わたしは、法を犯さないけれど歪んでいる


2020/9/12に書いた下書きを公開します。割とちゃんと書けていたから。


家族仲が悪かった。母親は父親と姉から怒鳴られていたし、姉は妹たちを支配しようとしていた。
でも最初からそうではなかったはずだし、わたしは愛されてなかったわけじゃないと思う。

今でも思い出す。わたしは熱を出して居間の横の部屋で寝ていた。なんだかとても苦しくて「お母さん」と声を出した。テレビの音もしていたし聞こえるわけがないと思いながら。でも母は、わたしのいる部屋に来て「大丈夫?」と声をかけてくれた。
父親とはあまり記憶がない。なにせわたしが15歳の頃、自死してしまったから。それにわたしは歳のせいか、社会人になる以前の記憶がぼんやりしている。
父について一番に思い出されるのは、小学生の頃の家族旅行。どこかのお店に入ったとき、わたしが「ジュースを飲みたい」と言って母が頼もうとしたら、怖い口調で「甘やかすな」と言っていたこと。今なら母の優しさからの浪費癖も知っているから父の言動も理解できる。でも、とても怖かった気がする。ジュースくらいでなぜそんな怒るの?と。あとは、自死する前日の父親がとても記憶に残っている。
けれど、昔の家族写真(わたしが小学校低学年くらい)は、皆とてもいい笑顔をしている。当時飼っていた犬と猫と。写真だけ見れば、今のわたしの理想の家族だ。持ち家があって、犬と猫がいて家族がある。

どこから歯車が狂ってしまったかわからないけれど、わたしは30歳を超え独身だ。
法は犯さないが、彼氏もいなくて趣味もなくて、しかもアルコールに依存しているし、虫歯は6本もあったし、仕事は続かない。人と付き合おうにも、仲良くなった人には依存してしまうから、人付き合いが殆ヘタクソなんだと思う。
なんなんだろう、そこまで悪い環境に生まれたわけじゃないのに抱えてるこの生き辛さは。

本当に残念だけれど、わたしの育った環境があったから、今わたしはIT業界で働いていて、技術以外で評価されていて、お金を得ているのは間違いない。

社会人になる前から危機管理能力だけは育っていた。
他人の機嫌が手にとるようにわかった。みんなもそうだと思っていたけれど、歳をとるにつれ皆あまり他人を気にしていないことを知って驚いた。
わたしはいつからか、機嫌の悪い人には話しかけない・でも機嫌の悪い人にも話しかけなければいけないことがあるから、「怒られないように思考する。地雷を踏まない言い方はなにか?地雷を踏んでしまった場合の対処方法を事前にいくつか考えてから、話しかける。」という思考で生きていた。
この思考は、IT業界で役に立った。キーマンと仲良くなること、プロジェクトのリスクを感じて対処法をいくつも考えてから行動・提案することとして。

恋愛でも最初はそういう思考だからうまくいくけれど、徐々に素の「自分の全てを認めて欲しい。自分の言うことを聞いて欲しい」という自分を出してしまい、失敗する。

そうやって評価されていく中、わたしは自分の欠点に気付いた。わたしは他人に興味がない。

物心ついた頃には喧嘩の多かった家族(基本的には父と姉、姉と母)で、機嫌の悪い時には話しかけない・喧嘩が起これば毛布にくるまって耳を塞ぐことが普通だった。
姉の怒りの沸点が低く、なんでもないことでめちゃくちゃ怒られた。(寝転がってた姉の足に少しでも触れたら土下座。小学校低学年の時に姉に週刊少年ジャンプを買ってこいと言われ、200円前後を持たされてコンビニへ行った。わたしは週刊ということがわからず、赤丸ジャンプをレジへ持っていって、店員さんにお金が足りないと指摘され家に帰って激怒される等)
今思えば幼少期常に自分の中での危機に常に接していたんだと思う。

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