期待されたが大成しなかった5人ー中国編

某サイトで世界各国の期待外れ、伸び悩んだ選手、、みたいな特集記事があったので、中国でも5人選出してみました。

・董方卓(Dong Fangzhuo)


1985年生まれ。大連実徳で頭角を現し、04年に19歳でマンチェスターUと契約。まずベルギーのアントワープへレンタル。4シーズンでリーグ戦70試合34得点(うち1部9試合1得点)05/06シーズンは18得点で2部レギュラーシーズンの得点王に。05年夏にはマンUのアジアツアーのメンバー入りしゴールを奪う。06年からマンUに復帰、同年A代表デビューし、スイス戦で代表初得点と順調に見えた。
しかしマンUで出番を得るのは容易でなく、2年間で公式戦出場は3試合に留まった。08年契約解除し古巣大連へ復帰。2年間在籍したが得点はなく、その後レギヤワルシャワ(ポーランド)、ポルティモネンセ(ポルトガル)、ミカ(アルメニア)と本田圭佑ばりの流浪を経て12年中甲(2部)湖南湘涛へ。14年河北中基でプレイしたのが最後で、15年には選手登録外になりキャリアを終えた。
彼のキャリア最大のハイライトは、自国開催の08年北京五輪で唯一のゴールを決めた(1-1ニュージーランド)。だが皮肉にも負傷をおして北京五輪参加したことが以降の急下降の原因だったと、引退後のインタビューで語っている。引退後は厦門でサッカー指導をしたり、解説業などでメディアに出現している、


彼の場合は期待値が高かったが、ハードルが高すぎたのと、怪我が惜しまれる。またはマンUでなくもっと多く試合出れる下位チームや下部で経験積んでいれば、、と惜しまれる。

・陳涛(ChenTao)

1985年生まれ。瀋陽金徳(のちに長沙金徳、現広州城)でデビューし頭角を現すと、10代にして10番、キャプテンを務めた。「黄金世代」不動の10番として、05年ワールドユースでは3得点3アシスト。同年A代表デビュー。07年トゥーロン国際大会でもチームの主軸として準優勝に貢献。

だが彼に立ちはだかったのはクラブ。ワールドユースの活躍でジェノア、アンデルレヒトからオファーがあり、07年のジェノアは既にイタリア行きの航空券を購入していた。しかし金徳は移籍金を吊り上げ移籍を拒むばかりか、最終的に陳涛を飼い殺しに。そのため2008年は丸々1年間試合出場できなかった。
09年に上海申花へ移籍、10年から天津泰達で第2の春を迎えるとチームのカップ戦初優勝&リーグ2位に貢献。その後大連阿爾濱、中乙(3部)四川安納普尔那へて2020年に引退し、現在は深圳のコーチを務める。

復活できたとはいえ、08年の空白がなければ、欧州移籍が実現してれば・・と惜しまれる選手。

http://sports.sina.com.cn/china/j/2020-05-30/doc-iircuyvi5890390.shtml
https://www.zhihu.com/question/398277286/answer/1261328862

・劉雲飛(Liu Yunfei)


1979年生まれ。天津泰達では2002年日韓W杯正GKだった江津がいたが、W杯当時クラブで江津を抑え正GKだった。03年以降アリー・ハーン代表監督政権下で代表の正GKに定着。
キャリアのハイライトは04年アジアカップ、決勝でジーコジャパンに敗れたが準優勝に貢献。その後上海申花に移籍し順風満帆のキャリアだった。
しかし06年、突如上海申花から給与・練習参加・試合出場の停止処分に。翌07年薬物吸引で警察に逮捕され、彼のキャリアは事実上終了してしまった。その後も薬物で3回逮捕され、一度は死亡説も流れた。
2021年、42歳にして現役復帰。中乙(3部)陕西俑士超越でコーチ兼任し、カップ戦に出場。社会復帰できたのは良かったが、誘惑に負けてしまったのは残念。


・張玉寧(Zhang Yuning)

1977年生まれ、97年生まれの現代表FWと同姓同名だが血縁関係はなし。遼寧のエースストライカーとして活躍し、プレイだけでなくアイドル級のルックスで大人気。日韓W杯は落選したが、01年にはプレミアリーグ・レスター移籍が合意(労働許可下りず破断)03年上海申花移籍後も活躍し、ドイツW杯予選では代表10番を背負い活躍。その後06年にオーストラリアのクイーンズランドへ加入。08年古巣遼寧に加入したが出番はなくこの年でキャリアを終えた。その後は指導者の道を歩んでいる。

彼のキャリアの大きな分岐点は2000年の交通事故。張が運転する車が事故に遭い、助手席にいた同僚の曲楽恒が重症、半身不随になってしまった。
この事故に関する賠償、裁判、また張がヤクザと関わり故意に事故を起こした、、などの噂が飛び交った。この件が彼のキャリアに影響をお呼びしたことは間違いない。

・李華筠(Li Huajun)


1966年生まれ。83年ワールドユースで活躍し、ファンバステン・ベベット・ロマーリオらと共に優秀選手に選出された。86年には中国遠征したブレーメン相手に活躍し、相手指揮官レーハーゲルの目に留まり、ブレーメン行きが実現しかけたが、当時多くの社会主義国や東欧諸国に似て28歳以下の選手は国外移籍が認められなかったため実現せず。結局怪我もあり25歳にして現役を退いている。
彼の場合は時代が悪かったか、プロ化以降の90年代、00年代に出現していればと惜しまれる。

*感想

怪我であったり、個人的なトラブルであったり、クラブや、当時の制度などいろいろあれど
どんな素質があった選手でも自分の努力や自省は勿論、怪我せず試合に出ること、天運も必要なんだなと改めて実感
まあでも日本などと比べて、賭博や酒や薬物などのトラブルが多い印象。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?