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Jリーグチップスの思い出 1998

ホームスタジアムが横浜国際総合競技場に移転した最初のシーズン。フリューゲルスとの開幕戦は5万人を超える観衆で埋まり、凝りに凝った映像演出でボルテージが一気に上がったのを覚えている。

肝心のサッカーだが、マリノスは両ステージとも優勝争いに絡んだものの、終盤には失速していずれも4位。1stステージ終了後にはアスカルゴルタ監督を解任し、コーチのデラクルスを昇格させたが、今から思えば贅沢というか、もったいない話である。そして、オフにはフリューゲルスとの合併問題で揺れに揺れることになる。

この年からカードの横幅が大きくなった。以後はこのサイズで定着している。

第1弾

4 井原正巳

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5 小村徳男

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18 城 彰二
ジェフから移籍加入し、サリナスと組んだ2トップは強力だった。1998年にはリーグ25得点をマークしたが、得点王は36得点の中山雅史であった。

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20 川口能活

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26 中村俊輔
高卒で入団した1997年から、アスカルゴルタ監督に大切に大切に育てられた、稀代のファンタジスタ。その後色々あったわけだが、チームでも代表でも司令塔に成長。現在でも現役なのは、アスカルゴルタのおかげかもしれない。

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83 三浦文丈

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93 上野良治
1994年以来久々の登場。アスカルゴルタ監督によるボランチへのコンバートで、大ブレイクを果たした頃である。彼もまた、アスカルゴルタとの出会いがなければ、もっと早くピッチを去っていたかもしれない。

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第2弾

たまたまだが、第2弾の4枚は、フランスW杯代表メンバーで構成されている。

175 井原正巳
主力DFとして奮闘するも、3戦全敗に終わる。国際Aマッチ出場122試合を誇る井原の代表でのキャリアも、終盤に差し掛かっていた。

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176 城 彰二
アジア最終予選のイランとのプレーオフでは貴重な同点ゴールをマーク。しかし本大会では不発に終わり、激しいバッシングに晒されることになる。帰国した空港で城に水をかけたバカは、今何をしているか。

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177 川口能活
本大会第2戦、クロアチア戦でスーケルに決められたゴールは衝撃だった。

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178 小村徳男
当初はレギュラーとして起用されていたものの、鹿島の秋田豊にレギュラーを奪われる形になり、悔しい結果に終わる。

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その他

チームカード3
表は各クラブエンブレム、裏は1998年の展望が書いてあるが、結構手厳しいな。実際タイトルには届かなかったが。

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売り上げ減に歯止めがかからなかったJリーグチップスは、翌1999年には販売休止。2000年には静岡県限定で販売されたが、カードは清水と磐田の選手のみであった。全国販売が復活するのは2001年である。

というわけで、2001年に続く。

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