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土浦祇園祭 当番の謎

土浦祇園祭には当番町という役割りが年毎に回ってくる。
江戸時代は土浦八坂神社様における神社の獅子を舞い、その音局を担当するのが当番町の役割であったようだ。その獅子舞はいわゆる厄払い的なものであったと推測している。
現在でもそうなのだが、土浦八坂神社様氏子町は東崎町鷲神社様氏子で構成される「大鷲会」と田中町八幡神社様氏子で構成される「八幡会」に2分されていた。当時は東崎鷲神社様氏子町を東崎分。田中八幡神社様氏子町を中城分と呼称していた。江戸時代の土浦祇園祭は東崎分と中城分が1年交代で当番を受け持ち、東崎分、中城分の中から年番たる当番町が獅子舞を担当していたようだ。

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