ご縁のメンテ

 2020年に西暦が変わった。新しいカレンダーをビニールから出して壁に貼る。

 ハワイの実家にいる親友が、日本時間0時に電話をかけてきた。日本語で「あけまして、おめでとうございます」と懐かしい声が聞こえる。ハワイは朝の5時だったのだけど、なんで起きてるの、何してるの、と聞くと「日本時間でお祝いしたかったから」とくすぐったそうに笑うので、目の前に彼がいないことが悔やまれた。窒息しそうなほど抱きしめる代わりに、I love you!!と言いながら電話先で飛び跳ね、何が起きているのか理解していない両親はぼんやりしながら初詣の準備を進めていた。

 彼とは留学先で出会った。24時間ずっといっしょにいても苦にならないような関係で、帰国した今でもやり取りをしている。不思議なご縁で繋がった。彼の声を聞いたのは4ヶ月ぶりか。それだけでとても嬉しくて、何より私のために朝の5時まで起きていてくれたことも心に響いて、素晴らしい新年の幕開けとなった。


 とは言っても、前回の記事で書いたように新年はあくまでも人間が作った区切りにしかすぎない。それによって何がどうなるというわけでもない……しかし、人間が作り出した区切りは確かに人間にとって必要なものなのだという気がしてきた。区切りがなければ、延々と間延びした日々が続いていくだけだ。ある種の起爆剤として、過去を切り捨てるために人間は一年を365日に分け、一ヶ月を30日に分割したのだろう。


 2019年は振り返れば、長い旅のような年だった。ドイツに留学し、異国の地で六ヶ月過ごした。六ヶ月は旅には長く、生活には短い。どこに行っても、誰と仲良くなっても六ヶ月後にはばらばらになってしまうという感覚はどこにいくにも付きまとい、その苦しみとも対峙した。その中でよく言っていたのは「ラザニア皿を買えるような生活がしたい」だった。

 借りぐらしの状態では最低限のコップ、箸、鍋、フライパンしか揃えない。ドイツの寮で暮らしていた頃の私は、いつでもそこを出ていけるように、IKEAで買い揃えたり、共用部で放置されていた食器をかき集めて生活していた。借りぐらしでラザニア皿は買わない。ある程度根を張って生きていくと決めた場所で、ラザニアを分け合える人がいて初めて買えるのだ。私はそんな生活を渇望していた。借りぐらしの、家賃ひと月300ユーロの部屋で。

 2020年の目標を2日になってからやっと書き出し始めた。もう2020年が始まっているのにも関わらず、目標がまだないというのは、生まれた赤ちゃんに数日名前がないような感じで少し落ち着かない。その目標を達成できるかは別として、私は結構こういう儀礼的なものが好きなのだ。

 今年は大学を卒業し就職する。社会人として働いてお金をもらうこと、金銭的に自立できることは当たり前だけど人生で初めての経験となる。そこでやっぱり、私はラザニア皿が買える生活を今年こそは実現したい。


 私はご縁というものを結構本気で信じている。2019年はハワイから電話をかけてきた親友を始め、不思議な縁がたくさん繋がった年だった。しかしご縁というのはある程度メンテしないと脆く切れてしまうと気づいたのも2019年だった。

 「それで切れてしまう程度の縁」ということももちろんできる、それでも、せっかく出会った人たちなのだから、誠意を示してなるべく末長く付き合っていきたい。そのためにはメンテが必要なのだ。

 とある人に出会ってから、「誠意」という言葉についてよく考えるようになった。その人はこれをすることは私にとって誠意を示す方法だから、と語る。

 私にとっての誠意を示す方法はなんだろう、と考える。なるべく早くメッセージに返信すること、勝手に言葉の裏を読んで妄想しないこと、その人と会えない時もその人のことを想うこと、その人が私がいなくても楽しそうにしている姿を見て喜ぶこと、その人が自由であることを祝福すること、愛を伝えること、私がいなくても、私が手渡した愛がその人の中で小さなともし火となるように祈ることかもしれないと思った。

 ご縁のメンテ、という今年のテーマを、大切な人たちに誠意を示して実行していくことで、ラザニア皿を買う生活を営みたい。これからどんな人々と出会い、どんな人々と生きていくのか、結構楽しみになってきた。



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