書いてみたい!飽きっぽいは低燃費だと思う話。

わたしも書いてみます!なにかしたいなぁと思って、でもなにも持ってないし、あげるものもないんだけどね、なんか書いてみるね。

今、なにも持っていないことが不安。子供の頃、10代の頃のわたしは、今頃を想像して、もっとあふれんばかりにいろいろ持っていると思っていたような気がする。もちろんそのためにいろいろ努力などした上で。

でもわたしはその頃に思っていたより、全然なにもしたくなくなってしまったの。もっとできると思っていた時のわたしのかけらが、今のわたしを不安にさせるんだね。

わたしは時間の多くを過去の反芻追体験思い出してまた悲しむ、怒る、後悔する、ことに費やしすぎている。今の時間を過去のために使ってしまうのだ。もちろん楽しかったこと嬉しかったことにも。

それはポジティブにいうと一回の体験でめちゃくちゃなんどもあじわえるということだと思う。これってとっても低燃費だよね。時に一回やそこいらで満足してしまうから、飽きっぽいなぁと自分では思っていた。飽きっぽいことがネガテイブに捉えられがちだけど、ちょっとで満足できるっていうのはそれはそれでよいのでは?!と最近思いたいと思っている。

もちろん同じこと(同じではないとは思ってるよ)を何回も何回もできるのは、その度に新鮮に味わうことができるという素敵なことだ。新鮮でなくても実際に体験するということになんらかの楽しみを予見しているからこそだと思う。

その点わたしは頭の中だけで完結してしまいがちなのかもしれない。noteって無理におちつけなくていいかんじがいいよね。





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