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9がつ4にちの日記

夢を叶えた人はそれが日常になって人生になっている
ということを、信号待ちしているときにふと思った

移り変わる景色の
日常のなかにあるパン屋さん、ケーキ屋さん
新しくオープンしたカフェ、たこ焼き屋さん

実際に蓋を開ければそこに夢なんてなく、妥協でできた商店街なのかもしれないけれど、かつて手を伸ばしても伸ばしても触れられなかった夢が日常になっている、ということを考えた時すこし不思議な感じがした

・*・*・*・

わたしには日常にならなかった、することができなかった夢がたぶんいくつもあって、それらを見送ってきたんだとおもう
通り過ぎた季節にはもうなんの未練もないけれど、その時はそれが全てだったはずなのに

手に入れたい、という願望は手に入らない、に変わり、手に入らなかったと完了形になり過去になって遠くなる

パン屋さんになりたかったあの店主は、パン屋さんが日常になってしまった、変わり映えのない日々を繰り返し、繰り返し、繰り返し、そのひとつをこの先何十年も生きていくんだろうな


よく考えてみればせいぜい人生で手に入るものなんて限られていて、夢も、友人も、恋人も、家庭も、キャパシティが人にはあって持てる限りを抱えるだけのことだ

富だって、たくさんあればあるほど幸福かと言えば、たぶんそれには一時的な興奮だけで、しばらく経てばまたそれに比例して満たされない感覚は変わらないままなんだと思う

理想に満足することは一時的なことで、たとえば富を例にしても、何かを得るということは失う恐怖も手に入れることであり、理想を手に入れるということもまた、その理想と隣り合わせの暗い一面があるということ
理想って、見たくないものに蓋をしていることと同じ、もしくは想像力の欠如、だから理想なのだけれど

・*・*・*・

夢はいつも綺麗、良いところしか見ないから

でもこの世の全てはいつだって相互に作用しあっているということ
こうであれば幸せ、という環境的なものではなく自分自身なのだということ
すべての行いが、すべての心持ちが

変わり映えのない日常を歩きながら、これは誰かの夢の先で成り立っている日常なのかなぁということを考えていたら、また赤信号にかかってしまう


とても暑い、夏の終わり


2023.9.4


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