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Jリーグチップスではない思い出 2010

Jリーグチップスの販売が休止された2010年、エンスカイからJリーグコレクションカードガムが発売された。1パックにカード4枚とガムが2個入っていたそうだが、どっちがおまけなのか。カードの大きさはJリーグチップスと同じで、デザインもよく似ている。なお、Jリーグチップスのカードは、一般的なトレーディングカードの大きさより一回り小さい。

2010年はOBでありレジェンドである木村和司が監督に就任。中村俊輔が復帰したが、順位は中位辺りをうろうろして最終的には8位。成績はともかく、この年はベテラン中心に一挙8人が契約満了となり、その中に松田直樹が含まれていたため、オフが揺れに揺れた年として記憶に刻まれている。自分にとって松田こそが横浜の象徴であり、ホームユニは毎年3番と決めていたので、受け入れるには時間がかかった。

レギュラーカード

078 松田直樹
この年、右膝半月板手術の影響で、初先発は第17節アウェイ仙台戦だった。この試合で決めたゴールが、横浜での最後のゴールとなった。最終節後に語った通り、まだまだサッカーをやりたかっただろうな。

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079 兵藤慎剛
背番号を7に変更。これは三ツ沢でゴール後に喜んでいる写真かな。

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080 長谷川アーリアジャスール
8番をつけていたっけ。

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081 渡邉千真
ルーキーイヤーの2009年に続き得点源だが、もっと取れたはずなんだよ。当時のコンディションなら、今のシステムにもはまる気がする。

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082 山瀬功治
木村浩吉体制では狩野が重用されていたが、木村和司体制で再びレギュラーに。まさか契約満了とは思っていなかったよ。

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083 狩野健太
中村俊輔の復帰もあり、出番は大きく減った。

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084 飯倉大樹
この頃は完全に正GKの座を確保。

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085 中澤佑二
この年、鉄人ボンバーがリーグ22試合出場に留まったのは怪我のため。翌年以降はほぼフル出場しているので、忘れていた。

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086 中村俊輔
復帰お披露目では、横浜のために戦う覚悟を問う横断幕が掲げられた。自分もモヤモヤを抱えていたが、第3節川崎戦の強烈ミドルで一気に吹き飛んだ。人間なんて単純なものである。

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087 小椋祥平
インサートカードなのか?このカードだけキラカードになっているが、番号は他のカードと連続している。

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088 天野貴史
2005年にユースから昇格して以降、なかなか出番に恵まれなかったが、この年は最多の21試合に出場し、3得点を挙げている。いじられ役は不本意だったと思う。現在は引退してカーディーラーに勤務。

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トップスコアラーカード

第23節までの各クラブ最多得点選手で構成。

TS-08 渡邉千真

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最終節後の当時の嘉悦朗社長の挨拶は、大ブーイングにかき消された。来季最低でもACL圏内に入らなければ辞任するなどとぶち上げたことはいただけなかったが、必要な痛みであったことは今ならわかる。

マリノスタウンからの撤退や債務超過の解消に目処をつけ、嘉悦社長は退任した。自分も含め、ファン、サポーターとは理屈ではなく感情で動くものだ。泥をすべてかぶる覚悟だったのだろう。

クラブがそこにある幸せを、15年ぶりに戴冠した今だからこそ、改めて噛みしめる。以上、お付き合いありがとうございました。

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