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立つ鳥跡を濁さず〜私らしく生きる方法見つけたよ〜

はじめに

夏休みの宿題こと、卒業note制作を提出前日の深夜26時を回ったあたりから0文字目からスタートするあたり、6歳の頃から全く変わらない自分に、一周まわって微笑ましく思えた今日のこの頃。

正直、こういった自己開示を含めた文章って昼間は書けないので、深夜のテンションで勢いのまま書くことをお許しください。(いいから書け)

まだやってません!間に合いませんごめんなさい!などのやりとりを見ていると、「山梨キャンプの前夜に楽しみすぎて寝ない人たち」「夜行族集い」を思い出してエモい気持ちに。(だからはよ書け)

起承転結は苦手なのでありません。綺麗に書き上げることも不可能なので、伝わる人が1人でもいれば嬉しいな!(諦めも肝心)

POOLO入った理由、入学当初は「人との繋がり・新しい学びの環境」って書いた。それは正しいんだけど、実はもっと根源部分に詰まった人間臭い部分は書けなかった。この機に、自己開示がてらちょっと長めにつらつら書くことにした。今更開示するの?という方もいると思うけど、背景も含めて今の変化を伝えたい知ってほしいと思い、書くことにした。
(ちょっとドキドキ)
以下長くなっちゃいそうです。

と、いうことで重い腰あげまーーーーーーす。



POOLOに入った大きな理由

この際丸裸にしちゃおうと思う。少し昔話にお付き合いください。

私は1年前、人生にすごくモヤモヤしていた。
そのモヤモヤの原因は主に2つ。

1つ目は遡ること大学生時代。大学2年生で旅の魅力に知ってからというもの、順風満帆だった。学校生活はもちろん、就活も学歴フィルターのかかる書類選考さえ突破できれば、内定まで必ず漕ぎ着け、面接は不敗。就職先も東京大阪福岡、どこにだって行けた。勢いで受けた公務員試験にも突破し、溢れるほどの選べる材料が揃っていて、今考えると贅沢すぎる。

ただ、最終的な行き先決めにあたり、自分が”やりたいこと”を選ばなかった。就職がゴールのように考えてしまっていた当時、先のことをあまり考えず、優柔不断な私は人生における重要な決断を自分軸ではなく他人軸で行ってしまった。それが1つ目のモヤモヤの原因だ。
明確な理由はなくても、自分自身がワクワクする物差しで図らなかった、他人の願望に従った、そんな自分に後々苛立ちが止まらなくなる時期が後々やってくることとなった。

ただ、実際に就職すると仕事自体はそこそこ好きだった。子どもと接する仕事は元気がもらえるし、成長を見守ることができる。任せられる仕事の裁量が大きいが自分のペースで進めることができるのは適性にあってた。自分のいる場所を居心地のよくする能力とやり始めると楽しくなっちゃう能力は備わっているのでしっかり適用に成功、働く職場自体には満足していた。抱いていた自分への「苛立ち」はいつしか「違和感」に変わり、まるで風邪の引き始めのような感覚だけが残っていた。


2つ目は社会人2年目終盤。今の生活からでは考えられないレベルで仕事が多忙を極めていた頃、私にとって大大大事件が起こった。
心の拠り所であり、一番の理解者で絶対的信頼を置いていた人が私の元を去ったのだ。去り際に言われた言葉が厄介なことに事あるごとにフラッシュバックし、私の思考や行動を妨げ、頭から離れなかった。

「君の幼稚でネガティブなところが嫌いだ。昔のりかこはどこいったん?」

「ごめん」としか言えない経験は人生初だった。いつの間にか自分らしさを失い、好奇心やワクワクを原動力に動いていたはずの人間がテンプレートに沿ったような生き方に変わっていたようだ。らしさを失った人間が他人軸で生きると、幼稚でネガティブな存在になると認めざるを得なかった。同時に人を信じること、自分を開示することがちょっと怖くなった。存在の意義を見出せなくなったからだ。自分には一体何が残る?何ができる?分からなくなり、一気に自信を失った。その感情に包まれるのが嫌で、ぽっかり空いた穴を全力で埋めるように仕事に没頭し、非日常の旅へ逃げた。自らを忙しくし、思考を止めた。それでもふとした瞬間に感情は引き戻され、太刀打ちできない自分が悔しかった、それが2つ目のモヤモヤの原因。

正直、このモヤモヤはどうやって解消したらいいか自分でも分からず月日がすぎていた。 

「どうしたらいいの???」


そんな人生のモヤモヤを抱いてた2021年9月。
友人から「POOLO3期入らない?気質が合う気がするよ!」との一報。


新しい環境に飛び込むことが好きな私は、久しぶりに高揚した。ああこれが失っていた感覚かと。自分の人生を豊かにする方法を考える時期があってもいいよね。今の自分を変えるには、自分の足で動いてみるしかない。

「立って歩け、前へ進め。あんたには立派な足がついてるじゃないか。」

鋼の錬金術師/エドワード・エルリック


そんなこんなで飛び込むことにしたPOOLOの世界。
入ったからといって変われるとは思っていなかったが、人生豊かにする第一歩として何か足掛かりになればいいな。意を決して決済ボタンをポチっと。



必然的に決まった自己ビジョン

そんな想いを胸に飛び込んだPOOLO。思考から変えていくことに。

(誤)「どうしたらいいの?」
(正)「どうしたいの?」

他人に縋る人生ではなく、自分に問う人生にしていこう。

〜自分の人生の理想は何か見つけたい〜

・自己理解を深める⇨自分と向き合い、自分を知る
・人生の軸を決める⇨将来の夢でも目標でもなく、生きる上での軸
・たくさんの仲間を作る⇨様々な価値観・人生の人たちと出逢う

2月5日自己ビジョン発表より



POOLO生活の振り返り

やっと振り返りに入るね。
簡単な活動報告をすると以下の通りになった。
(理系出身で実は数値好きなんです)

  • 1on1 40人           50%

  • コミット日数    201日 / 266日 75%

  • オフ会えた日数 61日 / 266日 23%

  • 総移動費用 夏ボーナス宣言通り飛んだ♡

  • 総移動距離 25,000km 世界半周超え♡


自分でも思うが、なかなかの時間と財と体力を使った。

これだから知性がないって言われるんだろうな。(ね、アキラ?)
下記にも書くが、使うと決めてたからいいんだ。そして無駄な経験が驚くほどに1つもなくて、後悔は1mmもない。もはや得ばかり。使って正解。

甲斐あってたくさんの機会があり、期間中には分岐点がいくつも訪れた。1つ1つの企画や1人1人との出会いの中で、少しずつ自分に自信がついていったのは間違いない。たくさんありすぎて書き出すと一生終わらないのでやめておくが、ほんの一部だけ、とりあえず5つだけ紹介させて欲しい。(多いのよ、普通2つだけ・・とかなのよ、ゴメン)



1つ目の分岐点:第1タームのLチームとの出会い

私はこの人たちとこのタイミングで出会ってなかったらここまでPOOLOにコミットしていなかったかもしれない。初っ端からいいんですか?と言うほど、心からの友たちに出逢えた。ちょっと変わったメンバーの集まり。未だに月1定例会で近状報告しあってる、今後もシヨウネ?

ユキノチャン合成シタ写真デス。

POOLOって初日から勢いすごくて。私は初回から講義についていくので一生懸命で、slackとzoomの使い方に慣れるので精一杯な私にとっては、みんな優秀すぎて。講師の方への質問レベルが高く、1回の講義の理解度高すぎる。入る世界レベル、ちょっと間違えちゃったかな?なんて、考えてた。

でも、MTGの時にふと聞いてみた。そしたら
「俺もわっかんね!みんな、理解してんの?すごいわ」
「私もえ?なんてなんて?ってなってるよ」
「自分のペースでいいさ」「大丈夫大丈夫〜!」
なんて言葉が飛び交い、安堵したのを覚えてる。

でもね、まだ不安材料があって、地方だから中々会えないハンデがあり、POOLOとの距離感どうしようかなと迷っていたが、そんな不安を最初に取っ払われた。

そう、実は初回顔合わせした1月17日課題やったよチャンネルにノリと勢いで生まれた「俺んとこ、来いよ」企画が@あっきーにより無事投下!!!

@あっきーは「僕のこといじめないでね」って言ってた(初回からピュアぶってる)

Slackのスタンプが1投稿23個できると知ったのもこの時だった。このアクションから全ては始まったんだと思う。私も「作っちゃいなとか言っちゃったし行くしかなくない!?」って気持ちが高まり、一気にオフラインへのハードルがグッと下がった。今でもこの機会を生み出してくれたチームメンバーにはみんなには感謝の気持ちでいっぱい。

初代 俺んとこ、こいよ

そして実際に俺来い企画へ参加して気づいたことがある。
私はPOOLOに入れば何か変わってくれる、足掛かりが掴める、そう思っていたけれど、実際はちょっと違った。受動的に変われるのではなく、この環境を使ってどれだけ自分が自発的に動き、人と出会い、話し、吸収し、学び、変化できるか、自分の好奇心にどれだけ応えることができるのか。だから私は動こうと心に決めた。

きっとこれがPOOLO活動における私の原動力だ。

(初回は緊張と様子伺すぎてテンション高めで、複数人からうるさかったと最近苦情をいただいたので謹んで反省いたします。笑)


2つ目の分岐点:星取旅&瀬戸芸

講義を砂丘で受講したはいい思い出デス

私はオンラインより圧倒的にオフライン派の私は、関東近郊でオフラインするみんなの姿に「いいな」という感情を抱いていた。

どうしても人間関係の構築には何度も会い、聞き、見る、単純接触回数が多ければ多いほど関係値が深まる。それは避けようのない事実だった。実際、「週末○○にご飯行きません?」「最近気になってた○○みんなで行きました」なんて投稿見るたびに、羨ましがる自分がいた。そっと目を背ける自分がいた。きっと地方勢、首がどっか飛んでいくレベルで頷いてくれてるんじゃないかな。でも、羨ましいと言う感情を埋めるために企画に参加するのは絶対違う気がする。じゃあなぜ私はオフラインに参加しようと思っているんだろう?と自分の中で問い、整理した。

すると、貧乏大学生時代から唱えていたことを思い出した。

この時間をこのメンバーで過ごす機会は2度と訪れない。時間とお金を言い訳にしたら一生後悔する。だから意地でも生み出して、私は行く。

あ、決して名言とかじゃないです。
貧乏学生時代からのおのりかこ心の声デス。

純粋に人に会いたいって感情で動くことは自分の意に反していないこと。人に会いたいという感情は好奇心であり、原動力。羨ましいを埋めるとは違った。機会損失せず、その土地で、旅を通して人に会い続ける、人に会い続けてその土地を共に時間を過ごし旅をする。このスタンスで私はいいんだと、POOLOでの自分なりの立ち位置と生活軸が定まったタイミング。

そしてこの旅を通して、沢山会うだけが全てじゃないと学んだ。回数は少なくても旅先で共に過ごす時間が濃いことに気づけた。「時が止まればいいのに」そんな感情が込み上げ、同じ時を過ごす人たちと共有される。ああ、これが旅だった。好きだ。そしてそんな時を過ごした仲間とは本音で語ることができ、素で接するこきる人たちに出会えた機会だった。



3つ目の分岐点:人生のやりたいことリストWSの開催

初めて自分たちが主催するオンラインイベントを開催した。アイデアの宝箱チャンネルから拾われた声を形にすることができた。オフラインの企画が初めてだった私たちにノウハウを教えてくれたまさけん、一緒に企画を運営してくれたくぼちゃん・まっさん、本当にありがとう!この3名って実は褒めるのが上手くって。この企画以降、実は私の自己肯定感が爆上がりした、すごい貴重なきっかけになったよ。
※この時まっさんにファシリしてもらってたらどんな進行になってたんだろう、少し気になっちゃう笑(卒業式でのキラーパス、スルー経験者より)

こんなに人が集まってくれただけで嬉しかったナ

4つ目の分岐点:石垣島でのダイビング合宿ぱしゃぱしゃ

お酒一滴も入れず、疲れMAXの中、こんなにも熱く仕事・家族・恋愛・人生、すべてを語った忘れられない夜。今となってはなんでも話せる、困ったらいつでも助けてって言える、報連相を怠ると怒られちゃう、心の底から笑わせてくる、そんな仲間になった。

ダイビング仲間にもなれたネ



4つ目の分岐点:富士山登山の断念

公式登山部の日程で登れなかった組で作った富士山前半組#4_富士山登ってやんぞ会 「富士山に無事に登る」という共通目標のために後半組と共に日々トレーニングした。みんなで読み上げて準備したり、1人1山以上予行練習したり、準備万端だった。でも狙ってきたかの如く台風が爆誕し、バラしとなり、結構落ち込んだ。

日々頑張った体力づくりスレッド

くらこー曰く「全員揃って来なさいと富士山からのお達し」とのこと。
来年みんなでリベンジしよう。確かに運命論的にも言える。きっと今回登れなかったことには意味があったはずだ、と。

目標に向かって貪欲に頑張るって一致団結するってすごく絆に繋がる。そして目標のためなら継続する力ちゃんとあんじゃん自分って学んだ。



5つ目の分岐点:POOLO大運動会の運営(私の集大成)

4月にハルナが呟いた「運動会やりたい」の声。
やろうよと続けて声をあげて熱いうちに実行に移すことができれば、実現するであろう企画。その頃私にはそこまでのバリューを発揮できる自信がなかった。タイミングよくまさけんから悔しいけど背中を押され、今すぐハルナに連絡しな、実現させなよと言われ、DMしたのがスタートだった。なんだかとっても悔しいけど、とっても感謝してる、ありがとうまさきけん。
ハルナのやりたいをまっさんと一緒に形にできた。こんな経験をさせてくれた2人には感謝でいっぱいだ。

まだ私は自分には何ができるのか分からないと悩んでいた時期に立ち上がった企画を卒業月の9月までハルナとまっさんと共に走らせることができた。

笑顔がみんな最高なんだよナ
  • 参加してくれたみんなが思いっきり楽しんでる

  • 最高だったよ!と声をかけてくれる

それが嬉しくて、心からやってよかったと思った。

こんなにも準備から楽しませてもらい、
当日もめちゃくちゃ楽しかったのはみんなのおかげ。

みんなのPOOLO思い出集の1ページに刻まれてることを願ってます。

本当にありがとう。

そしてこの運動会企画を通して、私は自分のやりたいことを0⇨1で生み出すのではなく、自分の周りでやりたい声を拾い、一緒に1⇨10へと形に変えることが自分のやりたいことであり、できることだと実感した。

好きが溢れるナ ぷぷぷ

ハルナとまっさんがよく夜中にラーメン食べに行こって誘ってくるので、そろそろまっさんはプライベートジェット購入して、迎えに来てくれると信じて待ってます。とかいうくだらない話をよくする、何か実行したい時には必ず声をかけたい、家族要素強めな人たちと出逢えた。ありがとう。

たぶん、行くラーメン屋決めで揉めます。

正直、挙げ出すとキリがないので割愛したけれど、私の中でチーム活動がすごくPOOLOの充実度と豊かさを考える上で必要不可欠だった。
上記にも書いた第1タームのLチームはもちろん。
第2ターム:伝説のKチーム
活動も然り。POOLO3期の歴史に刻まれた作品を生んだよね、きっと。
打ち上げでまさきけんと喧嘩して怒られたのも、いい思い出。笑
第3ターム:個性派揃いのAチーム
共創の楽しさを知ることができた。最高なバランスのチーム。共創のあり方自体についてぶつかって議論したの、未だに私たちだけなんじゃないかな。
第4ターム:ゆるりとEチーム
チームMTG=語りの時間。ゆるりと好き。ダイアログ部、始動させようね?

ぎゃんとこ人吉スタディーツアー


9ヶ月間を通して”できるようになったこと・得たもの”

  • 自分軸で物事を考えること

  • 人生の理想像を具体的にイメージできたこと

  • 全国各地に新しい旅仲間ができたこと

  • かけがえのない友達’たちに出会えたこと(詳細:第4Eチーム発表へ)

  • 別れが惜しくて泣いてしまうほどの友人に出会えたこと

  • ”あなたがいたから成功した””頼りな”と言ってくれる仲間ができた

  • 皆無に近かった自信がやっと追いついた

  • ファシリテーション

  • 余白について、豊かさについて考え、語ること

  • 抱え込まず、人に頼ること⇦New!

  • ストファイ(無料版)3位のリーダーシップの全貌が判明したこと

私もピンと来なかったの。言語化してくれたユキノチャン、アリガトウ。



9ヶ月間を通して”できなかったこと”

  • 将来の進む道の最終確立(焦らない焦らない)

  • 内省する時間の確保

  • アウトプットする時間

  • 旅の動画作成(瀬戸芸以降止まってる、おいしょ)

  • 写真の整理(POOLOの写真多すぎて保存してない、おいしょ)

  • 十分な報連相(すまん)

  • 言語化能力(伝えたいことの半分も伝わんないよ)

  • 集団で全てをカバーすること

  • 利他(みんなすごすぎて、GIVE追いつかぬ)

きこりんの里


ちなみに余談ですが。

最近、巷で有名な”知性のない人たちシリーズ”
ちょっと気に入ってるんですが、ふと自分のストファイを振り返ってみました。すると驚くべき事実が・・・・!!!!
5位に社会的知性が入ってました。(報告ノミ、異論ハ割愛スル)

無料版だよーーーーん

あともう一個。まっさんからふと嬉しい報告を受けた。
4位さんになれたそう。入れてくれてた人たちがいたってこと。まさかすぎて、めちゃくちゃ嬉しかった、飛んで喜んじゃった。何かしらの形で誰かに何かの影響を与えることができていたのかな。ありがとう。
(あ、よい家族築きそうNo.1 たっす×りかこ、の件じゃないよw)

足元にもオヨビマセン!



みんなからの声

アンケートでの声を全面反映しようかなとも思ってたんだけど、心のうちに秘めたいものばかりで。多分アンケート回答画面見て、数回か泣いた。
だから、ほんのほんのほんの1部だけ。紹介させて、あと感想も🌸

・私にもファンができた
・私のために歌作ってくれる人がいた 曲名は元気な女の子!
・親戚のおばちゃんになれた
意外といると安心する ・意外と全体をちゃんと見てる ・意外と機転がきってすごい「意外」を羅列するあたり、愛を感じた
家族的要素が強いって心理的距離めちゃくちゃ近い人がいた
・辛い時は辛いって言っていいよと受け入れてくれる人がいた
・自分がやってることに絶対参加してほしいと言ってくれる存在がいた
・もっと自分優先で生きちゃっていい気がすると背中押してくれた
絶対的太陽と存在を認めてくれた
・仕事してるのか、心配してくれる人がいた
・色んな人と携わる系統の仕事が向いていると思うと教えてくれる人がいた
・りかこスマイルが最大の強み!と肯定してくれる人がいた
・好きぴ!と好きを全面に出してくれる可愛い子がいた

みんなからのアンケート抜粋

私は一体何ができるのか分からなかった1月。少しずつ自信を付けながらできることを見つけていった今日まで来た。そしてみんなからたくさんの声を貰った。少なからず、誰かには届いていた。私という存在や私の行動・言動で良い影響を与えることができていた。それだけでPOOLOにいて、POOLOに入って良かったと心から思えたよ。ありがとう。

この声たちを書いてくれた1人1人には後々想い伝えさせて。
ここに書きだすと、年越しそうなのでやめとくね。
ちなみに募集は続けてるよ!卒業noteのためよりもPOOLOの活動を振返りたくて。みんなからの率直な声、聞きたいから書いてくれたら嬉しいな。もちろんnoteの感想でも。お返事するね。

SADO☆


わたしのこれから

ある人が言ってくれた。
「石橋を叩きすぎたら時間が溶けちゃうよ」
ある人が言ってくれた。
「もし失敗したってあんたならって助けてくれる仲間はいっぱいいるよ」

9ヶ月間、十分石橋は叩きまくって、叩き切った。
応援してくれる仲間が沢山できて
大好きな人たちもいっぱいできて
これから会っていたい繋がっていた人たちに出会えて
君はすごいよって尊敬してくれる人ができた。

そんな人たちを私は信じて新たな挑戦・環境に飛び込む準備を始めます。

みんなほど勇気はない、小心者。だから少しずつ進む、カタツムリのような速度かもしれないけど、遅いからって塩降らないでね。見守っていてほしい。私は9ヶ月前とは違うから。

北海道の帰りの飛行機で夕日を見ながら将来を考えてた。(トップの写真)
FUNKY MONKEY BΛBY'S ちっぽけな勇気
これが流れてきた瞬間、号泣だった。

この卒業をもって決意表明とす。

五島原チャ旅


最後に

卒業に際して、沢山の思い出と、学びと経験が詰まった9ヶ月間。これは紛れもなく、POOLOに関わった誰かが1人でも欠けたら成り立っていなかった。それぞれのフェーズがあって、人によってコミットの仕方や頻度も関わり方も使い方も異なる。就職や転職、辛い時期、楽しい時期、別れの時期、悩む時期、頑張る時期、様々なタイミングで色んな価値観と背景を持った大人たちが共通の「豊かさについて」をテーマを担ぎ、9ヶ月間共に走ってきた。ドラマがあり、みんなが主人公。1人1人の存在や行動が連鎖し、繋がり、今のこのPOOLO3期が成り立っているんだよね。

みんなの思い出の中に、これからの人生の1ページにPOOLOっていう期間とそこで出会った人たちが刻まれ、また新たな1歩を踏み出し、それぞれの人生がスタートする。でも、いつか振り返った時に、あの期間があったから今の自分が豊かなんだなって少しでも思えたら、それでいい。


卒業はすごく寂しい。けど。
人生のこのタイミングで3期のみんなと出会えたことは私にとってかけがえのない財産で、みんなのおかげで前を向けた。自分の足で立って生きることの楽しさを学んだ。人生の豊かさを考えた。共創する喜びを知った。そしてみんなが太陽だって言ってくれることが嬉しくて、存在を必要としてくれることで、自分に自信が持てた。ありがとう。
甘えても人間臭くても全力で受け入れてくれて、認めてくれてありがとう。

会いに行きまくって、旅しまくって、正解だった。

そんなみんなだから、少しだけ先にお願いしててもいい?

もし私がうまく動けなくなってたら尻叩いてほしい。
温かい言葉でも厳しい言葉でもかけて励ましてほしい。
立ち止まることはあるけれど応援してほしい。
頼っちゃう時もきっとあると思うから、その時はいいよって言ってね。
頑張れって背中をそっと押して欲しい。
これからもずっと仲良くしてほしい。

お願いが沢山になってごめんね。先に頼んどく。保険かな。

個人でも感謝を伝えたい人たちが沢山いる。
後日感謝を何かしらの形で伝えていくね。


みんなに出会えて本当によかった。
関わってくれた全ての人にありがとうを伝えたい。
POOLO3期に入って本当によかった。
大好きです。


これからも、よろしく頼みますね?

POOLO ありがとう。

沢山の出会いがあった、山梨キャンプ


#POOLO #POOLO3期 #卒業制作


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