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「私と小鳥と鈴と」の再読

最近、「私と小鳥と鈴と」を再読した。
とても短くわかりやすい詩だったのだが、
読んでひとつ思ったことがあった。

詩の中に
みんな違ってみんないい。
という部分があるのだが、
そのみんなの対象はどこなのか、
人間は一括りにされているのか、
である。

私が空を飛ぶことや鈴のような綺麗な音を出すことが体の構造上できないことは自明である。

これにより、鳥や鈴は自分とは異種のものとして見れるので、「いい」と感じるのは至極当たりのことのように感じる。

しかし、同種の者同士、つまり人間同士だと素直に自分よりできることを「いい」と感じることができるだろうか。

私はというと、とても負けづ嫌いな性格なのでその才に対して嫉妬してしまう。その才にどう近づくかを考えてしまう。つまり、みんな違ってみんないいと思えない。

そんなところだろうか。

私はこの詩を人間は一括りにして、自分とは異なる種のものに対して目を向けて、その良さを感じる詩だと解釈することにした。

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