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#23 終わることと始まること

毎日、1日が終わって、次の日また朝がやってきます。
すると、1日がリセットされるんですね。

当たり前のように感じられますが、この、
・昨日から今日につながっている流れと、
・毎日が終わって次の日がまた始まること、
その両方があるんだなと思うんです。

毎日のやりたいことリストから思うこと

最近、やりたいことが多いのもあって、自分のモチベーションアップのために、手帳に毎日やれたらいいと思うことのリストをつけています。すると、せっかく時間を割いてウォーキングしたのに、せっかく"これ伝えよう♪"と思ってnoteに書いたのに、せっかくおいしく料理が仕上がったのに、次の日になったら、ぜ~んぶリセットされちゃうんですよね(笑)

小さな「生と死」

終わってまた新しく始まる。
それは言ってみれば、小さな「死」と「生」が繰り返されていることととらえることができるかもしれません。
せっかくやったこともリセットされて、また次の日に積み上げていく。
逆に、とてもつらいことがあった日も終わって、時間が経てば朝がやってくる。

1日のリズムもそうだし、呼吸もそうですね。
呼吸=吐く・吸うと書きますが、吐いて吐ききったら、吸う息が入ってきます。ヨガを教わったときに誘導することがあるのですが、息を吐くとき、「わたし」がだんだん空っぽになっていって、そうすると、その分だけ、周りの空間が少しだけ広がります。息を吸うとき、「わたし」の中に空気が入っていって、「わたし」の外側の世界が少しだけ小さくなります。
そうして、空っぽになって、終わって、また息が入っていって、を繰り返しています。

毎日が、呼吸ひとつひとつが、そして毎瞬毎瞬も、そのときを過ぎたら過去になっていく。それこそが生きているってことなんじゃないかなと思ったりします。生と死を行ったり来たり。ダンスしているような。

一見、むなしく思えるような日々の営み

家事を振り返ってとき、こう思うことはありませんか。
・お布団を畳むとき、また夜になったら敷くのに、どうして畳むんだろう。
・洋服も、また近々着るのに、どうしていちいちしまわなきゃなんだろう(しまわない収納をご提案されてる場合もありますが!)
・調理に時間がかかるのに、食べるのは一瞬。それに、作っても作ってもなくなる。なんか虚しいな。
・キレイにしてもしても、埃がどこからか出てくる。
・子どもがいればなおさら、片づけても片づけても、散らかされる。

そうした、一見無駄のようでいて、それでもやらなければいけないこと。それを紡いでいくことは、私たちが先祖代々生きてきて、受け継いでいることなのではないかと感じています。

当たり前のことこそが実は大事

当たり前のルーティーンをきちんとすることは、結界のように、私たちを守り、整えてくれるのではないかと。そこを適当にするのか、心をこめてするのか(時間を長くすればいいというわけではない、要点を押さえるのが大事)で、子も、私たちも、仕上がりが変わってくるのではないかと思ってます。
家電も取り入れながら、何が自分にとって本当に必要なのか自分に問いかけつつ、日々の暮らしを紡いでいきましょう。

と、えらそうなことを言いながら、ワタクシ、実はこの当たり前の片付けやらお掃除がとても苦手です。ずっと「効率、効率」と、目に見える成果を求めて、基礎部分を大事にしてこなかった。ここが苦手だったり大事だと思ってない現代人、意外と多いのではないかしら。
今、祖母に手伝ってもらいながら、プロに時々伴走をお願いしながら、仕組みづくりのテコ入れ中です。

少しずつできるようになってきました。すると、「気持ちいい」!
頭の中や色んなことが少しずつクリアになっていっています。この感覚を大事にしていきたいと思っています。

今日は、毎日・毎瞬の中に感じる、終わりと始まりについて。そして、毎日繰り返される日々の営みこそが大事だよ、ということを書いてみました。

どなたかの参考になれば幸いです。
それでは、また明日!


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