ダメ院生の備忘録

自分は世間一般にダメな院生として語られるべき存在だと思います。バイオ系の研究室ではほぼ窓際族のような状態で実験もほぼせず(というかサンプルもないのでできず)、2年間を過ごしてしまいました。

それについて淡々と書いていこうと思います。

きっかけ1:お客様気分

学部生の頃から所属している研究室、最初から自分はお客様気分でした。研究者として、自分で勉強して、自分で努力して、自分で考えることはとても大事なことです。そんな中自分は『まだペーペーの自分は色々と教えてもらえるだろう』と自身ですべき努力を一旦置いてしまいました。『先生に指示されてないから、誰に聞けばいいかわからない』『先生に指示されてないから何をすればいいのかわからない』など、受け身の指示待ち人間でした。おそらく、ここから既に噛み合わせは悪かったのでしょう。

きっかけ2:噛み合わないメンター(?)

?がついているのは、結局この方がメンターなのか、はっきりと言われていないからです。ただ、他の人から見るとメンターの立ち位置なので、メンターと表記します。
この方は大変厳しい方で事細かな注意を受けました。自分はまだペーペーなのでそのような注意も然るべきと思い、最初は素直に聞いていました。ただ、『別の方の指示のもと行ったことに対する叱責』や『メールで多人数に特定の人のミスを連絡する』など、自分としては苦手な行為が目立ち、どんどん人として苦手になってしまいました。教授に相談しようと思いましたが、教授の配偶者の方とわかり、相談できず…そのような感じでスタートしました。

きっかけ3:研究室へ向かうのが億劫になる

一般に『窓際族』と呼ばれる閑職があります。あれを初めて聞いた時、『何もせずにお金もらえるなら最高では?』と思ったものです。しかし実際は違いました。特に何をしようとも指示されず、自分で自由に実験できるサンプルもなく、自分で誰に聞いたらいいか、そもそも何を聞いたらいいのかわからない身では動き方もわからず、そう言ったことが重なり、自身が窓際族のようになってしまいました。最初の方こそ、ある程度自由にできるなぁと思ったものでしたが、結局、『やることもないのに実験室にいることの居た堪れなさ』や『何をしていればいいのかわからない所在のなさ』から、足が重くなってしまい、ひどい時には家を出ようとすると気持ち悪くなるといった軽い適応障害のようなものに苦しめられてしまいました。


結果

以上主に三つのことが原因で卒論生活は死にそうになっていたのですが、『自分が怠け者だから悪いんだ...』と思い、さらには『他のラボでよりうまくいかなかったらどうしよう』という思いもあってそのまま修士へ。地震が辛いことには変わりなく結局グダグダしてしまいましたが、なんとかゴミのような修論を書いて卒業という形になります。


結論:損切りって大事

思い返してみると、色々積極的になればとか、他のラボに変えていればとか、反省すべき点はたくさんあるのですが結局は『損切りできずに大炎上』というのが悪かったのかなぁと思います。変にこれまでのことに固執せずに思い切って損切りをしていれば少なくとも苦手なメンターからは逃げられたわけですし(逃げた先にも苦手な人がいるかもしれませんが)。

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