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今日という1日をMAX生ききれるか?

1日1日を最大限生きる。
いつ死んでもいいように生きよう。

東日本大地震が起こったとき、長男がもうすぐ2歳というところだった。
近所に買い物に出て家を留守にしていているときに地震が起こって、とっさに外に出た。
家に戻ると、お昼寝していたはずの長男が起きていた。オーディオや食器がが落ちていてひやっとしたけど、長男にケガがなく、心底ホッとした。
ちょっと目を離したスキに何が起こるかわからない、ちょっとした留守でも子どもを連れて行こうと思った。

当時、都心のど真ん中、最寄駅はお茶の水か秋葉原か、というような場所に住んでいた。数分のところから帰る途中、ビルの中から人が出てきて、道中、会社員でごった返していた。その日、帰宅難民で街は歩く人であふれ、翌日には、街のすべてのお店から食料が消えた。

そこから、もし次に、例えば首都圏直下型地震などが起こったなら、そのまま都心に住み続けていたら、生き延びられないかもしれないと思った。
翌年の幼稚園のことを考えて、土があるところがいいな、自然育児で育てたいなと思っていたこともあり、震災の半年後に郊外へ引っ越しをした。

震災があって2週間くらい、九州へ避難していたのだが、お世話になっているおうちでテレビから繰り返し流れる津波の映像を見ながら、いつどこでどういう災害が起こるかわからない。
もしかしたら、親が子より先に死んじゃうことがあるかもしれない。障がいを持つ長男は、そうしたら生きていけるのだろうか。

万が一、いつ死んでもいいように、
いつ何があっても後悔しないように、
その日その日を生ききろう。

そう決めた瞬間のことを、今でも覚えている。

先送りにしていることは、今やろう。
きついと思っていても、やらないで後悔するかもしれない。時間は有限。
喧嘩したり怒りすぎたら、1日が終わる前に謝ろう。
生まれていてくれてありがとう、大好きだよ、って毎日伝えよう。

そう思ってきた。毎日思い続けていくと、それが自分自身になっていく。
だから、はたからみると「予定を詰め込む」「欲張り」「そんなに頑張らなくても」と思われるような、色々やってみる「私」になったのかもしれない。

今年は、意識的に自分をストレッチする日々を送ってきたけど、来年は家族により意識を向けていこうと思っている。

皆さんは、毎日、生ききっていますか?

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