千と千尋の神隠しの論理矛盾について

夫と夜な夜な千と千尋の神隠しのプロットのおかしさについて話してました

物語の核となるシーン(※ネタバレ注意※)
ハクが怪我をする

千尋がハクのケガを治すために恐ろしい魔女に会いに行く

向かっている間にハクが自力で回復
飛んで千尋を迎えに行く

お互いの気持ちを確認
ハクが自分の名前、記憶を取り戻す

↓夫側の解釈、主張↓
そもそもハクは自力で回復したのだから、
千尋が恐ろしい魔女に会いに行くシーンは必要なかったのではないかというのです。

↓わたしの解釈、主張↓
千尋はハクのために行動
ハクは千尋のために行動をしていて
お互いが、お互いのための行動をしていたことに気がついて

2人が再開した時に、両想いだと自覚して、より絆が深まった感があると感じまして。(多分、お互い考えに偏りはあると思います)

お互いの解釈に違いがあることにすごく面白いと感じました。

夫は映画マニアなので映画は無駄なシーンがないと言いますし、夫の言うこともすごく的を得てます。

そうなのだけれども、
漫画とか、映画とか
人の感情の動きは言葉だけでは伝わらないものがあるのかなと、感じていて。
わたしは、本とかを読んでて、作り手側のそういう意図が読みとれたとき、なんだかちょっと嬉しくなるんですよね。その人の体験、世界観を擬似体験できたうように感じるのでしょうね。

ちょっとうまくまとめられないので
このお話は、この辺にしときます✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?