終戦記念日の思い出

 こんにちは。

 大きな声をあげることが苦手な私ですが、今日は少し大きな話をさせてください。

 今日は終戦記念日ですね。皆さんは終戦記念日にどんな思い出がありますか?私は、「どのテレビつけても同じのやってる〜」という今思えば非常に幼いものでした。と言うのも私の誕生日はお盆で、いつもは忙しい父が唯一休みをとれるので誕生日に家族で旅行に行くのが恒例行事だったんです。大体13日くらいから出掛けて、ホテルでおめでとう〜!ってしてもらって、ホテルで寝る、みたいな。で、次の日の朝まだ誕生日気分が抜けない子供の私はテレビをつけると、なんだかセレモニーみたいなのをやっているわけです。どのチャンネルにしても同じ光景。白くて、みんな綺麗な服を着てて。「毎年テレビこれだね。つまんなーい」なんて言ってた記憶もあります。今思えばどれだけ不勉強なんだって感じなんですけど。

 それから時が経って、たしか小学校高学年。学校の廊下の前にある、謎のスペースに置いてあった『はだしのゲン』を熟読していた私は両親に「今年は原爆ドームに行きたい」と申し出ました。そして、連れってもらいました。そのあと中学2年生の時に修学旅行でも行きました。そうやって少しずついろんな経験をして、戦争がどんなものだったのかを知っていった気がします。私の親族には戦争を経験した人がいなくて、どんな思いをしたのか直接聞いたこともありません。だから、当時は分かってるつもりで何も分かっていなかったんだと思います。ただ、戦争で亡くなった人を弔うことはできるようになりました。

 そして今。インターネットが子供の頃よりかなり発展して、手軽に戦争のことを知れるようになりました。YouTubeで当時の様子を見てみたり、Twitterに掲載されていたインタビューを読んでみたり。そしてようやく、「戦争ってこんなにも恐ろしいものだったんだ」と実感しました。私と同い年くらいの、いや私より幼い子供たちがあんなに辛い思いをしたのだと思うと、どう言葉に現せばいいのかわかりません。そして今も世界のどこかで誰かが傷ついているのだと思うと、胸が痛みます。
 私は、人が傷つくことが嫌いです。もちろん人間は時に間違って、誰かを傷つけてしまう時があるかもしれません。それでも、誤りだと言って不特定多数を傷つけていい理由にはなりません。この世に生きる人全てに、幸せになる権利があります。生きる権利があります。その権利を他人が奪うようなことがあってはいけないのです。

 だから私は、戦争に反対します。戦争をして得られるものなんて何一つない。誰かを傷つけて得たものに価値なんてない。
 この世界から戦争がなくなって、本当の意味で平和な世界になることを望みます。終戦記念日は、日本人がそのことを忘れないための日だと私は思います。

 平和を祈り、亡くなられた全ての方へ哀悼の意を示します。

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