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本能自我変


本日は誤変換によるタイトル

今日文章書こうかなと思って色々タイトルとか考えていたんですけど、
「本能寺が変」ってタイトルにしようと思っていたんですけど
「本能自我変」と変換されて「こっちの方が言いたいこと伝わるな!」
とおもったのでこちらを採用しています。どうもおだまきです。

舞台を見に行く期間が終わりましたが、
ビレッジサマーパーティーや冴木さん主催の本を読むワークなど
楽しい企画があった週末だったのでとても満喫していたのですが。

この2日間ずっと考えていたのです。

「見た目から変に思われることを恐れなくなった自分がいるな」
ということに。

外見で判断されたっていいじゃない。

現在は白金髪にして週一回出勤の職場でも休日と変わらない格好をしていますが、それで注意を受けたことは一切ないですし、
人前に出る仕事をしているけど全うしているので「外見の問題で」仕事を切られたことはない。
私は社会は意外と、「外見で判断しない」ってことに気付き始めている。

でもぱっと見白金髪で裾に穴の空いたエンフォルドのジャンパースカートを着た女が仕事場にのっそりといたら驚いてしまうだろうし、
私自身もし私のドッペルゲンガーが居たら「近寄らんとこ」オーラは出ているのは分かる。

それに対して「それがどうした?」と思うことがいっぱいある。山ほどある。

お客様の前に出ることがほとんどない内勤の仕事をしていた家業の手伝いをしていたときに毛先をピンクに染めたり髪をツートンにしたらこっぴどく叱られてその日のうちに染め直しに言ったことは何度もあるけれど、
黒染めのたびに「私の髪がピンク色であることで何かの不利益が生じることはあるのか?」とずっと思っていた。

妥当な服と妥当な髪で妥当に生きていく方がよっぽど自分に嘘をついていて辛かったし、安パイを切るのは死ぬほどいやだった。

「好きな服と好きな髪で生きていきたい」

これだけはこの10年以上血液に脈々と流れる私の「本能」だ。

田舎は評判が広がるのが早い。
家族は私が「やべー女」だとバレるのがいやだったんだろう。
夏場でも長袖を着ることを強要されたし、その延長線上で強迫的に夏でもタイツを脱げなくなったこともあった。
(長袖は強制されたけどタイツは脱げと言われた。理不尽!)

「都会はいいですね、どんな傷がどこについてても誰も気にしないし何も聞いてこない」

とある人と話した時にぽろっと出た本音だった。
東京は色んな人が雑多に行き交っていて誰かに構ってなんていられない。
今年の夏も私の腕や手首に残る傷跡は平然と日光に晒されている。
傷跡を隠す手術もあるが私はその手段はとらないことにしている。

だって思春期の「やべー女」だった時も含めて、私は私だったんだもの。

傷も金髪もファッションも、全てが「私」だ。

「おだまきさんってさ……」ってもしも私の知らないところで話されていたとしても
「私が知らない限りは私の知らない話」である。
私は自分の目で見て聞いたものしか信じないから、裏の悪口はどんどん言っちゃってくれて構いません☆って思っている。

「今日の会議やべー女一人居たな」って思われたって、その人の感想までは私は知らない話。だから、何もわからない。分からなければ全てセーフ。

「聞こえない限りはノーダメージ」である。

だから私は「外見で判断されても怖くなくなった」。
だって都会の人は面と向かって「服変ですね」なんて言わないからだ。
(うそ、エンフォルドの穴あきスカートは色んな人にびっくりされて質問された)

奇想天外摩訶不思議奇想天外四捨五入出前迅速落書無用

最近ずっとTwitterでも言っているけど「今私がなりたい」のは上記の言葉である。
(ドラえもん良い歌歌うなあ)

トリックスターになりたい願望はずっとあるけれど、コンセプトの「悪い先生」の「先生」のところがきちんとリミッターを作ってくれているのには安堵している。

ショップカードや店員さんからの名刺を頂くときに「頂戴いたします」と自然と礼をしてしまうたびに、社会人生活がしみついてるなあと苦笑いしてしまう。

PARTY PEOPLE PARTY PEOPLE
俺も混ぜてくれ 酒飲まれへんし 踊れへんけど
PARTY PEOPLE PARTY PEOPLE
平日はちゃんと働いている
PARTY PEOPLE 偉い

ヤバいTシャツ屋さん/あつまれパーティーピーポーより

まさにこの心境である。
休日の私はパリピだけど平日は変な服を着ながらちゃんと働いている。
社会人のガワをしっかりかぶって生きている。

「左様でございますか」「承知いたしました」なんてすらすら出ちゃうもんね!当たり前だけどさ!
「悪い先生」だけどちゃんと一線は引いて社会生活を営んでいるんだよなと思っている。

そうやって働いていると自然と誰かが見ていてくれる。
「外見はアレだけどちゃんと働く奴だな」と思われているからこそ
地道に昇進したりとか、評価を得られたりしている。

人は見た目が九割というけど、私は残り一割でめちゃくちゃ挽回している。と、思う。それは多分積み上げた信頼とか色んな物があるからだろう。

「同調」することが全てではないけれど「破綻」してみることも社会との付き合い方の一つだよ、といつかの自分に教えてあげたい。なんてね。

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