外国調教馬による日本挑戦での「勝利」とか集めてみた

【はじめに】
この記事では、外国馬による日本挑戦をざっくり振り返っていきます。

日本馬がブリーダーズカップの2競走を制覇した際に、「日本調教馬による海外遠征での勝利」を纏めましたが、逆の立場(挑戦される側)とついても纏めておくべきじゃないかと思いまして、今回、記事を作ってみました。

アジア

日本の古式競馬などを別にして、アジアでヨーロッパ式の競馬が初めて開催されたのがインドだったといいます。
18世紀からの歴史を持つインドとは縁があって、1968年に日本ダービー馬・ハクチカラが種牡馬として渡ったほか、1981年の第1回ジャパンCには、同国の強豪・オウンオピニオンが出走し、15頭立ての13着となっています。

香港

日本に最も馴染みのある東アジアの競馬の開催地といえば、香港でしょう。もはや春や12月の国際競走への日本からの遠征は珍しいものではなくなりましたが、芝の短距離~マイルにおける層の厚さというのは世界屈指であり、日本でも、何度もG1を制覇しています。

  • 2000年 安田記念 フェアリーキングプローン

  • 2005年 スプリンターズS サイレントウィットネス

  • 2006年 安田記念 ブリッシュラック

  • 2010年 スプリンターズS ウルトラファンタジー

  • 2015年 高松宮記念 エアロヴェロシティ

グレード制導入後では当時最長17連勝を遂げた「サイレントウィットネス」が、安田記念3着の借りを返した2005年のスプリンターズなど、遠征する度に一定の人気を集め、時にその予想をも上回る激走を見せています。

UAE(アラブ首長国連邦)

もうひとつ、ユーラシア大陸の「パート1国」として忘れてならないのが、「UAE(アラブ首長国連邦)」でしょう。国際化を進めた1990年代の中盤において、次々と重賞を制した姿は衝撃的でした。

  • 1995年 京王杯スプリングC(G2) ドゥマーニ

  • 1995年 安田記念 ハートレイク

  • 1996年 京王杯スプリングC(G2) ハートレイク

  • 1996年 毎日王冠(G2) アヌスミラビリス

1996年に「ドバイワールドC」が創設されるのに前後して、特にハートレイクは、外国調教馬が「ジャパンC」以外のG1を始めて制したことでも、その名が知られています。

オセアニア

オーストラリア

19世紀初頭には近代競馬が始まり、後半になると現在にも続く名物レースが創設されたオーストラリア。今でもサラブレッドの生産は世界第2位です。

古く日本では「豪サラ」という言葉がある程に、サラブレッド輸入の中心地であったオーストラリア産馬は、戦後(1950年代)にも天皇賞馬を複数輩出しており、もともと縁が深かったと言えます。

  • 1990年 ジャパンC ベタールースンアップ

そして、2000年代には、カラジの3連覇を含む4度、中山グランドジャンプ(J・G1)をオーストラリア調教馬が制覇しています。

中山グランドジャンプ
2002年 セントスティーヴン
・2005年 カラジ
・2006年  〃
・2007年  〃 (3連覇)

2005年 7着 天皇賞(春) マカイビーディーヴァ
スズカマンボの勝った2005年の春の天皇賞。2番人気に支持されたのは牝馬のマカイビーディーヴァ。3000m級の長距離が世界的に衰退する中、オーストラリアでビッグレースを勝ち、天皇賞(春)に出走しますが7着と長距離で初の敗戦を喫しています。

2006年 スプリンターズS テイクオーバーターゲット
一方で、その翌年には、セントウルS2着から挑んだスプリンターズSで、サイレントウィットネスなどを相手に【テイクオーバーターゲット】が優勝しています。

ニュージーランド

「ニュージーランドトロフィー」として馴染みのあるニュージーランドも、19世紀から西洋式の競馬が充実。カーバイン、ファーラップなど伝説的名馬が殿堂入りを果たしてきました。

1982年の第2回ジャパンCで5番人気の7着と敗れたアイルオブマンが初の日本遠征。やはり、ニュージーランド調教馬として日本競馬に燦然と輝くのは、1989年のジャパンC、2分22秒2でオグリキャップと演じた死闘です。

  • 1989年 ジャパンC ホーリックス

ヨーロッパ

近代競馬発祥の地にして、日本競馬が“範”とし続けてきたヨーロッパです。

イギリス

英ダービーステークスが創設されたのが1780年、更にサラブレッドの歴史は軽く100年近く遡るという悠久の歴史を持つイギリス競馬。

イギリスからの初遠征【ハイホーク】が1番人気ながら13着と敗れたのが1983年(第3回)。それから13年して、息子の子である【シングスピール】が雪辱を果たすドラマも劇的です。ともにシェイク・モハメド殿下の所有馬でした。

「ジャパンC」優勝馬
 ・1986年ジュピターアイランド
 ・1996年シングスピール
 ・1997年ピルサドスキー
 ・2005年アルカセット

最後の海外馬によるジャパンC制覇は2005年のアルカセット。ハーツクライとの死闘の末、ホーリックスとオグリキャップの2分22秒2のレコードを、コンマ1秒、16年ぶりに更新する名勝負でした。

「エリザベス女王杯」(連覇)
 ・2010年 スノーフェアリー
 ・2011年    〃 (連覇)

英・愛オークスの2冠を制し、2010年・2011年と違った異次元の強さを見せつけ、「エリザベス女王杯」を連覇した「スノーフェアリー」も、イギリス調教馬にして、世界的に活躍した名牝です。

アイルランド

ここまでイギリス調教馬として取り上げてきた馬たちも、実はアイルランド生産馬が結構いたりします。それぐらいに、イギリスとの関係も深く、またアイルランドの馬産の層の厚さが際立ちます。

  • 1983年 ジャパンC スタネーラ

第2回にも出走していた【スタネーラ】は、第3回のジャパンCで、日本のキョウエイプロミスとアタマ差の接戦を演じました。

  • 2013年 中山グランドジャンプ ブラックステアマウンテン

現在知られる「障害競走」の発祥の地とされるアイルランドは、平地以上に障害競馬が盛ん。2013年の中山グランドジャンプでは、ヨーロッパの障害G1を2勝しているブラックステアマウンテンが完勝しています。

フランス

日本では「凱旋門賞」を特別視する傾向が強いため、他のヨーロッパ諸国と比べて馴染みがあるフランス競馬。ジャパンCにも複数の馬が参戦してきました。

第2回のジャパンCでは、米ジョンヘンリーに次ぐ2・3番人気がフランス調教馬。結果的には、オールアロングが2着、エイプリルランが3着と好走しています。そして、唯一のJC勝利は1987年。

  • 1987年 ジャパンC ルグロリュー

  • 1994年 京王杯スプリングC(G2) スキーパラダイス

外国馬が上位独占した1994年の国際競走・京王杯SC。このレースを制したのが、後に武豊へ国際G1制覇をプレゼントする【スキーパラダイス】でした。

ドイツ

東西ドイツ時代の1982年、第2回ジャパンCに【パゲーノ】が出走(15着)して始まったドイツ調教馬の日本遠征。唯一のJC制覇は1995年です。

  • 1995年 ジャパンC ランド

ちなみに2001年の第2回ジャパンCダートには、【アエスクラップ】が出走(15着)を果たしていたりもします。

イタリア

かつては好走を多く見せる印象のあったイタリア調教馬。しかし、ミルコ・デムーロ騎手が日本に移籍した背景でもある通り、イタリア競馬の運営上の杜撰さと人気の低迷によって、2010年代に一気に衰退。2020年にはパート2国に格下げされてしまっています。

そんなイタリア調教馬の日本遠征は、1982年の【スカウティングミラー】(12着)に始まり、唯一の優勝は2002年、中山での【ファルブラヴ】です。

  • 2002年 ジャパンC ファルブラヴ

アメリカ大陸

数年に1回程度、アメリカに転戦したり、或いは世界的なダートG1を制覇したりして話題になる南米の馬達は、広くみれば「アメリカ大陸」の馬です。

日本に南米調教馬が挑戦しに来ることは滅多にありませんが、南米生まれで欧米に移籍し、欧米調教馬として遠征してくる例は幾つかあります。例えば「ジャパンカップダート」に出走した、

  • 2001年 8着 リドパレス

  • 2004年 4着 トータルインパクト

などは、チリで活躍した後にアメリカのダート重賞戦線で戦ってた馬です。また、2002年にJCダートで14着だった「レッドサン」は、アルゼンチン産、香港調教馬として出走した事例もあります。

カナダ

しかしやはり本流は北米大陸でしょう。20世紀後半にニジンスキーやノーザンダンサーを輩出した馬産地・カナダですが、調教馬に限ってしまうと、

  • 1981年 ジャパンC2着 フロストキング

現3歳のセン馬として挑戦した「フロストキング」が第1回ジャパンカップで2着に入った以外は、目立った活躍を見せていません。

アメリカ

アメリカ合衆国の競馬は、ダート中心なことは事実ですが、日本からの遠征でいうとハクチカラの長期遠征や「ワシントンDC国際」などは芝のレース。現代でも、トップホースは世界と伍する力を有しています。

「ジャパンカップ」
 ・1981年 メアジードーツ
 ・1982年 ハーフアイスト
 ・1988年 ペイザバトラー
 ・1991年 ゴールデンフェザント

「ジャパンカップ」的には、設立からの11年で4勝を果たしていましたが、その後は優勝できていません。スケジュール的にも「ブリーダーズカップ」に全力を注ぐこととなり、1980年代の様な強力馬の出走や活躍が期待し辛いのは否めない所でしょう。

そして、もちろん、ダート(日本の砂とアメリカの土とでは厳密には違いがありましょうが)は世界トップクラス。ジャパンカップダートの創設当時には、アメリカの重賞未勝利馬にあっさり……という苦い経験もしました。

「ジャパンカップダート」
 ・2000年 3着 ロードスターリング
 ・2003年 1着 フリートストリートダンサー

【おわりに】

ここまで外国馬による日本挑戦時の「優勝」などを振り返ってきましたが、
その多くが昭和から平成前半です。

次回は、ここ10年のジャパンカップに絞った記事を公開したく思います。


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