神話メモ:阿修羅のはなし

 NHK、Eテレの『趣味Do楽』で、『薮内佐斗司流 ほとけの履歴書 仏像のなぞを解きほぐす』という番組を放送中。この東京藝術大学大学院教授の薮内先生の仏像イラストがかわいい上、内容も仏像のルーツ解説があってあまり説教臭くないところが気に入っている。

 録画したものを見てるので若干遅れてるけど、先日第3回の「薮内流 阿修羅のすべて」を見て、やはり阿修羅は面白い存在だと思った。

 仏教における阿修羅のルーツは、インドのバラモン教とヒンドゥー教において神に対抗する魔族であるアスラ。仏教の阿修羅といえば、興福寺の阿修羅像が有名で、番組もそこからルーツや他の阿修羅像を紹介している。なので阿修羅といえばその仏像のモデルとなった神の固有名詞というイメージが強いが、仏教の六道思想における修羅道にいる存在もみな阿修羅と呼ばれており、仏像のモデルはその主「阿修羅王」ということになる。アスラも基本的には種族名で、アスラ神族と呼ばれることも多い。種族の主を「アスラ王」と呼ぶこともあるが、「阿修羅王」も「アスラ王」も複数いてそれぞれが眷属を率いる存在とされている。

 ヒンドゥー教は今でもインドで主流と呼べる宗教だが、実体としてはそれをひとつの宗教とは呼びにくい。インドに古くから伝わる神話体系を源流とするさまざまな宗教を、すべてヒンドゥー教と呼んでいるようなもので、その教えも信奉する神も多様だ。特に大きな勢力を持っているとされるのが破壊神とされるシヴァ神を主神とする派閥で、さまざまな化身(アヴァターラ)の姿で地上に顕現したとされるヴィシュヌ派も根強い。世界を創造したとされるブラフマーは勢力的には弱いものの、シヴァ、ヴィシュヌと合わさった三位一体(トリムルティ)の考え方は残っている。古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公ラーマや『マハーバーラタ』のクリシュナも信仰されるが、それらはヴィシュヌのアヴァターラとされる。ヴィシュヌのアヴァターラには仏教の創始者釈迦として知られるゴータマ・ブッダも含まれており、インドでは仏教自体もヒンドゥー教の一種と捉えられている。

 ヒンドゥー教はバラモン教を母体に生まれた比較的新しい宗教だが、バラモン教の要素の多くがヒンドゥー教に受け継がれている。ヴィシュヌやシヴァもバラモン教の聖典とされるヴェーダ文献に登場していたが、バラモン教での主要な神々はインドラやヴァルナといった別存在だった。バラモン教は厳格な身分制度があったことから、それに不満を持つ人々が新たに誕生した仏教に改宗することも多く、バラモン教も各地のさまざまな宗教を同化吸収しながらヒンドゥー教に取って代わられていった。もっとも、前述の通りヒンドゥー側は仏教もヒンドゥー教の一部だと考えているし、仏教側もヒンドゥーの神々やその敵にあたるアスラを仏法を護る護法善神として取り込んでいるためその境界には曖昧な部分がけっこうある。

 このヒンドゥー教での神々がデーヴァ神族で、敵対するアスラ神族はキリスト教における悪魔という扱いになるのだが、実はバラモン教の頃はそんな対立関係ではなかった。初期のヴェーダ文献でアスラにあたるのはヴァルナで、最高神として崇められていた。バラモン教時代の間にヴァルナの立場はどんどん変わっていくのだが、ヴァルナを主神とする信仰は西側のペルシア(現在のイラン)方面に受け継がれやがてゾロアスター教と呼ばれる宗教に発展していく。その最高神アフラ・マズダーのアフラはアスラと同源で、マズダーは知恵を意味する古い言葉だが、要はアフラ・マズダーで「アスラ王」と捉えて間違いではないだろう。

 インドとペルシアの対立関係が、かつての神々の立場も大きく変えることになり、インドでの「善神デーヴァ対悪魔アスラ」はペルシアでは立場を逆にした「善神アフラ・マズダー対悪魔ダエーワ」という対立構造となる。どちらも信じてる神々を善神と呼び、その対立勢力を悪魔としており、ペルシア側が禁欲的でインド側が享楽的という傾向はあるものの善悪は相対的で人間の捉え方次第だった。だから、神も悪魔も仏教に取り込まれたら善なる存在になるという心変わりもさして不思議なことではなかったのだろう。

 ところでアフラ・マズダーは真言密教の中心となる大日如来の原形であるともされていて、アスラ王とされる名前のひとつで太陽神格とされるヴィローチャナから音写された毘盧遮那となり、真理の光ですべての人々を照らす仏とされ、大日如来と呼ばれるようになった。奈良・東大寺の大仏はこの毘盧舎那である。

 また、アフラ・マズダーの原形と言えるヴァルナには水神としての性格もあるのだが、これはバラモン教の主神格から位階が落ちていき雷神インドラや火神アグニと並ぶ立場となった状態と思われる。この水神ヴァルナは阿修羅や毘盧遮那とはまた違った形で仏教に取り込まれて、「水天」となる。これも仏教の護法善神の一種で「十二天」ということになるが、この中にはインドラの転じた帝釈天(番組でも阿修羅の対立相手として紹介)や、アグニの転じた火天、ブラフマーの転じた梵天も含まれている。そして、十二天や四天王を含む「天」の神々は阿修羅も含まれる「八部衆」のひとつとして並ぶ立場となる。ちなみにかつて水天を祀っていた「水天宮」は神社なので、明治時代の神仏分離令以降は水天と同一視された天御中主神を祀る形に変えられた。

 ヴァルナはもともと表裏一体となるミトラと一対の存在だったとされていた。ヴァルナの太陽神や司法神としての性格はミトラにもあって、これが地中海沿岸を経てローマへ伝わっていきミスラあるいはミトラスという契約の神に発展していく。この信仰がユダヤ教、イスラム教、キリスト教における唯一神成立に影響したともいわれているのだが、そうやってみると世界のほとんどの宗教は古代インドにその源流を辿ることができるとも考えられる。

 こんな風に話を広げていくと、阿修羅ってちょっとやそっとでは語り尽くせない奥深い存在だとしみじみ思う。

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