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父親との別れ

令和6年1月15日

父、市川匡四郎が亡くなりました。

前々日から、呼吸も血圧も不安定で「いつ何があっても不思議ではない」とは言われていたとは言え、もう少し頑張ってくれるかと思っていた。

最期は、母、私の家族、妹の家族、総勢9名が見守るなかで静かに息を引き取りました。父が最も一緒にいて楽しかったと思っていたであろう、彼の家族全員に囲まれて。

なんという事だろうか。ドラマか小説のような最期であったと思う。

最期の1時間。ずっと父親の手を握っていた。少し強めに握ると呼吸が強くなる。
何回も何回も強く握っていたのになぁ。
最期は強く強く握っていたのに呼吸は止まった。静かに静かに止まったんだよね。
皆んなが気がつかないぐらいに。
あの手の感触は一生忘れられないんだよ。
無骨だけど温かい手だった。最期まで。

令和6年1月21日

約一週間の時間をおいて、告別式、初七日法要を執り行ないました。家族とおじさん一家。総勢18人。天国へ送りました。

名古屋からおじさん一家が来てくれたが、皆んなで集まるのが大好きだった父。喜んでくれたと思う。

戒名は
悠照越匡信士
穏やかで明るい父らしい 悠と照
半生を捧げたベトナムの越南 越
名前の匡 私も息子も一文字もらっている 匡
素敵な戒名を頂いたと思う

告別式の喪主挨拶、火葬場での献杯の挨拶
私がお話しをした。
天国への旅路の始まり。ベトナムへ立ち寄るのも含めて旅の準備をしているであろう事。
昨年9月に入院してから殆ど自分で食事もお酒を飲む事も出来ない状態だったので、陰膳があるので久々に皆んなで楽しい食事をしようという話。

バタバタと1日が終わっていった。

棺を閉める時。火葬炉に入れる時。骨を拾う時。骨壺を受け取る時。
不思議と涙は出てこない。悲しい訳ではない。激情的な涙は出ない。不思議な感覚。
現実感がどこまでいってもないのだ。

日常が始まる

忌引きを終え会社に出社する。
メール、チャットをチェックして、TV会議に参加して、リアル会議に出席をして。資料を作ったり、チェックしたりする。
いつものようにSNSをチェックして横浜F・マリノスの情報に一喜一憂する。
極々いつもの生活に戻っていく。何も変化はない。四十九日の日程調整をして会場なんかを決めたりしている。少しの変化はあるけどいつもの日々が流れていく。

実感がないのである。
父が最期を過ごした施設にまだ父が寝ている感覚なのだ。年末年始を時間が許せばこの施設を訪れていた。まともな会話は難しいのだが、そこに行っていた。何をするでもなく。

まだ、そんな感覚なのである。土日にも行かなきゃ。という発想になるんだよな。
なんだろう。

どうやったら実感が湧くんだろうか。
その時を待とうと思う。

最後に親父へ

育ててくれてありがとう。
あまり怒られた事もないけど
ものすごく褒められた事もない。
ただ、とにかく可愛がってくれて、いつも応援し、心配してくれていた事は分かっていました。
あなたの息子で本当に良かったと思ってます。
でなきゃ自分の息子に、親父と同じ字の名前付けないでしょ。

ありがとう。安らかに。

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