気づいてなかった

ありのままで生きよう。という言葉がある。
その人らしく。自分らしく。という言葉がある。
最近では、自分軸で。ともよく言われる。

なんだか優しくて、居心地が良さそうな言葉だ。

一方で、生きづらい。という言葉もよく耳にするようになって久しい。

この二つを合わせると、どんな社会とそこで生きる人間の姿が見えてくるだろう。

生きづらい × 自分らしく は、どんな接続詞で結ばれるだろう。

生きづらいから自分らしく?
生きづらいけど自分らしく?
自分らしくいようとするから生きづらい?
自分らしくいたいのに生きづらい?

わたしは、こうだと思う。

自分らしくいようとすればするほど生きづらくなる。
でも、みんなが一様に頼れる価値観が散逸した今の時代は、
自分らしさの中にしか希望や生きていく術がない。
だから、自分らしさを探求して、それで社会的・経済的な評価も得て、
生きづらくなくなりたい。

じゃあ一体、自分らしさとは何か?

それは簡単に言葉にできるものではない。
変わっていくし、多面的だし。
それなのに言葉で固定したら、"自分らしさの檻の中でもがく"ことになる。

でも、言葉にしなかったらしなかったで、自分が一体なんなのか、
わからないモヤモヤを抱え続けることになる。

有名な会社の肩書きがあったら便利だろうなあ、と思う。
年を取れば取るほど、その切実さは増すばかりだ。

でも、わたしには、ない。
そして、自分が一体なんなのか、わからないモヤモヤを抱え続けている。

わたしとは、何をしているかのDoingでは表現しきれない。

世間軸の評価においてもある程度高いレベルの達成をした上で、自分の感性を信じて勇気を持って、なるべく常識や過去からの固定観念に囚われずに生きていく。そういうあり方を、わたしは自分に求めてきた。おかしいことはおかしいままにせず、より良い方法を考え出して、実践しながら模索してきた。

そういうBeingが、私らしさだと思う。

そして、そろそろ、このBeingに重なるDoingを形にしたい。そして、伝わりやすい人になって、ちゃんと前に出たい。


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