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新快速50年

ご機嫌いかがでしょうか。Yukiです。

「京阪神の顔」として親しまれ、通勤通学やレジャーなど日々多くの人々を運ぶ「新快速」が2020年10月1日でデビューから50周年の節目の年を迎えました。

そんな新快速の50年の歴史を振り返る「この秋は新快速で50!(ゴー!)」が京都鉄道博物館で開催されているということで見に行ってきました。今回はその展示内容の他、新快速にまつわる僕の思い出を紹介します。

新快速50周年記念展

1970年のデビューから現在に至るまでの歴史や新快速が登場するきっかけの1つとなった「万博号」ヘッドマーク、ダイヤ改正のポスター、「アーバンネットワーク」(JR発足後に制定された関西の近郊路線の愛称。ただ、2020年最新版路線図には愛称の記載がない)の路線図など、新快速にゆかりのある貴重な資料とともに展示されている。

さらに、新快速の裏で支える駅員さんの密着風景や元運転士による新快速の運転法などの裏話、さらには1990年当時の新快速の前面展望の3本の映像が公開されている。

また、ジオラマでは「50!50!(ゴー!ゴー!)新快速」と題し、新快速にフォーカスした演出がされている。

新快速と僕(物心ついた頃編)

僕の物心ついた頃、新快速はまだ、敦賀駅まで到達していなかった。長浜駅や米原駅で見た新快速はキラキラしているように見えた。ボックスシートで唸るモーターの国鉄型に比べて、転換クロスに高音域で澄んだ音のモーター、ドアチャイム、ボタン式ドア、疾走感のある「新快速」の方向幕…「ザ・新型」の風格だった。

このように格段の差があり、新快速の大半は1998年生まれの僕より若い電車には憧れの眼差しを向けたもんだった。新幹線より釘付けだったかもしれない。

北陸線の歴史が動いた

2006年10月、北陸線長浜〜敦賀及び湖西線永原〜近江塩津間の架線電流が交流→直流になり、直流専用の新快速が敦賀駅に進出。最寄り駅にも新快速が毎日やってくることになった。地元では長年の夢が叶ったこともあって沿線は大盛り上がり、最寄り駅では祭りが行われていたほどだった。これはかなりの経済効果が波及されたことだろう。

話はそれたが、新快速が乗り入れによって京都や大阪はもちろんのこと、彦根や大津、草津などの滋賀県内の主要都市にも一発で行けるようになった。これと同時に交通系ICカード「ICOCA」も進出し「ICOCA」専用の簡易タッチリーダーが設置された。その他、新快速に合わせてホームをかさ上げ、モダンな駅舎に建て替えるなど、路線が激しく若返ったと同時に都会めいてきたような感じだった。

それ以後、新快速は憧れから当たり前の存在に変化していった。それでも、毎日見てるだけでも嬉しかった。

今では…

高校時代は電車通学で、特に昼間に帰るときはほぼ新快速に乗っていた。さらに部活の大会で大津の武道館に行くときでも新快速にお世話になった。大学時代は琵琶湖線の駅でバイトし、新快速の安全運行の一端を担っていた。僕の人生のそばには所々に新快速がいたようなものだった。

113系に始まり、153系、117系、221系、223系、225系と時代を紡いできた新快速。今や近畿地方で知らない人はいないほどの知名度と愛がある。

この50年で、スピードや快適さ、使いやすさが進化していて、衰えることを知らない。それは一線を退いてもだ。221系は大和路線や奈良線で主力として活躍し、リフレッシュ工事までしてさらなる進化。方や117系は「West Express銀河」に大変身を果たし、再び花形列車として返り咲きまで果たしている。

この展覧会を見て、新快速という身近な存在を深掘りすると、本では補い切れない新快速の進化の過程やいかに愛されているのかが理解できた。身近だけども僕の「新快速愛」が深まった気がする。

新快速「50歳」本当におめでとう。これからもお世話になります。そして、末長く愛されますように。今度はどんな進化を見せてくれるのだろうか。。



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