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「競馬の歴史」を学ぶ ~G1級着差編~【2022年・天皇賞(春)まで】

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【はじめに】
2020年の宝塚記念は、牝馬・クロノジェネシスが牡馬を相手に6馬身差を付ける圧勝を成し遂げ、歴史に名を残しました。

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「牝馬による宝塚記念」制覇と同様に、「牝馬によるG1での6馬身差以上」の圧勝も極めて稀なことです。加えて、「牝馬による牡馬混合G1での優勝」となるとグレード制導入以降では初めての快挙とのこと。

待てよ? 「G1での6馬身以上の圧勝」ってそんなに珍しいんだっけ……?ってことは、変に“牝馬が”とか条件を付けなくても「6馬身差以上の圧勝」を纏めるだけで価値があるんじゃないか?と思い、今回の記事に纏めることにしました。

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( 注意 )
今回の対象にしたのは、グレード制導入以前の「八大競走」格と、それ以降の中央競馬の「G1級」競走。
(手作業での集計なので、漏れなどがありましたらスミマセン)

1.6馬身

タイム差1.0秒と換算される「6馬身」差は、昭和10~20年代に12例ほどが立て続けに記録されましたが、それ以降は一気に頻度が落ちました。

クリフジが出遅れながらも圧勝した日本ダービー以外は、歴史を越えて語り継がれるレースの方が少ないかも知れませんが、大舞台で6馬身の差が付けば、今回のクロノジェネシスの様に、大きな衝撃があったものと思います。

1935 東京優駿 ガヴアナー
1939 天皇賞春 スゲヌマ
1939 優駿牝馬 ホシホマレ
1940 天皇賞春 トキノチカラ
1942 天皇賞春 ミナミモア
1943 東京優駿 クリフジ
1947 皐月賞  トキツカゼ
1951 天皇賞秋 ハタカゼ
1952 天皇賞秋 トラツクオー
1954 天皇賞春 ハクリヨウ
1954 優駿牝馬 ヤマイチ
1954 菊花賞  ダイナナホウシユウ
1960 皐月賞  コダマ
1967 有馬記念 カブトシロー
1987 東京優駿 メリーナイス
2020 宝塚記念 クロノジェネシス

2.7馬身

アサホコは地味ですが、いずれも歴史を越えて語り継がれる圧勝劇ばかり。名実況と共に、その圧倒的な強さが強烈な印象を残しています。

1963 東京優駿 メイズイ
1965 天皇賞春 アサホコ
1980 天皇賞秋 プリテイキヤスト
1994 菊花賞  ナリタブライアン
2001 JCダート 
クロフネ
2004 天皇賞春 
イングランディーレ
2009 Vマイル 
ウオッカ
2022 天皇賞春 
タイトルホルダー

クロノジェネシスが1秒差でG1を制したとき、牝馬での1秒差以上でのG1勝利として引き合いに出されたのが、ウオッカのヴィクトリアマイルです。ナリタブライアン、クロフネ、ウオッカの3頭については、力の差を遺憾なく見せつける様な勝ち方だったこともあり、非常に人気の高いレースです。

3.8馬身

戦前ではセントライト、戦後ではダイナナホウシユウが、クラシック競走で8馬身差を付けていますが、平成以降ではありません。平成以降のクラシック最大着差は、3冠馬・ナリタブライアンの菊花賞での7馬身差です。

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1987年には、阪神競馬場で2度、即ち桜花賞のマックスビューティと、暮れの阪神3歳ステークスでサッカーボーイが8馬身差の圧勝を記録しました。
(※)マルゼンスキーの朝日杯での大差勝ちは有名ですが、グレード制導入以前は八大競走に限ったため、今回の記事では対象外としています。

1940 優駿牝馬 ルーネラ
1941 東京優駿 セントライト
1946 優駿牝馬 ミツマサ
1954 皐月賞  ダイナナホウシユウ
1955 東京優駿 オートキツ
1975 優駿牝馬 テスコガビー
1987 桜花賞  マックスビューティ
1987 阪神3歳S 
サッカーボーイ
2013 有馬記念 
オルフェーヴル

平成唯一の8馬身差は、2010年以降での最大着差。3冠馬・オルフェーヴルの引退レース「有馬記念」です。4角で先頭に立つと、全く後続は差を縮められず、結果的に1.3秒=8馬身差という着差での圧勝劇となりました。

4.9馬身

実は9馬身差の圧勝というのは、2003年に立て続けに起きたこともあって、(私、)もっと実例があるものと思い込んでいたのですが、たった3例。

不良馬場を制した、1966年・オークスの「ヒロヨシ」と、それから37年後、同じく東京競馬場の2400mを重馬場で逃げ切った「タップダンスシチー」。1.5秒差を付け、画面いっぱいに引いての圧勝劇は後世に語り継がれます。

1966 優駿牝馬 ヒロヨシ
2003 ジャパンC  タップダンスシチー
2003 有馬記念 
シンボリクリスエス

それから1ヶ月後、雪が残る中山競馬場で行われた、2003年年末の総決算「有馬記念」は、『9馬身差・返し』とも言える様な圧勝劇。ジャパンCで3着と敗れたシンボリクリスエスが、引退レースを堂々と飾りました。

5.10馬身

平場のレースでも滅多に目にせず、存在感が薄い印象のある「10馬身差」。八大競走級でも史上2例しかありません。
1943年(当時は秋に開催していた)オークスでの【クリフジ】と、1955年・菊花賞の【メイヂヒカリ】です。どちらも「JRA顕彰馬」になっています。

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1943 優駿牝馬 クリフジ
1955 菊花賞  メイヂヒカリ

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6.大差勝ち

日本競馬では、10馬身を超える差が付いた場合は、具体的な数字を示さず、「大差」と表現します。ですから、八大競走最大着差は、以下に示す5例の大差勝ちということになります。

昭和10年代を代表する女傑2頭【ヒサトモ】と【クリフジ】は、どちらも、牡馬混合競走での大差勝ち。戦後の【トキツカゼ】もオークスは大差勝ち。

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それから21年後の1968年、実に「2秒8」差という“大差勝ちの中の大差”で天皇賞(春)を制したのが【ヒカルタカイ】です。

1938 天皇賞秋 ヒサトモ
1943 菊花賞  クリフジ
1947 優駿牝馬 トキツカゼ
1968 天皇賞春 ヒカルタカイ
1975 桜花賞  テスコガビー

続く7年後の1975年、【テスコガビー】が桜花賞で大差勝ちを記録したのを最後に、半世紀近く八大(G1級)競走では「大差勝ち」が出ていません。

( 番外編:8秒6差 )

ちなみに、平地ではなく障害に目を向けると良く知られた話でありますが、1992年の中山大障害(春)で、【シンボリクリエンス】が実に「8秒6」差という「大(だい)大差勝ち」を達成した記録もあります。

【おわりに】

旧・八大競走と、現・G1級競走における「圧勝劇」を振り返ってきました。

一つ言えるのは、1秒以上の差を付けての圧勝は、数年に1回あるかないかであり、人気薄の大逃げであるとか、道悪であるとかに関係なく「偉業」だと言い切れることです。
戦中戦後に比べてレース体系が整備された現代において、大きな差が付くこと自体が減ってきていることを改めて認識する機会になれば幸いです。

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さて、ここで、各着差の「直近例」を纏めることにします。

《 各着差の直近例 》
・6馬身差 2020 クロノジェネシス
・7馬身差 2009 ウオッカ
・8馬身差 2013 オルフェーヴル
・9馬身差 2003 シンボリクリスエス
・10馬身差 1955 メイヂヒカリ
・大差勝ち 1975 テスコガビー

令和の時代、この表に初めて名前を載せたのは、クロノジェネシスでした。果たして、次はどの馬はどのレースで、どんな勝ち方で刻むのでしょうか。

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