ここはまだ、夢の中

休憩中にまどろんでいたら、夢を見た。

年齢の数字が書かれたドアが並んでいて、
1年ずつ過去にさかのぼっていける坂道があった。

その坂道を登っていったら、赤ちゃんのわたしを抱きかかえた母親がいた。

透明な薄い膜で隔てられた向こう側で、母は愛おしそうに笑顔でわたしを見つめ、話しかけていた。まわりにいる、おそらく親戚の誰かに、私のことや日常の子育ての雑事について話していた。

かつて本当にあったのだと思える、なんでもないように愛が満ちあふれた日常のひとこまがそこにあった。

ずいぶん長いこと、孤独の淵を歩き続けている。
何をしていても自信がなくいつも不安で基本的に疲れている。
自信のなさを埋めてくれる賞賛や甘言を渇望していて、与えられると狂気して喜ぶ。
かまってくれる有能な人を崇拝しがちですぐに依存し、あとから利用されたと傷つく。
男性とただ一緒にいたり、欲望のままにSEXをしただけで人生すべてを受け取ってほしいという願望が生まれ、叶わずに落ち込み、相手を冷たい人間だとジャッジする。

それらは、幼い頃の愛情不足で、自分の存在そのものへの肯定や承認ができていないからだとようやくわかった。そういう人のことを、アダルトチルドレンと呼ぶらしい。

わたしはアダルトチルドレンだ。

そう思い至り、これはもうアダルトチルドレンと自覚して、きちんと心のゴミを掃除していこう。嫉妬や諦めばかりでなく、もっと綺麗な目で世の中を見られるようになりたい。世の中の暗い部分だけではなく、明るい部分にも目を向けたい。心を綺麗にしたい。

そんな決意をした矢先のことだった。

涙腺がパンパンに膨らんだあと、涙が絞り出される途中でわたしは目覚めた。

愛情が足りなかったという意識が、あの夢を見させたことは明らかに思える。「そんなことはない。愛されていたよ。思い出して」という過去の記憶からのメッセージなのだろうか。それとも、受け入れられない悲しみを癒すためにつくりあげた虚構なのだろうか。


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