さようなら、いつの日か誰かみたいに

強烈な自己主張にさらされてきた、人生であるように思う。
自分から、強烈な自己主張を持つ人のそばに吸い寄せられてきたともいう。
今、「ああ、私には何もないなあ」と毎日、穴の開いたような虚無感と喪失感に襲われながら思うのは、私にはずっとずっと穴しかなくて、その穴を強烈な他者の存在で埋めることで生きてきてしまったのではないかということだ。穴が大きい分だけ、濃いもの、大きなものを求めてきたのだろうと思う。

それと同時に、私は私自身に対しても、何か確固とした考えを持った一個人、何者かであるように願い、擬態してきた。だけれども、強烈な自己主張から取り込み続けた他人軸は際限がなく、取り込まれる他人軸にあれこれと目を走らせているだけで、私は結局どの山にも登れず、目的地を設定できず、ここまできてしまった。

とびきり苦手な自己紹介はずっと苦手なまま。いつも誰かに嫉妬してきて、もう嫉妬することに疲れた。誰のようになりたいという意志も持たず、何にどんなふうになりたいかも決めてこなかった。漠然と年収1000万円を目指したりフリーペーパーの編集長になることを目指したりフロントに立って2000万円の見積もりを書くことを目指したら叶ったけれど、喜びは持続しないしすぐにその次が必要になる。

目の前のお魚を追うのに一生懸命で海底に沈んだままだったけれど、私は、目の前のお魚を追いかけながら、ずっとずっと「いつか誰かみたいになれるはず」と思ってきたみたいだ。でも、私は誰にもなれないし、誰かもいつかも永遠にやってこなかった。

そう。「私は私になる」と決めなくちゃいけないんだ。全てはそこから始まる。誰かが言った1000万円や、世の中的にイケてる感じがする編集長とかじゃなくて。私は私になる。そしてそれはもう、叶っている。いつかなんてなくて、今この瞬間、叶っている。私は私だ。

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