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「自分の人生を生きて」ってふられたのでそうする

 前のnoteでも書いたけど、Sちゃんにふられた。

 簡単に説明すると、人生のタイミングが合わなくなった。

 Sちゃんが働きながら大学に入り直すことになり、生活費だけでカッツカツになるので海外旅行、つまり私に会いに来ることはできない。私も大学にあと2年は通わないといけないし、日本で就職すると思う。私がオーストラリアに行ってもいいけど、実家暮らしとはいえ学生だからそんなにしょっちゅう行くことはできない。しかも、親にオーストラリア人の女性と付き合っているなんてことは言っていなかったし言う気もないので、毎年毎年行ってたらさすがに何かを疑われると思った。

 次いつ会えるかわからない遠距離恋愛はゴールのないマラソン大会みたいなもので、息が切れて立ち止まってしまう。しかも私たちは直接会って3週間も一緒に過ごして、メッセージのやりとりや電話だけのコミュニケーションがいかに空虚でまやかしみたいなものかを痛いほど感じてしまったのだ。

 そんなこんなで、関係を維持できる状態ではなくなった。「もっと、できるだけ頑張ろうよ」と言ったものの、Sちゃんはもうすでに決意を固めていたみたいで、「電話先で別れ話なんかしたくない、ちゃんと向き合って言いたかった」の一点張りだった。「シドニーに私がずっといれれば別れなくてよかった?」とSちゃんを抱きしめながら聞いたら「そうだね、ずっとシドニーにいて欲しかった」と涙声の返事が聞こえた。私はもう座ってられないぐらい傷ついて、泣いて、家の前の公園で死体ポーズで寝て、ブランコをすごい勢いで漕いで失恋ソングを歌った。


 友達がみんな結婚してしまって孤独だと言うSちゃんに空港で私は「結婚する相手がいなかったら私がいるからね」とか気の狂ったことを言った。「今それ言う?」と笑いながらSちゃんは「役所に提出するからラインの履歴は残しておいてね」と言う。なかなかエモいと思う。

 そんな冗談を言い合ったものの、Sちゃんは最後に「私は待たないから」「あなたの人生を生きて」と言って、私が出国ゲートに入るのを見届けて帰った。私の20代前半を、ひたすら外国に住む恋人を待つために使って欲しくない、と考えていたのかもしれない。Sちゃんの口癖は「近くに住んでる人と付き合って、もっといろんな経験をして」だった。

 私がもしSちゃんのためにシドニーに戻ったとしても、Sちゃんは他のパートナーを見つけているかもしれない。そうでなくても私はSちゃんの恋人ではもうないから、復縁できる可能性がゼロだとは思わないけどまあ、ないっちゃないしあるっちゃあるみたいな感じだ。


  羽田空港の動く歩道で放心状態になりながら「Sちゃんは待ってない」と「自分の人生を生きる」と頭の中でなんども唱えた。自分の人生を悔いなく生きるために、やりたいことを全力でやらないといけない。日本に戻ってきたことは「やりたくないこと」だったが、日本でやらなくちゃいけないことはアホみたいにあった。

 自分の人生をどこでどう生きるか、そう考えたら自分の中のプチ自分が立ち上がって大きな声で叫び始めた。


「Sちゃん関係なく(あるっちゃあるけどないってことにさせてくれ)、私はシドニーに戻りたい」

 

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