私の法律学習(司法試験合格まで)その3

大学2年生の秋になり、昭和59年度の司法試験最終合格者が発表された。所属していた緑法会でも、先輩合格者の話を聞く機会が複数あったが、その中で、比較的短期(受験3回目程度であったと記憶している)に合格した方から、択一試験の勉強方法についてレクチャーを受ける機会があった。その方は、大学3年生の時から連続して択一試験には合格していた、とのことであった。
その勉強方法は、憲法、民法、刑法の3科目について、基本書、過去問問題集、判例付き六法を使い
1  まず1回目として、範囲を決めて基本書を読み、判例をチェックし、過去問を解いて、間違ったところをチェックし復習する
2 1回目が終わったら、2回目として同様の作業を行い、2回目でも間違ってしまったところをチェックし復習する
3  最後に3回目として、同様の作業を行って、最終チェックを行う
というもので、確かに、この方法であれば、次第にきめ細かくなって行き、漏れ、落ちなく択一対策ができるのではないかと思われた。
そこで、昭和60年の年明け早々頃から、上記のような択一向けの勉強をするようになった。憲法は、佐藤幸治・憲法、民法はダットサン、刑法は大塚総論・各論を使用し、六法は、その頃は唯一の判例付き六法であった模範六法(三省堂)を使用した。過去問は、あまり古すぎると問題傾向も異なるため、過去20年分の問題が掲載された問題集を使用することにした。それらを使って、上記のような勉強方法を進めた。
最初は、過去問を解いても、間違いが多く、うんざりする気持ちになったが、めげずに辛抱強く取り組んでいた。当時、4月下旬から5月上旬にかけ、某予備校が、2回にわたり、択一総合模試を実施していて、多数の受験生が受験することから合否予想に役立つと言われていたが、記憶が曖昧であるものの、結果は、合格ラインすれすれか、それよりちょっと下、という程度であった。やはり、まだ絶対的な知識量が不足していた。自分としては、何とか択一程度までは合格したいという気持ちが強く、かなりの緊張感の下で本番に臨んだところ、運良く、合格することができた。この時のうれしさはかなりのもので、大学3年生で択一試験に合格した人はかなり少なかっただけに、周囲からほめられたりもして、気分も良かったことが思い出される。
昭和60年5月に行われた司法試験の択一試験で、初回受験であったものの合格し、うれしくはあったが、はたと気付くと、勉強している科目、していない科目、ばらばらで、その年の最終合格は到底無理で、翌年以降の最終合格を目指すしかないことは十分理解できていた。自分としては、択一の合格発表の前から、「来年」を目指すため何をすべきかということを考えていた。とは言え、論文本試験を経験できるのは、翌年のことを考えても大きな意味があり、できるだけのことはしておこう、とも思っていた。
それまでは、大学の法職課程教室、緑法会のゼミ、自習により勉強を進めていたが、そろそろ限界も感じていたので、憲法、民法、刑法の基本3科目を、まず徹底的に固めるため、司法試験予備校のLECが開講し、当時、看板講師であった伊藤真氏が担当していた、憲法・民法・刑法論文合格講座に、6月からであったと記憶しているが、通い始めた。その週に、3時間ずつ2コマある講義を、日曜日に6時間分まとめて見る、というもので、日曜日が有効に使える上、ビデオ受講なので受講生が生講義でとった板書のレジュメがついていて、さらに受講料も少し安くなっていてお得感があった。この講座は、翌年3月ころまで継続して受講することになった。
商法は、不得意感があり、3年生から法学部の商法のゼミに入って勉強するようになっていたが、会社法は、とにかく基本書(当時は鈴木竹雄・会社法)を読めるところまで読むことにした。手形小切手法は、法職課程教室の合格者ゼミで、その後も続いているものがあり、そこで、手形小切手法をやるという話を聞き、頼んで入れてもらい、6月ころからゼミで勉強するようになった。
訴訟法は刑事訴訟法、法律選択科目は刑事政策、教養選択科目は社会政策を選択したが、刑訴法、刑事政策は、基本書を中途半端に読むくらいしかできず、社会政策は予備校でもらったレジュメをもらって読む程度のことしかできないまま、7月の論文本試験を迎えた。結局、勉強がある程度進んでいたのは、択一試験があった憲法、民法、刑法程度で、その3科目も論文対策は不十分で、全体として中途半端なまま、論文本試験を迎えることになった。論文本試験は、とにかく無我夢中で受けた記憶がある。わからない問題も結構あって、書けることを必死に書いた、という状態であった。
昭和60年7月に、司法試験論文試験を受験し、無我夢中の中で終わったが、自分自身の気持ちとしては、勝負は来年だという思いが強く、試験終了直後から、すぐに勉強を再開したと記憶している。論文試験を受けてみて、足りないところだらけであることが痛感され、危機感も強かった。そういった気持ちを持つことができただけでも、論文試験を受けた意味があったと、今振り返っても思う。
来年の司法試験へ向け、いろいろと計画を立てたが、そのうちに、論文試験の成績が判明した。これは、ブログでも紹介したことがある。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070824#1187956665

そこに書いたように、論文試験の成績は、

憲法A 民法F 商法F 刑法B 刑事訴訟法C 刑事政策B 社会政策F

で、総合はEとなっていた。当時は、1000番までがAで、その後は500番刻みでB、C・・・となっていて、総合で2500番から3000番の間に位置していた、ということになる。
ちなみに、当時はわからなかったが、後に判明した択一試験の成績は、

憲法23 民法20 刑法21

合計64点となっていて(75点満点)、「短答式成績」が「932」とあったことから、おそらく、受験者中、932番であった、ということになり、大学3年生での受験としては悪くないものだった。択一試験には苦手意識がなく、よくわからない問題でも推理しながら答えを出すとというところがあって、割とうまくこなしていたほうではないかと思う。
上記のような論文の結果も踏まえ、来年まで、どのように勉強するかを考えた。
(つづく)

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