って夢を追おうとしているから笑える。でも、いいんだ、12年後にできていれば。悩みが小さくなっていればいいんだ。12年後、12年後、と唱える。

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