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京都感傷週間


5年もいなくなる前に京都を納めておきたいと思っていたら、テレワーク中の友人が一緒に巣篭もりしてくれることになった。
今でなければリモートできなさそうだし、今後長い休暇を取ったらきっと遠くへ旅行してしまう。一週間も京都で過ごすのは生涯最後かも、と思ったら緊張してきて、Airbnbを探してる間脈拍が尋常じゃなかった。

前日はカッと目が冴えてまんじりともせず、やっと約束の日曜日になり、京都の夏は炎暑だろうとノースリーブばかり詰め込んだトランクと、日傘とパソコンを抱えて新幹線に乗って、名古屋を過ぎたあたりで目を覚まし、外を眺めて冷静を装い、降り立ったプラットフォームで橙色の線が引かれた駅名標「京都」を撮るのは恒例儀式で、複雑怪奇なラビリンス市バスの乗り場を探し(4年前より格段に分かりやすくなってた)、バスに揺られてガラス越しの淡い景色をガン見した。

七日間、懐かしい場所を巡って思い出に耽り、新たに好きな一面を発見して嬉しくなり、美味しいご飯をたらふく食べて、思い残すことはもう何もない。無事に成仏できそう。

京都には雄大な自然も重みのある歴史も新古様々な文化もあって、洗練されてて上品で、多くの人々を魅了してるけれど、
ここで期間限定の数年を暮らし、甘く苦い学生時代を過ごした人々にとっては、そこここに懐かしい記憶が点在して呪いのようにいつまでも慕わしく、恋しい心象風景になっている。気がする。

今年の夏は祇園祭が中止になって、到着した日はなかなか明けない梅雨が降り続いていた。いつになく閑散として静まり返った古都は、さびしいほど肌寒くて、角を曲がれば人ざらぬものに出会いそう。
最後の日は送り出してくれるかのような炎天下、焦げる日差しと抜けるような青空で、濃い影に身を潜めて蝉の声を聞いた。
これは心ゆくまで感傷に浸り、京都への思慕に一区切りをつけた七日間の備忘録。

一日目

京都でのご飯一発目は、豆電球に簡素な机と椅子、壁中に蛍光黄色の短冊メニューが貼られた昭和の雰囲気ただよう居酒屋で次々夏の肴を注文した。賀茂茄子、万願寺ししとう、はも、揚げ出し豆腐。
もし好きな食べ物3つ挙げてと言われたら茄子と出汁巻きは即答する。改名するなら茄子がいい。子がついてるし。好きな食べ物3つ目は決められないので一緒にああだこうだ悩みたい。

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たつみ @四条河原町 

いつもは人気で長蛇の列というお店だったけどこのご時世だし開店同時に着いたのもあってすぐに入ることができた。京都に住んでいた頃は知らなかったが、友人はご飯を作るのも食べるのも大好きな天使系料理クラスタなのでいつも美味しいお店に連れてきてくれる。

20分ほど経って、今では唯一となった京都に住み続けている友人院生氏が姿を現し、もう一人、出張帰りの友人建築士が京都で途中下車してくれて、ひたすら食べて飲んでいつものことながら何を話していたのかは全然覚えてない。
実は学生時代にこの4人で遊んだことはない。卒業した後になって何回かご飯にいける日とかのタイミングが重なって、気づけばこの組み合わせで遊ぶようになった。友人関係もわりとご縁なんだなとしみじみ思う。
ちなみにこの段階ではまったく決まってなかったけど、このあと院生氏とはもう3回、建築士とは1回また会うことになる。いつものノリというやつで。



最初の滞在先は、五条にある鴨川沿いの小さな町屋。黒い木組みで薄暗い。狭い一階と屋根裏めいた二階に、パズルのように家具や収納が組み合わさって、その工夫に小さな感動を覚える。

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昔は五条にほとんど来たことがなくて知らなかったが、つい最近まで花街だったとのことで、近所にはもう使われていない遊郭が立ち並んでいる。高級遊郭として有名だった島原と違い、このあたりは庶民を相手にしていた色街だったとのこと。

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誰もいないはずの古い妓楼は、すだれの向こうに白い影が見えそうで、怖くて二階は見上げられなかった。

着いてきてくれた院生氏と四条まで北上し、小ぎれいな京料理屋で茄子とか出汁巻を食べて、あとおでんの厚揚げが人生で一番美味しい厚揚げだった。酔い覚ましの珈琲を探して高瀬川沿いへ。

路地裏で小さな珈琲屋を見つけ、狭く急な階段を上がって入ってみれば、橙色の灯の下でどこの国の言葉かわからない音楽が蓄音機から流れていた。たわむような軋むようなレコードを聞いていた、少しぶっきらぼうで意外と若い店主が淡々と迎えてくれる。

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王田珈琲専門店 @四条高瀬川沿い

料理ちゃんと私はコーヒーを、院生氏は最近ハマりだしたというウイスキーを、店主にold bottleをいくつか出され悩みながらホワイトホースのローガンやボウモアをハイボールにしてもらって飲んでいた。

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一口分けてもらった由緒正しいウイスキーはハイボールにすると飲みやすくて、香り高いとかいう形容詞がよくわかる。今まで良いウイスキーはロックで飲まなきゃいけないのかなと思ってたけどこれなら私も家で一人で飲みかねない。
ウイスキーは美味しいということを初めて理解した。

他の客はおらず開店休業状態で、隅で低い声でボソボソと話す我々を、店主は我関せずとカウンターで本か何か読んでいたが、今日は寒いねー上着持ってくるべきだったなあとぼやいていたら、チェイサーに出された水に氷が入れられてなかった。単純にいい水なのか気遣いにぐっときたのか、やけにやわらかな水だった。

二日目

森見登美彦の影響をバリバリに受けてるので京都での朝食はタマゴサンドを食べたくて、近くの喫茶店に行く。

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アマゾン @七条

ご近所だろう常連らしき老夫婦が静かに入ってきて、心得た店主が黙ってトーストとコーヒーを出すような、ああ、こんな小さなまちの喫茶店という風体なのに多分このタマゴサンドはここでしか食べられない。とっても美味しい。しかし朝から食べ過ぎた。

午前は各々仕事をして、料理ちゃんは今週ずっと午後休を取ってくれてるので一緒に大学付近へ北上する。今回絶対食べたいとわがままを言って学生時代に通い詰めたコレクションに行く。喫茶店というか洋食屋というか、いや、コレクションはコレクションなんだ。

上回生と下回生と、同回と数え切れないくらい食べたオムライス。メニューいっぱいあるのオムライスばかり食べていた。バターの香りが濃厚なうっすい卵焼きの中にみちみちに詰まったケチャップライス。チキンの代わりにマッシュルームを使ってる。口直しに添えられた白いたくあん。SMLで値段は変わらず680円。

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コレクション @京大前

懐かしんで食べたがっていた念願のオムライスだったのに、いざ食べ始めると無性に悲しくなってあやうく塩味がするところだった。ガチでへこみ始めたので会話ゼロで黙々と食べる。このオムライス私も作れるようになりたいなあ。

今出川通りを東に上って雨の哲学の道を歩き、関西弁の元気な小学生男の子3人や、いかにも育ちの良さそうな折り目のついた制服を来た中学生の女の子とすれ違って、ここで育つことが羨ましくなって妬く。

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さらに東へ坂道を上がって銀閣寺の前に行き、白川通を西にさがって大好きな洋館に立ち寄る。ここは昔の日本画家が収集した美術品を保管するために建てた古い洋館で、この50年ほどは西洋料理レストランをやっている。なにがしかの重要文化財になっている洋館は、建物もさることながらとにかく庭と花々が美しく、前を通るたびに憧れた。
友達と大切な時に行こうと約束し、初めて行った時は二人でオードリー・ヘップバーンごっこのお洒落をした。当時友達は就職が決まったばかりで、サプライズの花束を準備し、ロマンスグレーの蝶ネクタイを付けたウェイターと目配せし合いながら持ってきてもらった。その時のウェイターさんにまた会うことができた。多分覚えてないけどね。

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@NOANOA  白川今出川


夜は再び院生氏が現れ、出汁巻大好きな私に出汁巻ならここがイチオシと、お二人オススメの焼き鳥屋へ連れて行ってくれる。

お化け屋敷みたいなボッロボロの提灯が目印で、本当に出汁巻が世界で一番美味しかった。美味し過ぎて仰天したし、なんなら二回頼んだ。院生氏がとろろ入ってるんじゃないかなあと言う。料理ちゃんは確かにと驚いていたけど私には料理がよくわからぬ。よくわからぬがとにかく美味い。

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いの田 @出町柳

この日は卵デーだったな。



三日目

午前中は各々仕事をして昼に次の宿へ移る。前の宿の近く、というか徒歩1秒、隣の町屋だった。多分オーナーは同じ人だと思う。

一階は土間だけの玄関で階段をあがると広めの二階。前日の宿よりお高めなのでテイストは同じなんだけど内装はグレードアップしてた。

二つある寝室のうち一方は壁の二面が窓で文字通りのリバービュー。料理ちゃんは天使なので、惜しみながらも私はまた来れるからとこちらを譲ってくれた。天使。

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昼は八坂を歩いていたらお米の炊けるいい香りがしてきて、本当は他のお店に行く予定だったのに思わず入ってしまう。お米専門店でメニューは親子丼とか天ぷらとか10種類くらい定食があるけれど、どれもお米を美味しく食べるためのもの。主役はお米。迷ったけど一番お米を味わえそうな焼き魚にする。

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@八代目儀兵衛 祇園四条 八坂さんが見えてる。

お味噌汁も味付け海苔も漬物もすべてお米を食べるためにあるので3杯おかわりした。完全に食べ過ぎ。オプションで生卵もあったので、卵かけご飯は日本でしか食べられないなーといそいそ注文。

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食べ物をこんなに美味しそうに撮れるのは料理ちゃんです。お写真お借りしました。

さすがにお腹が重たいので南下してねねの道や建仁寺の方へぶらぶら歩く。昔の喧騒が嘘のように誰もおらず、静かで人の気配を感じない。盛者必衰祇園精舎の鐘の声。暇を持て余した人力車のお兄さんが苦笑しながら声をかけてくれて、申し訳ないけれどもと断ると、ダメもとだからいいんですよと笑ってくれる。

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小洒落た雑貨屋さんも由緒正しい料亭も軒並み臨時休業中で、京都の豊かな文化は観光に支えられているのだなあとさびしくなる。

途中で雨が上がり、黄昏時に宿に戻ってテラスでのんびり缶チューハイを開ける。

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先週は大雨だったようで鴨川の水位は高く、色も濁って濁流という感じ。今週は少しずつ晴れ間も見えてるのでそのうち澄むだろう。

暮れゆく鴨川をぼんやり眺めていたらだんだん暗くなってきたけどなかなかお腹は空かないし、連日の美食がたたって胃もお疲れ気味。
ここは懐古主義的に鍋でもやるか?と夜もたっぷり更けてから、学生時代の食料庫フレスコで食料調達。

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鍋の準備ができて食べ始めてから、ゼミが終わったと院生氏が夜の京都を自転車できてくれる。
彼はまたの名をJ-POP専門家なので、インディーズに近いような名も知らないアーティストをいろいろ教えてくれ、「夜の散歩用」とか「一人でお洒落な気分になりたいとき」とか自作のプレイリストをたくさん作っている。私は最近すっかりサブスクのサービスにリコメンドされるがままに聴いているので、自分の好きな曲を自分で選べてないなあとか思った。

深夜までいろいろな音楽を聴きながら特に何を話すと言うこともなく解散。ああ大学生っぽい。教えてもらった曲のプレイリストを作りながら寝落ち。


四日目

優しい鍋でいくらか回復したので、朝は老舗のかわいいパン屋さんに行く。

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井上製パン @七条

パンの中ではシナモンロールが大好きなので、それと小さなタルトを買って、いずれにしても朝から食べ過ぎなのですが…。コーヒーは行きたかったところが残念ながら臨時休業中だったのでセブンイレブンで。コンビニのコーヒーも美味しいんだよね。

またテラスで鴨川を眺めながら朝ごはんを食べて午前は各々仕事。

お高めの町屋は一泊が限界だったので昼過ぎに次の宿へ向かう。
大通りで拾ったタクシーの運転手が、初老のすらりとした方で、パリッとしたストライプのシャツに、プレスが効いた薄い格子模様の灰色スラックスと妙に品がある。コミュ力お化けの天使ちゃんがいろいろ情報を引き出してくれるのを固唾を飲んで見守っていたら、昔は呉服屋さんだったとのこと。
低く柔らかい京都弁で、自分がタクシーに乗ることになるとは思いませんでしたわ、と話すのを聞いていると切なくなってきたが、
天使ちゃんが「お召し物がとても素敵で…呉服屋さんと聞いて納得しました」と褒めると、少し驚いたように「ただのカッターシャツとスラックスやないですか」と笑いながら、トランクから荷物を下ろしてくれるときにまじまじと自分の服装を見下ろしてらした。心中こっそり悶えた。

着いた宿は堀川三条の明るい木目の綺麗な一軒家で、あちこちの壁にドライフラワーが飾ってあるような可愛いお家だったけど写真撮るの忘れてた。

お昼は例によって料理ちゃんオススメの京都市役所前の中華を食べに行く。どうやら京都中華というジャンルがあるようで、出汁を使っていること、店名に「鳳」の字を使っていることが目印なんだそうだ。
なんだか病みつきになりそうな春巻や芙蓉蟹を食べて、途中で店内のど真ん中でまかないを食べ始めた店の一家にお礼を言い、京極の方へ散歩。
途中でしそジュースをテイクアウトしたり可愛いお菓子屋さんで焼き菓子を買っている間に暮れてきて、夕飯は軽く済ませようかと、四条大橋は南座の向かい老舗のビアガーデンに行く。

昔から祇園祭の夏の京都が大好きで、特に前夜祭である宵山に屋上で夕方から飲むのが好き。京都を離れてからほぼ毎年、宵山になると京都に現れては関西の友達に来てもらって飲んでいた。
このお店は鴨川を挟んだ対岸の川床の灯りが美しく、眼下にひしめく浴衣の人々の喧騒を遠く聞きながら、湿気のある重い夏の夜を楽しむことができる。今年は残念ながら人々のざわめきはないけれど、変わらぬ提灯と鴨川に映る光が綺麗。

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菊水 @四条大橋

菊水を出てそのまま花見小路を散歩する。普段は高級料亭が立ち並び舞妓さんが行き交うような祇園の中心地だけど、やはりほぼすべてのお店が閉まっている。
淡い提灯が照らす暗い道を歩き、雑多になってくる祇園の裏を抜け、雨戸に水墨画のようなものが書かれている韓国茶房だとか、青緑色の光を放つ全面ガラス張りの妖しい建物だとかを見ながら帰宅。不思議な建物がいっぱいある。


五日目

タマゴサンドに執着する原因となった喫茶店にいそいそと行く。入り口に大きなガラス製のサイフォンが飾ってあり、黒い木製の店内が美しい文字通りレトロな喫茶店。

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スマート珈琲店 @三条寺町

あーこのタマゴサンドも美味しいこと。ちょっと遠かったので、さっと行ってささっと戻る。

午前が終わり、お昼はどうしようねえとぶらぶらしていたら、昔は手の届かなかった憧れの老舗高級中華が目に入り、こことっても行きたかったのと熱弁して入る。現存する日本最古のエレベーターが有名な歴史ある建物で、わくわくして乗り込んで見れば、蛇腹式の扉、半円のフロアインジゲーター、手袋をつけたエレベーターボーイが手動でレバーを引くとゆっくり上がっていく。

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東華菜館 @祇園四条

最上階のテラス席に通されて、社会人になってもまだちょっと慄く価格設定にたじろぎながら、酢豚、水餃子と基本の中華を頼む。青椒肉絲はタケノコの代わりにセロリが入っていてシャキシャキ美味しい。対岸は昨夜行った菊水と歌舞伎南座。下に見える鴨川は水が澄んできた。この日初めてちゃんと晴れ、青い空と緑の山がきれい。

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今日は紅い夕焼けが見れそうだと、18時に鴨川デルタで集合と約束し午後は別行動。私はみんなが好きだった六角堂のスタバに初めて行ってみる。天井が高く、六角堂に面した壁は大きな一枚のガラス張りで、見上げるほど近い六角堂を眺めながら数刻ぼーっとする。

半分寝てた状態ではっと目を覚まし、満を持して我らが心のふるさと鴨川デルタへ向かう。

鴨川デルタは、高野川と賀茂川が一本の鴨川に合流する地点のことで、左右背後から流れてくる二本の川がごうごう遠くへ流れていく。
森見登美彦の小説に出てくる樋口師匠という仙人めいた男が、この先端で仁王立ちしている様子を「まるで船の帆先に立つように」だったかなんだか表現されていたのを受験時代に読んでいて、大学生になって初めてきたとき、本当に帆先のようだと感動したのを覚えている。

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大学生といえば、なスミノフをコンビニで買ってきて、素足になって膝を抱え、横の方で素朴な大学生男子二名がなにやら盛り上がっているのをこっそり慈しんで、だんだん紅くなっていく空を眺めていたら二日ぶりに院生氏が現れる。
橋の上からこちらに合図してくるけど5分ほどまったく気づかず、電話がかかってきてようやく顔を上げて、夕焼けを背景にonデルタの写真を撮ってもらった。

デルタに降りてきたので缶ビールを飲みながらまったり話していたら、実は昨晩恋人にプロポーズしたんだと教えてくれる。彼と恋人の話は5年ほどずっと聞いていて、相手の方に会ったことはないんだけれど勝手に愛着を持っていたので、嬉しいニュースを懐かしい場所で聞くことができて幸せな気持ちでいっぱいになる。

デルタの思い出話が始まり、夜に星を見ながら寝そべって恋話をしただとか、一回生の時大勢で飲んでいたら、院生氏が家からアコギを持ってきて昔流行ったJ-POPを爪弾いてくれたことだとか、そんなこともあったねと思い出に耽りながら、思い入れのあるこの場所でこんな嬉しい話を聞けるなんて、としみじみしていたら本気で涙が出てきて、泣き笑いをしながら喜び合った。

ちょっと心が落ち着いたあたりで、じゃあ今日は学生時代の飲み屋を巡ろうねと百万遍へ行って、おむら家で京料理を食べ、アンナチュで英勲を飲み、名前の意味がすごいポスト・コイタスで良いウイスキーをハイボールにしてもらって、最後はRINGOへ行く。どこも本当に思い出だらけの大好きな場所なんだけど、RINGOはやっぱり格別で。
階段を下った地下にあるビートルズ好きな店主がいる暗いバーで、壁には所狭しと貼られたビートルズのグッズ、メニューはすべて曲名にちなんでおり、店の奥にはビートルズの映像がプロジェクターでずっと投影されている。

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暗い店内で大音量のビートルズがかかっているからこそ、対立していた友人と大切な話を二人でしたり、落ち込んでいた時に先輩に心情を吐露したり、怒っている後輩をなだめたり、感情が揺れ動いている時に選びがちだったお店だ。

ここではかなり酔っており、なんの話をしていたか思い出せないけど、この日が院生氏と会う最後の日になることは分かっていて、彼に餞の言葉を贈りたいのだけど、なにを言っても心の中は説明できないような、でもきっと友情は伝わっているだろうなとそんな夜だった。

彼はこれから博論の執筆があり、九年住んだ京都を離れて大都会で暮らし始めることとなり、仕事も新婚生活も始まり、変化の多い年となる。いつも軽やかでネガティブなことはあまり言わない人だけれど、音楽がすごく好きでイントロですぐ当ててくるし、雰囲気と音楽を合わせるのを楽しむような人で、言語の細かな癖を面白がったり語感を大切にしたり、料理に入っている食材を当てたり一度飲んだお酒の味を覚えていたり、世界の解像度が高い人だから、感性が豊かな人なんだろうなと思う。
弱音を吐かないから何かに苦しんでてもわからないけれど、この一年で目尻にシワが増え、言わないだけで焦ったり心配になったりすることがあったんだろうなと感じる。

何かを言いたいのに何を言ったらいいかわからなくて、悩みながら二つだけメッセージを伝えたのだけど、話している途中で泣いてしまった。店内に流れるビートルズがこのタイミングでLet it beになったりしてやたらと染みてくるので、多分ビートルズのせいだったんだと思う。
五年後も今日と同じように遊べるかはわからないけれど、この日は京都で過ごした大切な思い出だし、そんな時間を持てたことを心から感謝してる。

深夜もすっかり超えてからやっと店を出て、人っ子一人いない大通りでタクシーを拾う。院生氏と最後に肩を叩き合って別れた。


六日目

昨夜が遅かったので私はギリギリまで布団にしがみついて、一緒に深夜まで飲んでたはずの天使ちゃんは大事な会議があるらしく朝早くからバリバリ仕事をしている。
のっそり起きてきたら意外と気分は悪くなかったので、白湯を飲んで私も仕事にとりかかったら、ビデオ通話でいつもより大きめに相槌を打ち小刻みにうなずくのが祟って自分の頭の振動で気持ちが悪くなってきた。

なんとか午前を乗り切って、今日の夜からはもう一人別の友人が合流するのでAirbnb以外の宿を取っている。
宿自体は烏丸丸太町にあるのだけど、チェックインのためワコール本社へ向かうと丁寧な社員が優しく迎えてくれ、ワコールが宿泊事業をやっている意図、京都を楽しむための情報などいろいろ説明してくれる。

曰く、京都を本社とするワコールは、一日に二軒のペースで町屋が取り壊されていることを悲しく思い、古い町屋を借り受けてワコールの資金でリノベーションを施し、宿泊事業を運営して町屋保全をしているのだそう。
とっても綺麗でお洒落に整えられた町屋は、貸出中はワコールがリース代を払ってくれ、しかも15年後には元の持ち主にそのまま返してくれるとのことで、なんて素晴らしい事業なんだ+説明してくれた社員が素敵な人だったので、一瞬でワコールのファンになってしまう。

町屋の一棟貸しなので、お礼を言って自力で向かうと、事前にホームページで見ていたのとは逆方向にギャップがあるたいそう素敵な内装だった。(ホームページは本当もっと頑張ったほうがいい)

以下ワコール町屋の宣伝

料理好きな知人がみんな憧れている気がする綺麗なアイランドキッチンは、バルミューダの家電やらクチポールのカトラリーやらが揃えられていて(もちろんここらへんの名前は知らなかったので全部料理ちゃんの受け売り)
料理器具は充実していると説明を受けていたけど、予想を上回るほどいっぱい。お洒落鍋(もう名前わかんない)、絵本に出てくるような大きな木製の麺棒、温度計がついたスタイリッシュな細いヤカン、コーヒー用のフラスコみたいなやつ、ほっそりした急須、青い釉薬がきれいなマグカップ、などなど。

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家具も軽くて明るい色の木材でなんだかお洒落で、奥に見える腰掛けスツールは実は二つの部品が組んであり、分解すると四人座れるようになる。もはやゴミ箱まで可愛く見えてくる。

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メイクアップルームは四人が同時に身支度できる広さと大きな鏡で、特別な照明を使用しているらしくやたら肌が綺麗に見える。瞳孔にも光が入って自分の瞳がかつてなくキラキラしており、かつて私の目にこんなに光があったことがあろうか。いやない。

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お風呂は檜風呂。奥には中庭が見え、浴室を暗く庭をライトアップすることもできる。
檜風呂というものに初めて入ったけど、風呂が香り高いとはこういうことか…
ご案内の通り、お風呂というものは入っただけでHPが3割くらい回復しますが、檜風呂は回復率が3倍くらいになる。つまり入っただけで9割元気になる。
買うか?これがあれば将来の激務も乗り越え…られないかもしれない…

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奥の座敷には辛子色の可愛い座布団があって障子をあけると中庭の緑が鮮やか。床の間にはピアスにしたいようなかわいいアート作品。

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座敷には分厚いファイルが置いてあり器具の使い方や周辺事情、内装の説明がぎっしり書いてある。
アート作品の作り手やコンセプトについても説明があったので読んでみたら、玄関に置いてある花瓶もアーティストの作品で、お花はあえて生けておりませんのでお好きなものを飾ってください、とある。

その後別行動で近くを散歩する時間があったので、途中で小さな花屋を見つけ、若い店員さんに一輪挿し用お花を探していると相談したら、花瓶の色を尋ねながらいくつか勧めてくれた。
その中から、祇園祭で飾る習慣があるという厄払いの縁起物、檜扇という草の仲間ですという説明に惹かれて、色も可愛らしかったのでヒメヒオウギというものを買ってみる。これまた周到に用意されている花鋏を使って生けた。

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うーんかわいい、天才。


二階は寝室が二つと、その間にソファが置かれたスペースがあって、枯山水みたいとテンションが上がる。説明書きには御所の玉砂利をイメージしたとあったのであながち間違ってないかも。

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全体をトラフ建築設計事務所というところがデザインしたらしく、家具はカリモク家具というところのものでした。後に建築士友人が両方ともべらぼうに有名だと感激してたので宣伝必要ないかもだけど、とりあえず書いておく。
以上宣伝終わり。


昼は勧められた近所の洋食屋さんで、なんで京都はこんなレベルの高い店がぼこぼこあるんだと怒りながらめちゃくちゃ美味しいハンバーグを食べ、その後適当に入ったカフェも引くほど洒落ていた。妙に雰囲気のある美人なバリスタと、開店直後だったようで客はほぼ知り合い同士のよう。知り合いらしき男性も若い女の子もみんなバリスタと話したがっていて、おそらく知らずに入った所縁のない客たちはみんなちょっと気まずそうにすみっこでコーヒーをすする。適当に注文したアイスコーヒーもとろみがあって美味しい。

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開店直後すぎてネットにはまだお店の情報上がってなかった。


夕方は各自別行動。
夜になって、仕事終わりの友人が今日から合流するため京都へ向かい始め、晩ごはんから一緒に食べようと天使ちゃんともお店で合流する。
ここはワコールが「おすすめの店をまとめてみました〜」と共有してくれたGoogleMapのリストに入っていたところ。このリストはネットのレビューが全然ないようなお店から、雑貨屋や食料品店までガチで選び抜かれた店が大量に入っており、そのクオリティの高さと数の多さたるやこれだけでかなりの価値になりそう。
ということで是非是非ワコールの町屋に泊まってリストをもらってください。まだ宣伝続いてた…


小さなお店で席数も全然なく、手が届かないほどではないお値段で、クリームソーダ柄の派手なネクタイを締めたおじさんが賑やかに接客してくれた。
美味しかったねと会計をして出たら、店主が外まで追いかけてきて、このお店をどこで知ったんですかと尋ねられる。
ワコールさんに勧められました、と答えたらここは著名な方々にご贔屓にしていただいてる隠れ家のような名店なんです、とまでは言わなかったけどそれに近いことを言われ、若い我々が誰に連れられるでもなく来たことに驚いてるみたいだった。
食べてる時に、小皿も可愛いし冷酒がサーブされたワイングラスが飲みやすいねと話していたけど、実はどれも百年二百年単位の骨董品でこだわり抜いたものだったんですと明かされ、今さら冷や汗をかく。

京都駅からお店へ直行していた友人を宿へ案内し、自慢げに内装を説明しまくり、きゃっきゃと大騒ぎしていたら思いのほか夜が更けて、あみだくじでお風呂の順番と寝室を決めて就寝。



七日目

久しぶりに朝はゆっくり寝過ごして、綺麗なキッチンで詳細に書かれた手順を真剣に読み、書いてある通りに慎重にコーヒーを入れる。
外に出れば真夏の京都で、日差しにじりじり焼かれながら細い通りを東へ向かう。なんかやたら家具屋がひしめいてるなと覗きまくってたら、実は家具が集うことで有名な夷川通りということだった。
どの家具屋もかわいくて値段はかわいくなくて、京都には文化人や宿泊事業者が集まってるから、そういう人たちに支えられてるのかなとか思った。

昼前だけどここ美味しいよと案内してもらった寺町二条のパン屋でパンを買い、三条の小川珈琲でカフェラテを買って、照りつける鴨川でむしゃむしゃ食べる。日差しが強すぎて肌が痛くなってきたけど、こんなに快晴で青い空と白い雲、鴨川の流れも澄み切って、感無量でござった。

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そうこうしてるうちに隣の隣の県から、今晩のためだけに友人が来てくれて、パンを食べたばかりなのにうどんも食べようとあちこち彷徨い、三条の小さなうどん屋さんに入る。
舞妓さんが自分を覚えてもらうために作るグッズで名前入りの団扇やシールなんかがあるのだけど、それが店内あちこちに貼ってある。ここのうどんもめちゃくちゃ美味しかった、ほんとカジュアルにレベル高い。


さすがに重たいお腹を抱えて、中国茶を飲みに行こうと腹ごなしに歩いていたら、真夏の日差しと思ったより遠い道をてくてく歩くことになり、ぐったりして這々の体でたどり着く。目指していたお店は、実はカフェはお休み中で古道具の展示のみとなっていて、ひそやかに笑いをこらえながら一応見学し、外に出てから笑い転げる。
暑いし足も痛いしもう無理やと潔くタクシーを拾って、宿の近くまで戻り、例によってワコールにおすすめされた絶品ドーナッツ屋さんで、前日に予約しておいた揚げたてドーナッツを受け取る。満腹のはずなのにさくさく詰め込む。とても美味しいのでぜひ食べてくださいね、と言われていたけど本当に美味しかった。

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ひつじ @丸太町木屋町

夕方が近づいてきて、今週のメインイベントである鴨川納涼川床の予約時間になる。さらにもう一人、再び出張帰りの建築士が急遽参戦することになったのでお店で直接待ち合わせ。

夢にまでみた憧れの夏の川床を、やっと晴れ渡ってくれた日に迎えることができた。。
真昼と対比して暑さが和らいでくる夕暮れ、水上を渡る風の涼しさ、薄暗くなるにつれだんだん明るくなる灯り、ご飯ももちろん美味しくて、
川床デビュー・かつ納めということで、料理ちゃんがいくつかの候補から私に選ばせてくれたお店だったんだけど、入念に写真を見比べてやはり川床といったらテーブル席じゃなくて座敷がいいと選んだ畳も風情があり、アルバイトだろう店員もかわいくて、
夕暮れの明るさが落ちて辺りの色が変わるごとにその都度写真を撮ってもらったのだけど、なんぼでも言うてくださいねとか、そろそろ頼まはれるかな思うてましたとか、元気があって大変よろしく、
大学生なの?と声をかけようと思ったら、建築士も実は昔このお店でバイトをしていたのだけど、そう聞いてくる客はだいたい本人も京都で学生をしていた人で、大学生ですと答えるだけで相好を崩してくれるんだよねとぼやかれ、安易さに悔しくなって口をつぐみ、大変よろしかった。

写真は自分たちの顔が写ってるものばかりなので上げられないけど、うしのほねというところでした。茄子があるコースをお頼み申し上げたが、しっかりすべて超美味しかった。


日はすっかり落ちて、いつもなら時間制限があるけども今回は客がいないので長々居座り、二次会は恒例の鴨川で少し話をして、建築士と日帰りできてくれた友人と別れを惜しみつつ、三人で帰宅。
眠気をこらえてだらだらと仕事の話をしたりなんかして、学生時代の良さと社会人の良さが混じり合った夜だった。


八日目

最終日はチェックアウトギリギリまで惰眠を貪って、大慌てで身支度をし、どうしても行きたいでごんすと申し出て北野天満宮へ向かう。受験の前日になんとなくお参りをして以来、人生の節目節目で訪れてきた大切な神社。

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神々しい写真が撮れてしまった…


京都を離れた後にインスタとともに流行り始めた気がする花手水は、北野天満宮でもしっかり設けられていて、厄払いの祈念と共に生けられた花の色が美しい。

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ヒメヒオウギもあるね。


北野天満宮は梅が有名なこともあって冬にくることが多かった。初めて七月に来てみれば境内いっぱいに笹と色とりどりの短冊が飾られていて綺麗。

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笹の葉さらさら、短冊しゃらしゃら
ゆっくり見てたらなんとエジプトについて書かれた短冊を見つけてしまい、なんというご縁だろうとしっかり記憶する。もしここに書かれた人に出会えたら、あなたの健康を願っている人がいたよと伝えてみたい。



念入りにお参りした後、隅の東屋をなんとなく見上げてみれば、額縁に入った和歌がたくさん掲げられていた。百人一首らしき歌もあればそうでないものもあって、読めないねえなんて言いながら眺めてたら、実は全て西陣織に刺繍で作られたものだった。

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一枚だけ奉納した人たちの説明の額があってそれで織物だと気づいたのだけど、絶対読ませる気ないでしょと言いたくなるような白地に金の文字で、必死で首を伸ばして読解を試みるも、西陣織組合だとか錦糸組合だとか、そういう人たちが合同で奉納しました、ということしかよくわからない。

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これも織物に刺繍で綴られていた。


他にもひっそり由緒のありそうな古い板の絵が飾られていて、薄くなった墨字でうっすら奉納者の名が書いてあり、北野天満宮は京都の文化人たちにとても大切にされてきた社なんだなあと嬉しくなる。



炎天下で茹だりきった後は、昼食に親子丼を食べようといって移動し、これまたなんとかいう賞を取ったとかいうはちゃめちゃ美味しい親子丼を食べる。

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八起庵 @四条河原町

鴨せいろも食べたくなっちゃって、でも親子丼がそんなに美味なら食べたいので、二人に手伝ってもらうことにして二つとも注文しちゃう。

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昼食後、本当は別の場所で働いているんだけれど完全テレワークになったので京都の実家に戻って仕事をしているという友人が来てくれることになり、わらび餅が有名なお茶屋さんにて待つ。

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ぎをん小森 @祇園四条

ここはネットで話題になっているのを見つけたお店で、京都で若い旅行者といえば辻利かここかというくらい人気らしく、お客さんが結構入っていて、でもやっぱり空いていた。
炎天下をギコギコ自転車で来てくれた実家京都最強ガールは、ワーディングセンスが変わらず卓越しており、雅なのにユーモア溢れる独特の語彙力にひとしきり笑う。
彼女とは数年ぶりだったんだけど変わってなくて、これは5年挟んでもまた絶対会えるなと嬉しくなった。五条のあたりをまったり散歩し鴨川でお別れする。街が黄金色になってそろそろ帰る時間。



東京に移って、大都会の慌ただしさに戸惑いながらすぐ馴染みつつも、悠然とした京都がいつまでも懐かしくて、学生時代と結びついているのもあって、仕事が始まってからは桃源郷のようになった。東京での現実があるからこそ輝く理想の京都、みたいな。
5年も来れないのは確かにさみしいけど、東京での仕事が一区切りつき新天地の生活が控えていて、東京との対比という側面がやや薄れ。京都を離れて4年経つし、その間何度も来たので、学生時代への懐古も少しずつ和らいできたように思う。
今回、学生時代の友人とたくさん会って思い出に耽りつつも、学生時代には手の届かなかった憧れの場所に行ったりして、生活圏じゃなかった五条や堀川も新たに知って、学生時代の京都に+αで好きな場所が増えた。

ここまで全力で堪能すると心が凪いでいて、案外あっさり新幹線に乗り込んだ。5年後また来たいけれど、とりあえず今は思い残すことは何もなく、成仏できそう。



栗木京子という人が詠んだ有名な京都の短歌があって、これはあまりに京都で学生時代を過ごした人が引用しがちなので、ここには書かないけれど、ベタであってもやはりしみじみと味わい深く、短歌のとおり軽やかな心情で去った。
記憶も、風景も、友人も時間も包摂した、学生時代の象徴。さよなら京都。


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