悪くないと思えた

ふと、考え事を始めると
長引くし、それが正しいのかすらわからないまま意味もなく
自分自身のことや
その周りを取り巻く色々なことに
「ああなんじゃないか」
「こうなのではないか」と考えてしまう

いつも、こういう話をするとき
無駄だから嫌になる
とか
仕方のないことに時間を割くのは辛い
などと考えていたけれど
最近、そうでもないなと感じてきたので少し書いておこうと思った

最近は、考えたところで答えの出ないことをしばらく考えつづけることが多分好きなんだと思うようになって言い方を変えるとそれは例えばその議題が
「未来」についてなら
これから訪れる先のことを
夢想することは、まだその時になっていないからいくらでも想像を膨らませることができて
その、ある意味の自由さが私は好きなんだと思うようになった。

そして、その変化に対して私は
年齢を感じるようになる

過去、私は漠然としていて
大きな大きな不安が訪れた時
思春期のソレによって2倍にも3倍にも広がって、しまいには、もう死んでやる!とまでに思っていたから

私から発される言葉は、ここに書き記す、外向きのものですら
とても尖っていて、その尖った刃物を読み返してはまた自分を傷つけていた。

しかし、最近はというと、確かに漠然とした不安や、どうにも逃れられない憂鬱は今でもいくつもあるけれど
処世術がだんだん身について
落ち込んで家から出られなくなってしまっても、たくさんの逃げ道を持っている 

そして、繰り返すようだがこういう時に
あれだけ自問自答していた
「大人になるとはどういうことか?」
という結論についに辿り着き

私は、少しだけ大人になっていったのかもしれないと感じた

ただ、過去の私はきっと
大人になるとまるっきり違った人になってしまうのでは?と考えていたはずだから、それは違うと今は思う

自分自身は大人になろうと
幼い時であろうと変わらない
今でも好物が唐揚げ!みたいなことと対して変わりない

だけど、大人になるということは
その言葉の裏に
色々な味を知った上で好きだと言う
意味が乗ることだと思う

まだたったの二十数年
全てをわかった気になるには
あまりに早いということ、それはわかりきったことだ

しかしながら、この二十数年
たくさんの味や気持ちを知った。
考え方も少しずつ変わって
そして、人生が少しだけ好きになった

結論づけるにはまだまだ先は長いけれど、この人生悪くないと思う

今日は成人の日らしい
人生悪くないと思える大人を目指して
私もがんばらなくちゃって、思う

2023.01.07
ヤマシタカホ(ひかりのなかに)


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