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旅の備忘録1:インドネシア・ジャカルタ

7月にEmunitasを創業して、メンバーの持つネットワークと彼らの口から語られるこれらの国のポテンシャルに魅了されて、インドとインドネシアに拠点を持つことを決めた。右も左も分からなかったが、この国と正面から向き合わなければ何も始まらないことは分かっていた。弊社のある投資家から指摘された「自分が助けたい人にただ寄付を施しているみたいな感じにならないように」という言葉を抱えてそのまま飛行機に乗った。

8/7-8/12インドネシア・ジャカルタ

私の曽祖父は東条英樹から「石油戦士」の名を受けて、石油の島スマトラで明け暮れの約3年間の生活を過ごしていた。彼の体験の軌跡が記された「南十字星の下に」という世界に一冊の著書には戦争の残虐さと共に彼のスマトラでの生活がまとめられていた。そこから「インドネシア」は僕にとって身近な存在であった。残念ながら曽祖父とは会えないままだったけれども。

空港に到着するとすぐさまメンバーのお父さんがお迎えに来てくださった。同国の大手メディア会社の経営を担う彼は息子とそっくりの笑顔でオフィスを案内してくれた。超高層オフィスビル一棟の中に複数のグループ会社やテレビ局スタジオが併設されており、中には日本企業と共同運営しているインキュベーション施設がある。1Fには地域に無料で解放している美術館と本屋があり、庭園には社内の各部署が植林やガーデニングを行う環境活動も行なっていた。実際に、経営層の方と話をする中で日本を含む海外投資がインドネシアに集まってきている実態や政府に対する信用のなさを垣間みた。その裏には、マレー系民族の政府と中華系の資本を持つ経営者たちとの間にある避けられないギャップが存在しているのだろう。

お宅にお邪魔すると、とても大きなプール付き豪邸でふんだんに電化製品が取り入れられているのが印象的だった。夜は近所のシンガポールや中華系の経営者の皆さんとテニスをして情報交換をしていた。「このスポーツシューズ、みんなでお揃いで買おうよ。」みたいな話から「今度、この会社を紹介させてよ」といったビジネストークまで夜のコートはまるで日本の飲み会会場のようだった。ムスリム国家の経営者は飲み会ではなく、テニスやゴルフなどのスポーツをしながら重要な情報交換を図っているのだろう。

また、印象的だったのは彼らが英語で会話を行なっていることである。この国には「バハサ(インドネシア語)」があるはずなのに、である。彼らのご子息は同じくインターナショナルスクールに通い、普段から英語を使う。彼らはGojek(タクシー)の運転手がバハサしか話せないと、話が出来なかったりする。もはや、第二、第三言語にすぎないのかもしれない。もちろん、移動も運転手付き自家用車で近距離でも移動する。勿論、安全などを考えてそれが妥当なのかもしれないけれども、同質的なコミュニティ間を行き来して、ローカルを見ないで生活を続けてしまうと、インドネシアの一般的な住民が見えている「当たり前」を彼らは歪んで捉えてしまわないだろうか。ご家族のお母さんが車から見えたデモに対して「なんかゾンビみたいな感じよね」と言った一言が記憶に残っている。勿論お母さんは素敵な方だったので何も悪く言いたいわけではないのだが、「なぜマレー系労働者たちがデモをしているのか」について言及できる状態でないことは明らかだった。それぐらい、この国には格差と、格差の上から下をみようとするときに分厚い雲が存在しているように思う。数知れないほど大きなモール(デパート)があるのに、厳重なセキュリティによって中がスカスカになってしまうこの国のモールのように。

テニス

現地では、運よく政府系の方とも話す機会を得た。インドネシアの投資事情やポテンシャルについて話を聞いた上で、やはりジャカルタとそれ以外では状況が全然違うことも学ばされたポイントである。また、話を聞く中で政府の脆さも実感した。トップが利権を牛脂ってしまい、失敗は部下に取らせて辞めさせる。大量の賄賂や汚職問題。数えきれないほどの政府の問題があった。とても素敵な方だったので悪くいうつもりは全くないのだが、最後に一つエピソードを残す。帰宅途中、彼が「君は中国のことをどう思う?僕は嫌いなんだよね。中華系の人ってすぐにマレー系の人を辞めさせるじゃん」という発言が脳裏に残った。その場でうまく返答ができなかったが、やはり歴史をみてもインドネシアの民族問題は根深い状態となっている。また、そんな話をしていた夜、お父さん(経営者)と彼が保有するチェーンの本屋さんに訪問すると、スタッフが仕事中にも関わらず、自分の電話で長話をしていた。その直後、彼はマネージャーに電話し、注意してスタッフを辞めさせているようだった。余談だが、彼の経営に関する眼差しは尊敬できるものがある。定期的にkinokuniyaに足を運んだり、本やニュースを通じて、他社の真似できそうな利点をすぐに導入されていたりと、大変勉強させていただいた。

最後に市民について触れようと思う。インドネシアで印象的だったのは、デモをしている市民を多くみたことだった。大統領に対して、政府に対して、選挙に対して、みな声をあげていた。車でもモールでも若者向けポップが響き渡るこの国では圧倒的な若さと勢いで、脆い政府に対して若者たちが民主主義を突きつけようとしていた。友人と街を歩いていると、ペットボトル回収マシーンなるものがあった。ペットボトルをリサイクルすると、通貨やポイントが還元される。ドイツなどヨーロッパでお馴染みの仕組みだ。彼はこのマシーンは高校の同級生が作ったんだよ、と話していた。つまり、2年と少しで始めた事業があっという間に社会実装されているのである。まだまだ課題は残る一方で、こういう新しさや多様性への寛容さは、本来、この国の本当の強みなのだろうなと思う。一方で、起業は初期の資本調達のハードルの高さから起業できる年齢が上がっている印象を受けた。また、話を聞いている中で起業よりも就活を求める国民性があるようにも感じている。

ご存知の方も多いかも知れないが、ジャカルタにはいくつかのスラムが存在する。いわゆるカンポンと言われる集落を指す。今回はこっそりと北部のカンポンへ足を運んだ。時間と安全の関係で、今回はしっかりと見ることはできなかったが、インドネシアでは、1970年代に「カンポン改善プログラム(KIP)」と呼ばれる住民参加型の居住環境改善プログラムが全国的に実施されていることを知っていたので、住民主体でコミュニティインフラや街が構築されていく過程をみてみたかった。論文などによると、技術を持った住民が主体となって修築やインフラ作りに取り組んでいると記載があったが、実際に訪問すると、すでに鉄板でできたいわゆる普通の集落があった。強いていうなら、下水と道がグラグラな点ぐらい。

このエリアは、数年前にインドネシア政府に一掃され、皆で0から立ち上げた地域だという。そして、皮肉にもその反対側にはPIK2という人口島と観光都市が開発され始めている。とにかくスピードだけを求めたような建物には、店舗とその上に労働者が寝るための窓がない部屋が密集している。何が皆にとって美しい街なのだろうか、なんて疑問を背負って次の国へ飛ぶ。

PIK2

受け入れてくださったメンバーのご家族と、出会ったすべての方に感謝と尊敬の念を込めて。

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