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姚琛(ヤオチェン)応援したいので書いてみる

R1SEの卒業解散に伴いソロキャリアをスタートさせて忙しい毎日を送っているR1SEのメンバー達。ファンが心配するくらい痩せてたりするほどにガンガンお仕事してまして、ほぼ毎日何かしら上がってくる感じなのは嬉しいのですが、ちょっと気を緩めると追いつけてないわ状態になったりするくらいみんなお仕事してます。凄いです。ドラマだバラエティだVlogなどもあってまだ見れてないものもあるじゃない、一日は24時間なんですよどうしてくれるんですか(自己都合)なんて時々思うくらいにはコンテンツあります。

みんなそれぞれについて書きたい気持ちもあるのですが、姚琛について書こうと思います。

とりあえず超かっこよかった時のパフォ見て下さい!
正面からばっちり撮ってる站姐の高画質はこちらで見れます。

そして先に進めるの前に無駄に高画質な写真を貼り付けて起きます。最近のものです!

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中文名 姚琛(Yao Chen)ヤオチェン
别名 小琛哥 姚老师(本人が言ってた)
国籍 中国
出生地 重庆市
出生日期 1998年3月23日
星座 白羊座
身高(身長)180 cm
体重 60.9 kg(2021年8月)
体脂肪率 7.4(2021年8月。本人不服w ビデオあり)
经纪公司(事務所)泛领文化
粉丝名(ファンネーム)Cookies

姚琛はJYPで練習生として数年間過ごしていた人で、有名なエピソードはStray Kidsの候補生だったということ。そのことは割と知られているように思います。

2015年8月に17歳で非公開練習生に選ばれてその年の12月7日から練習生としての生活を始めました。(番組で日にちがでてました)

それと練習生時代に周震南と苦労を共にして、一緒にデビューしようと誓った「仲間」でもあります。

2019年の中国プデュに参加するため中国に戻り、そこからずっと中国で活動しているのでざっとググってみたりエゴサってみても日本語での情報が少ないように思います。多分、熱心なファンの方々は何も言わずとも全て把握されてると思うのですが、自分もそうだったようにKPOP界隈から中国アイドル界隈へは興味が大有りでも言語の壁もありまして、根性ださないとなかなかという部分はあると思います。

日本語ではあまり詳しいことが書かれていないように思ったので書いてみることにしました。とても素直な頑張り屋さんで謙虚な性格でとても素敵な人だし、面倒見もよいし、ときどき抜けてるけど(笑)とにかく好青年という言葉がぴったりだと思います。それだけではなく努力の鬼でもある(これはR1SEメンバー誰しもだけれど)ので、キレのあるダンスはかっこ良いし、ラップも歌も出来るし、最近は作詞も自ら手がけているし、韓国語で書いた歌詞の歌もあるし、なんならDJもやるし(コンサートの動画見て下さい!)、時間があればバイク乗って遠出したり登山するしスノボやらスカイダイビングやら乗馬やらとにかくアクティヴでそれらをVlogにして見せてくれるというで多才な人です。現在23歳です!

もっと知る人が増えて欲しいなと思ったりなんかしています。

現在もJYP完全子会社の「泛领文化」所属です。こちらには現在下記の訳文にも出てくるのですが、一番最初のアイデアとは随分と様子が変わっているようではありますが、Project Cという計画が進行中で、こちちらに所属しているメンバーも在籍しています。みんな若い10代から二十歳の子たちです。

ヤオチェンはいつも普通にJYP所属グループの曲かけたりネタにしたり口ずさんだりカバーしたり社長のMVリアクションなんかもしてます。インタビュアーなどもクイズの時ヒントで「ほら、あなたの会社の…」などと言うこともあるので、JYPの人というのは当然認知済みだし、時々、JYPの中国広報官的な役目負わされてない?大丈夫?って心配になることもあるのですが、今の所表面的に見る限りそれが問題になっていることはないように思います。思えばかなり特殊な立場にいるとは思いますが、熱心なファンも多くついているし、まだソロとして独り立ちしたばかりですが、ショーケース(という名のミニコン!)も盛況でしたし、順調な滑り出しをしてるかなと思います。

というわけで、彼の過去をまず追ってみることにします。

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Twitterの姚琛来了@yaochenetさんがまとめて下さっていた文章を訳します。これも元は中国語の文章だと思われる(元の中国語の文章もみつけました)のですが、英語訳されているものからの日本語訳となります。こちらのツイートです。

画像にはられている写真はツイートの中で見て下さい。
訳だけ置いておきます。

Please answer 2018

20歳のとき、人生は風によって勢いつけられた風車のように回転し始めた。それは必死に回り始めた。

中学生のときから、彼は偶然アイドルとしての夢を持ち始めた。2017年は韓国の有名で大きいエンターテイメント会社に来て2年目だった。この年はまた、アップアンドダウンに満ちていた。

(VougeMeインタビュー、パート3)

Q:独り立ちするのに家を出たのはいつが最初ですか?
YC:小学校4年のときに学校で生活するために家を離れた。その時、最初に学校に行ったとき、僕は特に家に帰りたかった。毎日僕が泣いたとき、先生は二人の人が僕の後を追うように段取りをつけた。彼らは僕が学校を抜け出しちゃうんじゃないかとかそんなことを恐れていたんだ。でもそんなことをする勇気は無かった。でも本当に家に帰りたかったんだ、特に両親。(会いたかったという意味だと思います)

Q:最初にパフォーミング・アーツで仕事をしたいと思ったのはいつですか?
YC:それは中学校の最初の日だったみたい。男性のグループがテレビ番組にいて、めっちゃくちゃカッコいいと思ったんだ。しばらく百度で検索してた。僕もこれをやってみたいなって思って、決心し始めたんだ。

(注:EXOです。最近、自分は古参のEXO-Lだって自分のコンテンツで語ってました。さらにはSMの地元(重庆)であったオーディションにも合格してた。)

ヤオチェンは「全ての最終的にデビューするメンバーが経験する」と言われる練習生のショーケースのために、夏前に様々なテストを体験していた。初めての大舞台を制した彼にとって、それは間違いなく大きな自信になったはずである。

「練習生ショーケース」

Stray Kidsのヒョンジンがデビュー後に語った練習生ショーケースについての思い。

「今日がその日だ、新鮮で新しい何かを感じた。僕たちは練習生のショーケースでパフォーマンスした。それは僕にとって特別な機会だった。だからこれを書いたんだよ。はは。練習生のショーケースはとても重要で、僕にとって大きな舞台だった。ステージは僕の夢にとっての最初の一歩だと思う。バックステージで待機していた時は、試験問題を解いている時のようにいつも緊張していた。パフォーマーとして、先輩たちがいつも演じているように特別な存在になりたかった。ステージを見るといつでも、近いようで遠くて、でも眩しく見えた。だけど今、僕たちは今ステージに立ってるんだ。とても遠くてとても難しいと思われたそれらの瞬間を僕はゆっくり歩んでみた。そして突然僕自身がそこに立っていることを理解したんだ。まだ現実だと思うことが難しくて、まだぎこちなく感じた。だけど、僕たちは将来もっと意味のあるパフォーマンスをすることが出来るって思ったんだ。わかる?とても感情的でたくさん書いちゃった。ははは。僕が良くなっていく間にまた書くよ。今日は昨日よりハッピーでありますように」

Vogue Meインタビュー:最初のパフォーマンスの感情

Q:いつ最初にステージに立ってパフォーマンスをしたんですか?
YC:2年前くらい。それほど長く訓練してないときで、ステージのうえでガチガチに緊張してた。ステージを引き受けたあとどう言えばいいのかわからなかった。ステージに立つ1秒前、頭の中が真っ白になった。次になにをするかわからなかった。その時僕たちは「Black Widow」という曲をやったんだけど、自分たちで振り付けしたんだ。そのときは小さなチームだった。

2017年は良いスタートだった。2月のショーケースでは、ヤオチェンはボーイグループに含まれていて、キャプテン・バンチャン達と一緒にオープンステージに用意されていると噂されていた。これは単なる確約というだけではなく、また象徴であった。ヤオチェンが一年以上待ち望んでいたグループデビューが、夢が手に近づいているということを意味していた。もし全てが上手くいっていたら、彼の多くの先輩たちのように、彼を韓国でデビューさせただろう。きらびやかなステージ、彼が長い間学んだことを披露し、そしてファンにより応援と歓声とともに。ヤオチェンは韓国でのデビューのオーラをもとに、より大きな舞台で演技を展開することもできるだろう。

しかしながら、資本を考慮しても、小さな従業員の個人的な理想を受け入れることは出来ない。その時指摘されてはいなかったものの、彼は正式なアーティスト契約を持っておらず、しかしまたそれをほんの少しでも話す権利を持っていなかった。商業的な理由で、その年JYPEはとうとう中国で全員中国人のボーイズグループを立ち上げる地域的な計画を進展することを決めた。それは暫定的にProject Cと呼ばれた。Project C計画が承認された後、ヤオチェンと彼のチームメイト、中国人の年上のA、そして中国をバックグラウンドに持つ練習生たちはデビューチームから外され、彼ら自身の国内デビューが別に用意された。

もし韓国で彼がデビューするのが訓練する元々の意向であったとしたなら、Project Cがヤオチェンのためにセットされた時から、ローラーコースターのような運命は、彼の望みとは違う別の終わりを彼にもたらすこととなった。その時、韓国のステージで韓国のグループのメンバーとしてデビューするチャンスは無かった。The Mcountdownのステージは彼のものではなく、知られている有名なテレビ局のサンドイッチは彼のものではなく、大はしゃぎするバラエティ番組は彼のものではないのだ。

残された選択は、とどまって中国でデビューするチームを作るのを待つか、去るかだった。

17歳の練習生が現れたStray Kidsのデビュー準備の練習生ショーケースのポスター。それにより、ヤオチェンはデビューする韓国チームから外されていた。

2017年の半ば、デビューチームStray Kidsのショーケースはデビュー前の最終的なウォームアップステージ段階に入り、ヤオチェンと先輩Aはデビューチームから外れた、分けられたステージでの出演だった。11月にJYPエンターテイメントは投資家情報としてプレスリリースを公表、正式にProject C計画そして予想としてそのグループは2018年内に立ち上がるだろうと。

ヤオチェンは最終的にとどまることを選んだ。もちろん、何人かの人は離れることを選んだ。この年半ばのショーケースの終わりからStray Kidsの正式な立ち上げまでは、当初の目的が失敗に終わったことによるものか、あるいは、中国の未成熟なスター製造市場や、エンターテインメント産業の貧弱なエコシステムに対する否定的な態度によるものかもしれない。

先輩A、中国人の練習生は、Project Cから除かれたあと、JYPを辞め、普通の人としての彼の本来の立場に戻った。彼は個人のインスタグラムアカウントを立ち上げ、Stray Kidsの正式なデビューの後にデビュー曲「Hellevator」のダンスカバーを上げることさえした。

2018年、ヤオチェンは20歳だった。この年のはじめ、彼は苦い経験をした。元々デビューチームに入っていたチームメイトを失ったり、ただチャンスを失ったりなど。この時までに彼は700以上のの日と夜を会社で訓練していた。

幸運なことに、JYPの血の繋がりは充分に厚かった。長い間訓練していて去った先輩Aであるが、彼らは他の大陸の16歳から17歳の練習生を見つけた。2000年生まれのウェンと2003年生まれのワンフールオ。彼らはとても若いけれど、とにかく会社はスタートアップのチームに一緒に入れた。Boy Storyの4枚目のシングル「Handz Up」にはヤオチェンと他の練習生がMVのカメオ出演すらした。それは半公式なアナウンスとみなすことが出来る。

8月18日の練習生ショーケース、ヤオチェンは4回目の「half sweet and half magic」のステージに立ち、それは理論的に彼のキャリアのなかで最後のショーケース舞台で、というのも会社の計画では、彼はこの年の終わりに彼の仲間とともに中国でデビューすることになっていたからだ。

2018年8月23日、練習生ショーケースのポスター。ヤオチェンは最も能力のある一人、そして最も年上の練習生になっていた。

この時、またしても運命はまた別の急なカーブを取った。9月にオリジナルのボーカリストのチームメイト、ウェン(18)がわからない理由によって会社からクビになった。同じ時に、国内で番組に出演する未成年に対する制限がさらに厳しくなった。未成年者の出演制限の影響は明らかである。会社の弟グループの露出の機会は大幅に減少した。長い間計画されていた中国のチームは、何度も何度も遅れ、さらには未成年のメンバーは外された。1000日近くもの日々を待ち続けているヤオチェン、これが意味するところは、彼は再び実用的な意味で光の司令官になったのだった。

その時、運命はまたしてもヤオチェンの前に究極のひとつだけの選択を置いた。さらに2年間待つ、若い兄弟達が成長するのを2年待つか、それとも短い時間に会社の脇で、年齢に見合った、強くてスタイルのある新しいチームメイトを宝探しするかだった。しかしながら、どんな可能性があったとしても、なかなか集まらなかった麻雀の卓が、急に3人足りなくなって、死ぬほど困惑した。もちろん、この期間の間に待つ意思がなく、離れた人もいたかもしれない。誰にもわからないけれど。結局のところ宇宙には大馬鹿者はほとんどいないのである。

2018年、ヤオチェンは1000日の昼と夜を韓国で練習生として過ごしていた。またこの年はスタートする機会を二度も逃し、彼の多くのチームメイトが去っていくのを体験し、残ったチームメイトはおそらく年齢の要求に見合ってはおらず、あたかも四面楚歌のようであった。

ヤオチェンは初めて外国に行ったときと比べてより多くのスキルを持っていたが、この時彼は未だに何も持っていなかった。

二十歳、ヤオチェンは人生において、勢いがあり、エネルギッシュで数えることの出来ない可能性に立ち向かっているべきである。しかしヤオチェンの二十歳はあまりにも苦痛であまりにも多くの不確実性に満ちていた。彼は近いうちに永遠に待っていられる年齢ではなくなる。彼のクラスメートや友達は彼らの人生の新しいステージに入っていた。1000日以上を練習室で必死に働いた彼は彼自身のデビューが必要で、成功が必要で、彼自身をはっきりとさせる必要があった。自分自身を疑うこと無く、決死の覚悟でヤオチェンはついに2019年に青島にやって来た。
(*** 青島は创造营2019が撮影された場所です。)

3月1日、ヤオチェンは島で微博に送った。
「せっかくだから、最高の自分を見せよう」

今回は成功するだろうか?

2018、答えて。全ての苦痛と暗さと希望のない灰色の時について答えて。

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以上がヤオチェンが2019年に创造营2019に参加するまでの話です。

それ以前の話となると、2014年に成都の練習生養成会社etmで夢を実現する第一歩を歩みだしました。そこからJYP行きのチケットを手にしたことになります。

etmの3期生で、そのときに同期の周震南や、今年2021年の创造营に出ていたオスカー君(4期生)と知り合っていたようです。ヤオチェンと南南は2016年8月24日に行われた非公開オーディションによって2016年12月7日に合格発表がありJYPへ行き、オスカー君は2016年4月23日にCUBE行き決定しました。​

下記は南南とヤオチェンのetm練習生時代の練習ビデオです。
二人共一番後ろの列にいます。

JYPも練習生には相当厳しいというのはあちこちで耳にするし、元JYP練習生という男性チューバーさんのこんなだったよというのも見たことありますが、最近「蒙面舞王」という仮面をかぶって正体を隠してダンスバトルするという番組に出演したのです。そのときにあったエピソードで、振り付けをしていた先生だったかな、後で感想を微博にあげてたんですが、ヤオチェンの練習生時代の話を少し聞いて驚いたと。信じられないようなスケジュールで練習して生活していた、ダンサーのみんなびっくりしたと。それ以前の本人のインタビュー記事によれば、時々トレーニングは「午前9時から翌朝6時まで、お風呂に戻って1、2時間寝てから、会社」しかし、このような生活はとても充実していると感じており、「仕事と生活を分ける必要はありません。一日中仕事をするのもいいですね」と語ったとありました。

話は戻りますが、蒙面舞王という番組は収録がめちゃくちゃ大変で、10時間かかって一晩中朝まで撮影してたことがあったそうなんですが、朝になってみんなでご飯食べてやれやれと一息ついてたら、「次の振り付け覚えたいです!教えて下さい」ってヤオチェンが言い出して、みんな疲れ切ってるのにマジか…!ってなったという話とか、それに付随する話なんですが、番組PDさんのエピソードで、出演することになったヤオチェン本人の前に、マネージャーに会ったそうで、その時そのマネさんが「彼は本当に凄い人です、素晴らしい人です、きっと好きになりますよ!」と力説していたそうで、そんなことあるかぁ?みたいな感じだったんだけど、実際に一緒に仕事をしてみたら、本当に真面目に働くし、本当に素晴らしい人だった。みんな彼のこと好きになるよ!という投稿をしておりました。

黙ってしっかり仕事するスタイルはずっと変わってないようです。

どちらかというと、我先にと前に出てくる人ではないんですね。回りの様子をよく見ていてみんなを助けている感じです。マネさんやスタッフさんにもとても愛されている人です。

メイクして衣装着てビシッと決めてるとクールなイメージが強いのですが、御本人とても気さくでちょっと抜けてたりでふにゃっとした笑顔が可愛いです。

彼についてR1SEのメンバーが話していたことを少し拾ってみます。

张颜齐が語ったこと。「友達を作るということは、第一に話ができるかどうかということ、第二に相手が相手のことを考えてくれるかどうかということ、片方が自分のことしか考えていないと相手は特に疲れてしまう、お互いがお互いのことを考えていれば、この関係は簡単に続けられる。 『だから僕はヤオチェンと友達になるのが好きなんだ。彼は特に他人を思いやる人だから』」

ヤオチェンいわく、齐齐は同じ重慶の出身で、当時海外から戻ったばかりで流行りのこととかわかってなくて、それを毎晩齐齐に聞いたりしてて仲良くなった。そこに同じく重慶出身の南南入れて重慶3兄弟と呼ばれて3人のサイドコンテンツもありましたよね(意味不明で面白いので見て下さいw)

赵让はつい最近出演した番組で、1000元誰かに送ってもらうチャレンジすることになってヤオチェンに電話。新しい服買いたいんだけど〜って言ったら「哥と呼べ」って言われて「哥」って言ったら送るわって送ってくれたんだけど999元笑 番組にいるのがわかって、自分も先に出演してたので「あ!R1SE珈琲館にいるんだ!」とか勝手に名前変えてて(闪电咖啡馆なんだけど、闪电は稲妻⚡なので笑 ⚡はR1SEのシンボルマーク)とにかく服買いなよ〜って通話は終わったのだけど、
MC「日頃何かあったら一番に助けを求めるのは姚琛なの?」
赵让「そうです」
MC「本当に?」
赵让「はい」
MC「特に良い関係なんですね?」
赵让(思いっきり)「です!!!」
大事なことは3度言うってテロップでてて笑いましたw
公式配信したときもヤオチェンに電話かけてました。その時は南南も一緒にいたというサプライズ付きで面白すぎました。
ヤオチェンも出演した蒙面舞王にあとで赵让も出演していたのですが、ちゃんと差し入れ持って応援に訪れていたのがさすが姚老师です。

创造营2019では最初の方で南南が対決するグループのリーダーに姚琛を選んだのですが、ソロとして活動をしていたのもあるのだろうけれど、グループをなかなかうまくまとめることが出来ない南南の話を聞きながら姚琛が助言をしていた姿もありました。棒付きキャンディーなめながら相談してて可愛かったですけど、内容は真剣でしたね。

姚琛と周震南は成都で知り合い、JYP時代に厳しい日々を過ごしながら彼らは親しい仲間になったのです。创造营2019で周震南が3年前に一緒に芸能人になろうと決めたと話していました。中国で知る人がほとんどいなかった姚琛は创造营2019の最初の順位発表では41位でした。その後、南南の助けというか信頼もあっただろうし、なにより練習中の彼の真面目で真摯な態度が評価されて行ったのだと思う、最終的に5位でデビューメンバーに入ったのです。メンターの苏有朋さんの大きなバックアップもありましたが、彼も真面目で自分に厳しい方なので、ヤオチェンの普段の様子などを見て気にかけていたのだと思います。

そう、2018年のつらい一年を過ごして2019年にとうとうヤオチェン自身が望んでいた場所に立てたのです。デビューすること。

それが彼が韓国にいる頃に願っていた形ではなかったとしても、この時彼は宇宙最高の一緒に戦えるメンバー達を得ることが出来たので、これまでの苦労を考えても、決して諦めなかった彼への最大の見返りだったのではないかと思うのでした。本当に良かった。

*** プデュ最中、最終結果直前のヤオチェンに関する記事があるので貼っておきます。

作詞・振付が得意なヤオチェンは、作品制作中、グループ内のすべての作品に積極的に参加しました。困難や危険を恐れずに急いで進む消防士の精神を聴衆に伝えるために、ヤオチェンは絶えず言葉を瞑想し、踊りを変えました。期間中、パンを2口食べただけで創作に専念し、作品が完成したあと、もう朝8時だと気づき、夕食も忘れていました。 責任あるヤオチェンは常に彼のチームメイトを考慮します。しばしば弱いプレーヤーがダンスを練習するのを助けます。チームメイトの刘特が足の怪我を負い、動くのに不便だったことを知った思いやりのあるヤオチェンは、練習中に大きな動きをしないように刘特に常に思い出させました。また、番組内では「見ていて胸が痛くなる」とも語っていました。

《悟空》のステージでそれまでほとんど目立っていなかったところ認められて、彼を救え!投票しようよ!っていう勢いが巻き起こって順位が上がっていった。様々なサイドコンテンツで彼の舞台裏での地道な努力も多くの人々が目にした。

「CreationCamp2019」の公式発表前は、ヤオチェンはほぼ「素材ゼロ」と「露出ゼロ」で、Weiboファンは7,000人しかいませんでした。プログラムの終わり近くに微博のファンの数は25万人に達し、 3400%以上。超強力なファンにさせる能力が確認されています。

そしてR1SEのメンバーとして様々な活動をして活躍しながら2年を過ごし、今年の6月14日0時をもって少しだけ伸びたR1SEの活動は終わりを迎えました。その最後のときに彼がアップした思い出の詰まったVlogでは彼が今も大切に思っている一緒に練習生時代を過ごしたStray Kidsの曲をBGMに使っていました。こういうとこやぞ、ほんと。

そしてR1SE卒業解散にともない、みんな宿舎を出てそれぞれの道を歩み始めました。

*** 微博にある動画は直接貼ることが出来ないので、YouTubeに移してアップしてるアカウントからお借りしております。

*** この記事を書いた以降にヤオチェンの公式YouTubeチャンネルが開設され、公式にMVなどがアップされるようになったのと同時にファンが上げていたものが権利関係で見れなくなったりしているので、2023年に入ってから動画のリンクを修正して見れるようにしました。

R1SE在籍中に初めてなのかな、自分のイヤモニが出来上がってきてその報告を短い動画でアップしてくれてたんですが、イヤモニの片方はもちろんR1SEのマーク、もう片方が日本語のひらがな「と」に見えるんですね。彼の名前、YaoChenのYとCの組み合わせなのですが、それが「と」に見えちゃう。「と」って中国語でいう「和」の意味なので、YaoChen「と」Coockies(ファンダム名)ってことなのね?というファンの推察も読みましたが本当のところは知りませんw そこまで考えてるとは思わないけど、すっかりシンボルマークとして後援会グッズとかに「と」ありますw 最近でもR1SE2周年パーティーの時仮装用の服をデコるときもジャージに「と」って書いてました。可愛い。Cookiesも「とoockies」って書かれたりもしていたり。というわけで!「と」ですよ!

さてそれではソロ活動について書いていきます。

R1SE在籍中に一曲ソロ曲をリリースしているのですが、それはStray Kidsのメンバーが作曲したもので話題にもなったし韓国語でも記事が出ていたので知っている人も多いかと思います。

ヤオチェンは元々の所属事務所に戻り、ソロアーテイストとしての活動を開始しました。

2021年6月28日に2曲入りソロEPをリリース(実際には伴奏のみのトラックも入っているので全4曲。音源配信のみ)。作詞はヤオチェン本人、曲はJYPのPDが作っています。

最初にでたタイトル曲のMVがこちら。映画のジョーカーをモチーフにしてます。そして彼の故郷、重慶の風景が入っています。この曲スルメ曲であとからじわじわくる感じあるので何度か聞いてみて下さい!

パフォーマンスビデオです。

もうひとつの収録曲がこちら。

今回は少しポップで聞きやすい曲を持ってきた感じです。

続く6月29日に新譜発売に伴うショーケースが行われました。ちゃんと観客も入ってました。オンラインでも中継されたのですが、この日に限って機材トラブルかなにかあったようでほとんどまともに見れなくて泣いたという超悲しい放送ではあったのですが、あちらのライブです、後からガンガン高画質撮影されたものが上がっていたので見回りましたが、これちゃんと放送されてたらどれだけ良かったか…本来ならおそらく回放もあっただろうにと思うと残念です。傘を使ったパフォーマンスなどもあって全部ちゃんと見たかったです…たのむわQQ音乐さん😭 

そのショーケースから。シンプルに舞台で歌って踊ってるほうがどんな感じなのかよく分かると思います。カッコいいです!

その後は音楽フェステイバルなどにも出演してまして、これらの映像も探すとたくさんでてきますけど熱いパフォーマンスをしております。定番DJタイムもあります!!!

御本人がアップするビデオもとてもおもしろいので見ていただきたいと思います。Vlogは本格的なものが多いしかなりな本数出してます。Bilibiliに御本人のアカウントありましてそちらにVlogはまとまっておいてあるのでたどりやすいかと思います。

Vlog最新B站では追いついていないので、最新の北京ユニバに親友と行ってきたよ!を貼り付けておきます。親友とは创造营2021に出ていたオスカー君です!成都時代からの友達でじゃれ合いまくるくらいに仲良しですw 2021の最終回、R1SEとして出演していたヤオチェンがオスカー君に、声かけてましたし、直播にも出演したりしててほんとに仲良しです。しかし、オスカー君がヤオチェンのことをダディダディって呼んでるのめちゃ笑いますw ちなみに同い年ですww

小红书ではスポーツVlogやってます。こちらはまた全然違う内容なのですが、ほんとアクティヴです。アプリいれてなくてもブラウザで見ることも出来ます。小さくしか見えないけど。こちらがトップページです。

http://www.xiaohongshu.com/user/profile/606a8ec50000000001008f83

ショートビデオでは少し前は本に尋ねるシリーズとかやってて笑いましたw
こういうシリーズですw しばらくこの本持ち歩いてましたww

という感じで動画もたくさん出してくれるし、工作室は撮影ビハインドなどをマメマメにだしてくれるのでそちらの普段の様子なども可愛いのでオススメです。たとえばこれとか。

最近は番組にも出演しておりまして、仮面をかぶって正体を隠してダンスするサバイバル、芸能人のガチボクシングマッチなど、それらの進行がかぶっていたりもしてたようでいくら体力あるとは言え心配にもなりますが、独り立ちした直後のスタートダッシュ的なところもあるのだと思います、全てにおいて手を抜かずに邁進するヤオチェンのこれからも楽しみです!

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長々と書いてきましたが、とりあえずここまでにしておきます。

気がついたら修正なども加えるかもしれませんが一旦終わりにします。

彼が所属している(期間限定だったは言え、終わったとは思ってないのであえて)R1SEもとにかく音楽良し、パフォーマンス良し、メンバーみんなかっこ良いのに面白すぎるという本当に良いグループなのでR1SEも掘っていって貰えれば嬉しいです!

次は多分、おそらく…こちらもめちゃめちゃ仕事しまくって頑張ってる赵让について書くかもしれません。(未定です)

追記です!!!

この記事をアップした日に、なんとタイミング良すぎでしょという、内容の素晴らしい新しいインタビューがでまして、運動に関するインタビューなのですが、後半で練習生時代のことやリリースした曲についての質問があって、スキズのバンチャンについての質問もありました。

こちらの動画です。

とても良いインタビューなのですが、全部訳す能力はないので、バンチャンに関するところだけ置いておきます。出来るなら全部内容を知ってほしいくらい良いインタビューでした(号泣

Q:スキズのバンチャンはよくあなたについて言及していますが(中国の兄弟、姚琛と)彼のサポートから得る強さはなんですか?
YC:JYPで練習していた時、バンチャンは続けることができた理由の大きな部分を占めています。彼は同じ部屋に住んでいて、(二段ベッドの)僕の下で寝ていた。僕が疲れた時、ベッドをノックして「兄さん、疲れた。とても疲れたよ」って言うと、彼は元気づける言葉を何も言わずに「大丈夫だよ。僕はいつも君の下のベッドにいるよ。何かあったらいつでも僕を呼ぶといいよ」と言ったんです。彼は僕を家族のように扱いました。誰か僕に付き添ってくれてる人がいるんだって感じました。僕も率先して、何か言いたいことある?サッカーしにいこうか?って聞くんです。彼はサッカーが好きなんです。お互いに支え合って一緒に乗り越えました。

色々思うところはあるのですが、みんなそれぞれ幸せな道を歩んで欲しいです。まだまだこれからです!


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