シェゾを中心とした超個人的ぷよ魔導世界考察~シェゾはヒロイン~

シェゾ・ウィグィィはぷよ魔導におけるヒロインの一人である。

どうか怒らないでほしい。この結論に至るにはシェゾ・ウィグィィというキャラクターの起源から近年の作品に登場するシェゾにまでに至る、ぷよ魔導という二十年以上の歴史ある大ジャンルの世界観をまとめるために行った考察が背景にあるのだ。「ヒロインは俺の嫁以外何を言われても認めない」という考え方を持たれる方はここでブラウザを閉じていただき、この記事の存在を忘れていただきたい。どうかこの先インターネットという広い世界で私と関わり合いにならずに済むことを祈っている。というかなぜここに来た。

盛大なふるいにかけた所で本題に移る。ぷよ魔導は権利問題という大人の事情が絡み、現在でも複雑な人間模様の展開されるジャンルであるが、この二十数年の中でまったく整合性のない世界観を生み出し続けているのかと言われればそうではない。それを示すのにとても分かりやすい身近な存在がいる。全シリーズを通してシェゾ・ウィグィィは闇の魔導師を貫き通しているのだ。ご存じアルル・ナジャも魔導師の卵であり、サタンは今でも魔王業にいそしんでいるのは自明であろう。ここから私は「頑張ったらこれちゃんとシリーズすべての世界がつながるんじゃねえか?」というあまりにも無謀なことを考えるに至ったのである。改めて文章にしてみたら話がぶっ飛ぶにもほどがある。

ここで更にふるいを振り回すことになるが、私は「真魔導物語」における「魔導年表」を一つの流れとして主軸におくようにしている(書面で大きな時系列が明らかになっているのは真魔導くらいなので)。「真魔導物語死すべし!!」を掲げる皆さんはおそらくここで続きを見る気が存分に失せてると思うので、どうぞ心に従って素直にお帰りください。

ではここで改めて本題を確認する。私はシェゾ・ウィグィィの研究をしている。研究費は与えられていないので、もちろん非公式である。そんな私の考察であるが故、主題はもちろんシェゾ・ウィグィィについてである。おそらく200年弱は生きていることが真魔導年表に記されいる闇の魔導師、その長い人生とともに、このぷよ魔導を振り返りつつ考察していく。


シェゾ・ウィグィィの起源

ここでは作品としてのシェゾ・ウィグィィの起源を振り返ろう。シェゾ・ウィグィィとアルルの出会いは、皆さんおなじみの98魔導である。アルルの魔力を付け狙い、誘拐し、地下牢に監禁していたところ、アルルに逃げられるわ殺されるわの驚異のデスマーチを繰り広げ、大勢のファンの心をつかんだ。この時点ですでに闇の魔導師であることは語られていたように思う。

魔導師ラルバとかそういう話は推しカプに関連して色々お話ししたいので、勇気ある方は私のTwitterなどで声をかけてくれれば勝手に一晩中しゃべる。

ここでいきなりに考察のメスを入れていくが、このシェゾ・ウィグィィは未来から来たのではないかと私は考えている。明確に一人称も違えば、見た目の風貌からその後のシリーズのシェゾとは明らかに様相が違うという事からの私の妄想でもある。プレイしていただければわかるが、98シェゾを一度でも見ればその後のシリーズのシェゾが数段幼く感じられるだろう。そして、アルルへの固執のようなものを感じさせるそぶりがあるのだ。シェゾの住処の様子から被害者はアルル一人ではないことは大体察しが付く。たかが少女一人、捕まえて逃げられたところで、生きながらえるための食事なら次の獲物を探す方がよっぽど賢明だろう。アルルは一般の少女であり聖女ではないので、他の魔導師を助けようだとかシェゾを止めようだとか考えもしていない。彼女は純粋に逃げたかっただけなのだ(一発仕返ししてやろうくらいの感覚ではあっただろうが)。それをあろうことか全力でアルルと戦い無残に敗れるシェゾは、「コイツ何がしたかったんだ」と思うほかない。そこで考えられるのが最初からアルルに何かしらの固執があったのではないかということだ。一方のアルルは今後のシリーズと明らかに違ってシェゾのことは全く知らない素振りであったため、これはシェゾからの一方通行な執念である。そしてここからは推察となるが、シェゾはアルルと面識があり、アルルはシェゾと面識がないという状況からありきたりに考えて未来から来たんじゃあないかという結論に至った。実際シェゾというよりは「闇の魔導師」としての面が強い。これは真魔導でもたびたび考察される「闇の魔導師の開花」という事がシェゾに起きた後なのではないか。そう考えると時系列としてはやはり未来からという結論に私の中では落ち着いたのである。

ではシェゾのアルルへの固執が一体どういうものなのか。それは真魔導年表のラグナロクに関する考察に加え、「闇の魔導師」の起源の考察から紐解いていこうと思う。


闇の魔導師の起源・ラグナロクとリリス

さて、闇の魔導師とはいったい何なのか。分かっていることは、「古代魔導を使う」「他人の魔力を糧に生きる」「光の勇者の討伐対象である」などと断片的な情報になる。挙げ始めるときりがないので必要な情報は適宜ソースを示しながら小出しにしていこうと思う。

まずは簡潔に結論から述べるが、闇の魔導師は「ラグナロクで人間が聖なるものたち(天使)に立ち向かうために生み出した兵器」である。この結論に至る要素をまずは解説していきたい。

真魔導年表におけるラグナロクは「悪魔王ルシファー率いる聖なるもの」と「人類庇護者リリス率いる邪なるもの」の戦いであるとされている。そして、それまでの世界は「人類文明」とされているのでおそらく私たちのいる現実の地球のことだろう。そう捉えるとキリスト教の勉強を熱心になさっている中二病の皆さんならお分かりだと思うが、ラグナロクとは「人類の終末」のことではないかと察することができるだろう。そして悪魔王のルシファーはもとは大天使ルシフェルであり、「聖なるもの」が人類を駆逐しようとしていたという事が分かると思う。もちろんそれで簡単に滅亡を受け入れる人類ではない。抗った結果、「終末」であったはずのラグナロクは大きな戦争へと発展していったのだ。そこで「人類庇護者リリス」が命と引き換えに戦争を終結させ、その「奇蹟」により魔導世界が誕生する。

これがラグナロクのあらましである。そして闇の魔導師はこの戦いにおける「邪なるもの」=「人類」の兵器ではないかという事である。まず、「シェゾ・ウィグィィ」という名前は「神を汚す華やかなるもの」という意味がある。そして、「聖なるもの」の筆頭は「悪魔王サタン」=「大天使ルシファー」である。一般的キリスト教の観点からして、大天使という事は当然その上には「神」が存在するだろう。そしてその神を汚すという事は、神と敵対する存在であるという事を表しているのではないか。そしてこのシェゾ・ウィグィィという名前、魔導物語ARSのS編の闇の剣の発言から察するに、シェゾ・ウィグィィという名前こそが闇の魔導師である象徴だという事がうかがえる。つまり端的に言うと闇の魔導師は「神」ひいては「聖なるもの」と敵対する存在である。その信憑性を高めるのが、闇の魔導師のみが使えるという古代魔導「アレイアード」が「天使の翼を折る」という意味の言葉であるという記述だ。ここではもう明確に「天使絶対殺すマン」みたいな扱いになっている。これらの要素から察するあたり、闇の魔導師は天使を殺すための存在だったのではないか。ではなぜ、人間の魔導師の魔力を奪うのか。答えは簡単だ。「車を走らせるにはガソリンが必要」なのである。

ここら辺に関しての詳しい描写を「http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5352658」こちらで描写している。魔導力の出現に関する考察の結論などもまとめてあるので、興味があればぜひ見てほしい。

以上のことから闇の魔導師が人類の兵器だったという事を示したわけだが、ここから話はリリスと闇の魔導師の因縁へと移っていく。


闇の魔導師とリリスの因縁

「華やかなるもの」として人類にもてはやされた闇の魔導師であるが、その役目はリリスによる戦争の終結をもって幕を下ろすことになる。リリスの「奇蹟」は魔界と人間界を混在させた魔導世界を誕生させた。魔物=天使たちと人類が共存するリリスの理想の世界だ。しかし、闇の魔導師としては堪ったものではない。魔物と人間が争わなくなった以上、闇の魔導師はただただ人間から魔力をむさぼる「産業廃棄物」となってしまったのである。人類の庇護者で戦争を終わらせた奇蹟の乙女として後世に語り継がれることになったリリス、その傍らでかつて華やかなる者と持て囃された挙句歴史の闇に葬り去られることとなった闇の魔導師。闇の魔導師がリリスを仇敵ととらえるのはおかしな話ではないだろう。

ここまで言えばお分かりかと思うが、つまり最初に述べたシェゾがアルルという存在に固執する理由として、「闇の魔導師としての本能」があると私は考えている。歴史に基づく本能が、リリスから生まれた存在であるアルルに憎悪にも近い執念を滾らせるのだ。しかしシェゾの態度を見る限りアルルへの感情はマイナスだけではないことも見て取ることができるだろう。とはいえシェゾのアルルへの感情は決して単純なものではない。本能と裏腹にアルルに対して庇護欲のようなものがシェゾの中には存在する。同時にかつての大天使であるサタンや魔力を持たない人間のルルー、宿敵ともいえる対極の存在であるラグナスに対しても歩み寄ることができる闇の魔導師である。そしてその状況は「シェゾが優しいから」というような感情論で説明できるものではない。

闇の魔導師というものがどういうものか、ルーンロードやARSにおける闇の剣の語る部分からその生態を垣間見ることはできる。闇の魔導師とは呪いのようなもの。いずれ開花するとルーンロードは語っているが、それ以前にシェゾはARSのラストで自身が闇の魔導師となったという事実をいとも簡単に受け入れる。自暴自棄になったと捉えてもいいが、その後のシェゾは闇の魔導師であるという事を誇りに「闇の魔導師らしい」振る舞いにこだわっているのだ。その上でシェゾはアルルに対して闇の魔導師が持つ本能を発揮せず、庇護し、見守るような慈愛に近い感情を見せるそぶりをする。同時にサタンに対して鋭い観察眼を持ち、彼の暴走を止めたり、時には庇うこともある。これはぷよテトなどの近年の作品でも著しいが、それまでの作品でもサタンの言い分には素直に従う場面が多い。ただの人間のルルーにも突っかかることはあれど、一個人としての敬意を払い、はめきんではアルルとルルーを庇うという事もある。これらの行動はもはや闇の魔導師の振る舞いではない。リリスの娘にも等しいアルルを見守り、サタンを叱咤しながらも理解し、人間のルルーを庇護する。この行動はまるで人類庇護者リリスのようだと思わないだろうか。リリスの転生体はアルルのはずだが、何故シェゾがリリスのような振る舞いをするのか。その答えはリリスの魂にある。


ARS三位一体リリス説

まず、アルルはリリスの生まれ変わりとかそういうものではない。サタンとリリスの奇蹟から生まれた輪廻外超生命体である。これだけ言うとアルルがまるで宇宙人のように思えるが、実際そのようなものだと思っておいて構わない。つまり肉体や魔導力のようなものは受け継いでいても、リリスの魂はそこにはない。真魔導や他作品でもリリスはリリスという存在でアルルの前に登場する。しかしそれらはしばしば亡霊や残留思念のように描かれる。そしてかつてサタンを愛し、人類の庇護者だったリリスという肩書にそぐわず、アルルに対して泥臭い感情を抱いているようなそぶりを見せる。それは何故か。私はリリスがルルーとシェゾに魂の一部を譲ったからだと考えている。つまり、ARSとは三人ともリリスの形質を引き継いでいる存在なのではないかということだ。ARSの三人は分かりやすくばらばらの存在で、それでいて分かりやすいくらい同等の扱いを受けている。三人は子供と男性と女性であり、魔導師と人間とその間に位置する魔導師の卵であり、それでいて三人とも生まれは人間という種族であり、サタンとミノタウロスとアスモデという魔族の後援者をそれぞれが持つ。その中でリリスの形質もバラバラでありながら等しく受け継いでいて、アルルはリリスの魔導力を、ルルーはサタンへの愛情を、そしてシェゾはリリスの役目をそれぞれ引き継いだと考えている。分かる人には分かればいい程度の例えだが、エヴァンゲリオンに登場するマギシステムのようなものだと思っておいてもらえると、理解が深まると思う。

そもそもシェゾは選ばれた存在だった。闇の剣はルーンロードですら使いこなすことができなかったが、それをいともたやすく使役し、何よりシェゾ・ウィグィィという名前を与えられた。そして、アルルと出会った唯一の闇の魔導師である。ルルーも同様にただの人間ではあるが、かつてサタンに助けられ、鉄拳春休みでは本当は大きな力を秘めているという事が示唆されており、アルルやシェゾと対等の存在であり続けている。この三人の出会いはもはや必然だったのではないだろうか。

ここまで物語の要素を拾い上げてきたがメタ的な観点にも少し触れておきたい。90年代の日本のサブカルチャーでは三人のヒロインというのが非常に流行っていた時代である。魔法騎士レイアースとかもうめちゃくちゃ流行った。シェゾちゃんに似てるといえばヒロイン三人ではなくどっちかっていうとクレフなんだけどたぶんOVA見てないと分かんないから、とにかくそういう時代だった。近年でも絶チルとかハルヒとかあの辺で三人ヒロインを見かけた人は多いと思う。ARSとはとにかくたぶんそういう扱いなのだ。そうじゃないんだとしたらエヴァンゲリオンのように1主人公2ヒロインだとしても、主人公はアルルなんだからシェゾちゃんは綾波レイなんだ。長門有希だし。


終わりに

とにかく、ここまで長々と話したがこのような考察を踏まえた視点でシェゾを見ていただけると、私がなぜ「少年よ、シェゾに劣情を抱け」と推進しているかが非常によくわかると思う。シェゾは他の二人との差別化を図るために男性っぽく描かれているだけで、その本質はヒロインであると私は思っているのだ。だから、シェゾを「エッチで可愛い」と思う事は日本のサブカルチャーに対する敬意であり、私が本気で公式から推察したぷよ魔導におけるシェゾの役割である。だから大声で言おう。ほら、これ読んでる人は部屋の窓開けて、隣近所に言いふらすように、「シェゾはエッチで可愛いです!!」って、言おう。

老若男女問わずすべての人が心のちんこの赴くままに、声高らかにシェゾがエッチで可愛いと公言できる日のために私は地道な草の根運動の一環としてこうしてドデカい一本糞をしたためるに至ったのである。これを読んだところで、シェゾはエッチで可愛いですとまでは思えなくても、今後の貴方のシェゾ活において何かのエッセンスになればいいと祈っている。そしてシェゾという単語を含む作品がこの世に一つでも多く生み出されれば、この一本糞も完熟バナナくらいには思えるだろう。

ご静聴ありがとうございました。

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