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今の仕事をしようとしたきっかけ【前編】

そういえば、初めからこの仕事がしたかったわけではない。

高校生あたりでなりたかったのは特別学級の先生。特別学級にいる子の教室に遊びに行くと優しい先生がいた気がするから、なんとなく保健室の先生より特別教室の先生がよかった。高校に入って家の近くに障害者の授産施設(今でいう就労B型)でちょこちょこボランティアに行ったりもして、障害者の方に関わる仕事がしたいと思うようになった。高校生なりに調べて、障害者と関わるのは特別学級の先生!だと思って教育大を受験した。センター試験で落ちた。なんとかなると思っていろいろ受験してなかったこともあってセンター試験で受けれた女子大2つのうち1つ合格して通うことに決めた。
女子大の文学部人間福祉学科。社会福祉主事の任用資格がもらえる。なんだかよくわからないけど、福祉のお勉強ができるというだけで選んで、浪人するのも嫌でそのまま入学した。

大学時代は、キャンプリーダーのようなことをしていた。障害児さんと一緒に数日間過ごすこともしばしば。それは準備から当日までほんとに楽しくて、そのご縁で授産施設にアルバイトにも行ってた。ゼミの専攻もたしか障害者福祉。

大学では、高校の福祉という科目の先生になれる課程を履修していたが、大学4年生の教育実習前に腎臓が悪くなって1ヶ月入院した。で、教育実習には行けなかった。腎臓の方は一度悪くなると良くはならない、と言われて今も投薬治療をしながら、なんとか毎日を過ごせている。
運動や食事についてはほどほどに制限があって、普通の人と同じようにできない、とそのときにいろいろあきらめた。お薬で顔はムーンフェイスになった。みんなが心配するのが嫌で、笑って気にしてないフリをしていたけど、ほんとはかわいい自分の顔がまんまるに変わってしまって、どこかに隠してしまいたいくらい嫌だった。
薬がないと不安定になって、忘れたときには人にあたったり、かなり神経質になってた。
大学時代の友人の皆様ごめんなさい。

就職も難しいと思ってた。

ほんとは障害者の授産施設の生活支援員になりたかったけど、体力的に無理と諦めて、体を動かさなくて良いものに絞った。

そんなわけで就職活動は2つだけ。2時間かけて通っていた大学に来ていた私の住む街の求人情報は少なく、市社協の児童関係の相談窓口のお仕事と比較的近いところの高齢者の介護老人保健施設の事務の仕事をなんとか見つけて応募した。
児童関係のお仕事は2人の枠に20人強。新卒だけじゃなく経験者の人もいて、かすりもせず。
介護老人保健施設は、1人の枠に10数人の志願者。年度末に試験がある社会福祉士に受かる前提で内定をもらった。ありがたいことにとてもスムーズに決まった。
私の社会福祉士の試験は、内定をもらった会社からの受からないといけない圧力がある中で必死で勉強したのもあって、一発で合格できた。

入院してからは、いろいろとできないことに目がいっていた。病気を理由にして、初めからやらなかったり、できないと自分を制限することもあった。やろうとして、病気のせいにして責任逃れするようなとこもあったし、病気を都合よく使っていたような気がする。
でも、そういえば入院中も資格の勉強はしていたし、普通に働く方法をちゃんと考えようとしていた。

自分の体調に自信はなかったけど、内定が貰えてうれしかった。シフト制でちゃんと帰れそうだし、ちゃんと休めそうだし、事務はよくわからんけど、他になにも考えられないし、やるしかないし、やろうと思った。

それは流れでしかなくて。
かけらも考えてなかった高齢者福祉の道に進むことになっていた。

というわけで、
私の社会人生活は、あきらめの中のかすかな希望からのスタートだったのです。

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