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柳生語録 第3号 「金メダル」

ちまたでは「東京オリンピック」がコロナによって延期されたとあって大騒ぎしているようですが、ぼくは全く慌てておりません。
 
今回はぼくがどのようにしてその強靭なメンタルを手に入れたのかをお話ししたいと思います。
 
みなさんは知っているでしょうか。今から9年前の2011年に「美賀多台オリンピック」が開催される予定だったことを。
 
この「美賀多台オリンピック」とはぼくの地元の美賀多台の公園で競技者2人だけで開催される予定だった幻のオリンピックです。
東京オリンピックが歴史上初めての延期だのなんだの言っておりますが、実はこの「美賀多台オリンピック」が列記とした歴史上初めて延期されたオリンピックです。
 
競技者は中学時代のぼくとその当時お付き合いをさせてもらっていた彼女です。
 
その日ぼくは初めて彼女と遊ぼうということになり、うきうきしておりました。
公園で彼女を楽しませるために何をしようか考えていた時に思いついたのが、「美賀多台オリンピック」です。
競技種目はテニス、野球、サッカー、バスケ、バトミントン、100m走、200m走の予定でした。もう一度言いますが、競技者は2人です。中学時代のぼくは本気で全部やるつもりでした。彼女の笑顔が見たい一心でした。なんと純粋な少年だったことでしょうか。この気持ちわすれたくありません。
 
それまで遊んでいた友達に「これから彼女と遊ぶから」と自慢げに宣言し、家での遊びを切り上げ、山のような荷物を抱え、大汗をかきながら、自転車で約束の美賀多台公園に向かいました。着いたのが14時頃だったような気がします。約束は14時30分くらいだったと思います。楽しみすぎて早くいってしまいました。かわいいですね。
 
とりあえず彼女がくるまで待ちました。
17時くらいですかね。あれ、彼女来るの遅いなと思ったのは。
 
 
17時くらいに気づいたのはうそです。正直言うと、もう少し早く気づいていました。
なぜなら、彼女のマンションから公園は見えるんです。彼女はぼくが公園にいることが分かっていたはずなんです。それでも約束の時間には現れなかったんです。
 
それでも、ぼくが待ち続けていたのはどうしてだったんでしょうか。当時を振り返ってもあまり思い出せません。
 
競技者としてのプライドがそうさせたのか、威厳あるオリンピックを延期させてしまうことに責任を感じたのか、今でもその理由は思い出せません。
 
結局18時くらいですかね。彼女との約束の前に遊んでた友達が帰り道に公園を通りました。彼らはすべてを察したのか、共にバスケをやろうと提案してくれました。
 
一生懸命バスケをしました。
友達は「なんか今日お前動きいいな」と言ってくれました。
 
ぼくは自分自身に金メダルをあげたい気持ちでした。

次回 栁生語録 第4号 「2030 栁生会オリンピック開催 @美賀多台公園」 

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