中国代表 レジェンド完全格付け

本来ならACL2021のチームレビューを書く時期なんですけども、いろいろありすぎて書く気も失せて、代わりに代表系の記事を

ワールドサッカーダイジェストの企画をパクりました!

https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=85912


【識者?選定 中国代表レジェンドの貢献度ランキングTOP10】


10位:蒿俊閔(Hao Junmin MF):80試合/12得点[2005~]

1987年湖北省武漢出身、現代表キャプテンかつ現代表から唯一のTOP10選出。16歳で天津泰達(現天津津門虎)でデビューしU17,U20ワールドユース,北京五輪と各種年代別世界大会出場。2010‐11年にはシャルケに在籍、厳しいポジション争いで不慣れなDF起用されたり成功とは言い難いが、欧州CLにも出場。11年から山東に在籍、若いころはウイングだったがプレイメーカーとして定着。カタールW杯が最後のW杯チャレンジか

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9位:馬林(FW):45試合/21得点[1984~1990]

1962年黒竜江省出身、80年代~90年代初の主砲で代表キャプテンも務めた。84年アジアカップ準優勝、88年4位に貢献。ソウル五輪予選では日本を破り五輪本大会初出場。古豪遼寧で国内リーグ10連覇&90年には日産(元横浜Fマリノス)破りアジアクラブ選手権優勝(中国勢初のクラブレベルアジア制覇)。92年当時JFCの日本鋼管に在籍と意外に日本と縁が。95年に大連で引退後、監督としても2011年古巣遼寧を3位に導き国内最優秀監督選出されるなど実績積んでいる。惜しまれるのはイタリアW杯予選【黒色三分鐘(黒い3分間)】でW杯出場を逃したこと

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8位:郜林(Gao LinFW):109試合/22得点[2005~2019]

1986年河南省鄭州出身、上海申花ユース時代に05年U20ワールドユースで活躍後同年東アジア選手権で初代表、クラブでデビューより先にA代表デビュー果たしたが、デビュー戦は西村雄一主審の誤審(人違い)で開始5分で退場。そこから歴代2位の109キャップを積み重ねた。広州恒大では外国人アタッカーと切磋琢磨し高い評価を得たが、代表での得点数が物足りなかった印象。現在は深圳でアシスタントマネージャー兼任。

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7位:賈秀全(DF):55試合/9得点[1983~1992]

1963年遼寧省大連出身、日本的にはガンバ大阪に在籍したことで知られる。現役時代はDFながら1984年アジアカップMVP&得点王、ソウル五輪出場。また欧州移籍の先駆けで名門パルチザン・ベオグラードで中国人選手初の欧州カップ戦に出場。ケガで30歳で引退後は監督として各クラブやU19,U23代表、女子代表監督を歴任。2010年には八百長疑惑で事情聴取受けている。

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6位:李鉄(MF):92試合/6得点[1995~2007]

1977年遼寧省瀋陽出身「跑不死」の異名もったボランチで、日韓W杯後モイーズ率いるエバートンに加入し1年目はレギュラーとして活躍。しかし04年代表合宿の負傷で英国でのキャリアは実質終了してしまった(以降4年間で公式戦出場1試合)。08年帰国後成都→古巣遼寧で11年に引退したが最後の出場は前年とと大ケガが無ければ。。引退後広州恒大でアシスタントとしてリッピに学ぶと、15年河北を2部昇格させ、19年武漢を躍進させ、同年末にリッピ退任後の代表監督就任し来るW杯予選を戦う。選手時代に出し切れなかった分監督として更なる活躍を期待したい。

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5位:孫継海(Sun Jihai DF/MF):80試合/1得点[1996~2008]

1977年遼寧省大連出身、大連実徳皮切りにクリスタルパレス・マンチェスターシティ・シェフィールドと英国で長くプレイ。帰国後39歳まで現役続けた。特に英プレミアリーグで実績残しマンチェスターシティの殿堂入り。クラブレベルでの活躍から中国といえば彼という人も多かろう。でも5位は代表での物足りなさ。17歳で代表デビューし日韓W杯予選でもMVP級の活躍だった。しかし五輪代表予選で審判に執拗に抗議し1年出場停止、代表最後の2008年もベンチ外から執拗な抗議で退場、と負のイメージも多く国内の評価は国外ほど高くない印象。日韓W杯初戦コスタリカ戦前半17分で相手のタックルを受け、負傷交代。このケガで残る試合を欠場し彼のW杯は17分で終わってしまった。このケガが無ければ・・と思わざるを得ない

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4位:范志毅(Fan Zhiyi DF):106試合/17得点[1992~2002]

1969年上海出身、日韓W杯予選の活躍で2001年に中国人選手初のAFC年間最優秀選手に。98年孫継海と共に英国に渡りクリスタルパレス、ダンディー、カーディフでプレイ。クリスタルパレス時代2001年にチーム年間MVPに。リバプールからオファーあったという情報も
CBの印象が強いが若いころはFW起用され、上海申花時代1995年にリーグ得点王に。06年現役引退後は指導者やったり、芸能人ご意見番枠に。
上海閥のリーダーと評判で、遼寧閥の3位の人と犬猿の仲と噂された。
彼も孫同様に日韓W杯はコスタリカ戦で負傷交代し、その後出場できなかったのは悔いが残る。イメージ中国版井原正巳

クリスタルパレス公式チャンネルの特集、結構英語うまい


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3位:郝海東(Hao Haidong FW):107試合/41得点[1992~2004]

1970年山東省青島出身、代表歴代最多得点で現役時代は「亚洲第一前锋(アジアNo1FW)」と称された。日韓W杯で10番背負い、2004年アジアカップで代表復帰し頭に包帯巻いて奮闘した姿は印象的。クラブでも大連実徳全盛期を支えた。イメージ中国版中山雅史。06年にはシェフィールドUにコーチ兼任で加入し、その後引退。
しかし晩節を汚してしまい、既に中国内のSNS上で彼の名前は検索不可に。高確率で二度と中国の土を踏むことは無いだろう。中国歴代最高のFWが中国社会から抹殺されたのは非常に残念


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2位:李玮峰(Li Weifeng DF):112試合/14得点[1998~2011]

1978年吉林省長春出身。日本的には鈴木啓太に喉輪かました選手、実際血気盛んで2006年には直近1年余で6回退場し代表キャプテン剥奪。08年は加入したばかりの武漢光谷で3試合目で退場&相手と揉めて長期出場停止→クラブが抗議してリーグ脱退、、と無駄な武勇伝が多い。
しかし代表歴代最多キャップとプレイ面では歴代屈指のDFであることは間違いなく、日韓W杯もフル出場。大会後李鉄と共にエバートンに加入(公式戦2試合出場)キャリア末期にはKリーグ・水原三星でプレイ。15年天津で引退

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1位:鄭智(Zheng Zhi MF/DF):108試合/15得点「2002~2019]

1980年遼寧省瀋陽出身、17年に渡り代表でプレイ、クラブでも深圳・山東・広州でリーグ優勝、リーグMVP2回、ACL優勝2回。13年AFC年間最優秀選手。チャールトン、セルティックでプレイ。10年当時2部の広州恒大に加入後クラブの象徴的存在。例えるなら中国版遠藤保仁。代表では04年アジアカップではCB、それ以降は10番攻撃的MFまたはボランチとして活躍。
惜しまれるのは代表での実績不足、日韓W杯に間に合わず(W杯後に代表デビュー)全盛期の00年代後半-10年代前半は代表暗黒期。現在広州ではアシスタントマネージャー兼任、引退後の監督昇進は確実視。40歳過ぎてまだプレイを続け、代表・クラブともに総合的に彼を1位に選出

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*番外

李惠堂(Lee WaiTong 1923-41 1905-1979没) 

戦前に活躍し「球王」と呼ばれるレジェンド。香港出身、中華民国代表として1936年ベルリン五輪や極東競技大会等で活躍。現役時代はサウスチャイナ、上海、インドネシアでプレイ。引退後は香港や中華台北で指揮を執り、中華台北代表監督で48年ロンドン五輪出場、50年代アジア大会で2度優勝。
25年のプロキャリアで1260得点を決めたとされ、76年にドイツの雑誌でペレ、ディステファノ、プスカシュ、マシューズと並ぶ「世界五大球王」に選出。1965年にはFIFA副会長に。
香港出身で引退後は香港・台湾で主に過ごし、政治的にも中華民国を支持していたこともありこのランクに入れるべきか難しいが、こんなレジェンドがいたということで。

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武磊(Wu Lei FW):67試合/18得点[2010~]

1991年江蘇省南京出身。クラブレベルでは14歳でプロデビューし上海上港(現海港)でリーグ優勝&得点王&MVP、スペイン移籍し中国人初のリーガ得点、現役No.1選手ではあるが年代別含め代表でのインパクトが乏しく、、今後への期待込めてランクに。W杯予選頼むよ~

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