春のお彼岸

春のお彼岸。実家のお仏壇が賑やかになっている。頼りになる人は子供の時に死んじゃった。今はへなちょこの父親が生きてるだけ。
私のお父さんは父親ではなく、おっちゃん。

おっちゃんは頼もしかった。大きい声で堂々としていた。おっちゃんが亡くなって、寄せ書きを職場の人が書いてくれたの。その中に女の人が「イイケツしてるな、バシン、と叩かれても嫌らしい感じが全然ない捷雄さんでした」と書いてるのがあった。私にも「カノン、おっぱいおっきくなったな」と言っていた。

おっちゃんは小学校4年生の私の誕生日会にみんなが家へ来ている所へ電報を打ってくれた。郵便局の人が持ってきてくれた。「ひとつお姉さんになったね。お誕生日おめでとう」って。きっとおっちゃんは、私の誕生日を一緒にお祝いしたかったんだ。

その翌年。4月10日。おっちゃんから電話が来た。「カノン。今日何の日か知ってるか?」「知らないよ、ガチャ」母と喧嘩したあとだったのか、その最中だったのか。最後に「おっちゃん、お誕生日おめでとう」と言えずにおっちゃんは急性心不全でお布団の中で眠ったまま亡くなった。

その事をずっと後悔していた中学生だった。そして、知り合う人の誕生日を大事にするようになった。今さら、他の人の誕生日を大事にしたって、おっちゃんに誕生日おめでとうと言うことにならないのに。

今日はお彼岸で。賑やかになっているお仏壇の仏様一人一人にありがとう、と言ってみるつもりで振り返っていたら。おっちゃんにありがとうだけじゃなくて。反抗期の真っ只中だったけれど。ごめんと言っても足りなくて、泣き出してしまった。

小学校高学年にもなれば、自分をほんとに大事にしてくれたのは誰かわかる、と看護師さんは言っていた。私は小学校高学年じゃわからなかった。近くに住んでた訳じゃなかった。しょっちゅう会えてたわけでもなかった。私はガキ臭い友達に憂鬱な小学校で勉強と学級委員の役割で一杯だった。

中学生になって、親に助けてもらいたい時、頼りにならない人たちなんだ、と知って。じゃあ。今まで自分の心の支えは誰だったんだ?ーおっちゃんだったんだ。そこから私は人に対して後悔しないようにできる限りの対応をしよう、と思ってた。

それをいつの間にか忘れていた。そもそもできる限りの対応ってなんだ?そんな一生懸命になっても心が届かないことはあるよ、と知った。

人に対して出来ること、よりも、自分が出来ることー自己実現をしなきゃって思い始めてた。やっと。

不器用過ぎた過去だったかもしれない。環境が悪かったかもしれない。それでも生きていくんだから。自分の人生に責任を持たなきゃね。時に寂しくても。友達や恋人に埋めてもらおうとしたら依存しているだけだよ!

おっちゃんは天国からたくさん私を褒めてくれてると思う。「カノン!また小説書いたのか!コンテストに出してみろ!」「カノン!良い絵描いたなぁ!こんなの普通の人には描けないぞ!」「カノン!路上で歌ったのか!テープおっちゃんにもくれ!車の中でかける!」「カノン!料理うまくなったなぁ!今度おっちゃんもカノンに作ってやるぞ!」「カノン!」

私は大丈夫。歪んだ家庭環境で育ったけれど、幼少期、おっちゃんに可愛がってもらったから。

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